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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

伊勢斎宮ノート・前篇

物語の制作に関して、伊勢神宮の調査をして、伊勢斎宮のことも調べたのでメモです。

斎宮・・・「さいくう」と読むらしいです(間違っていたら指摘下さいまし…)^^;

古代中世の建築は現存しておらず、発掘調査によって往時の姿を偲ぶのみ…という状態だそうです。離宮という位置付けから想像される小ぶりの館といったものからは相当に異なっており、「竹の都」とも呼ばれた、本格的な都スタイルだったそうです。東西2km、南北700メートル、碁盤の目状の造りであったと推測されているそうです。

「竹の都」と呼ばれたのは、斎宮が「多気郡」にあったためだという話です。この辺、ユーモアを感じますね(笑)。斎宮は神領である「多気郡」と「度会郡」を統治する役所でもありました。政治的には、斎宮は「伊勢神宮エリアの領主の都」という位置にあったと考えられます。

最盛期の斎宮は、もっと規模があったのでは無いかと推測され、斎宮を管理する役人・斎王の世話をする女官合わせて、500人程度が詰めていたという記録があります。

しかし、鎌倉・室町になると、中央の政治対立に伴う「事業仕分け」や南北朝の対立があって、治安も急激に悪化し、規模が縮小し、ついには消滅に至ったという話。

以上、古代・中世の時代を通じて平均すると、だいたい80人から100人前後の役人・役人関係者が詰めていたと推測されるものであります。

実際には、役人にも家族があったでしょうし、地元の有力者が一族で詰めるという事になれば、記録には残されてなくても、かなりの人数になった…と考えられますし、規模の推測に幅が出てまいりますが…^^;

さて、斎宮の政治機関が「斎宮寮」と呼ばれました。ここに統治をあずかる高位の役人が詰め(=官位としては従五位が最高だったらしい=)、あるいは斎王群行の際の勅使の詰め所になったり、斎王や女官が生活したり、色々の業務が行なわれていたと言われています。

斎宮寮の構造は、ざざっと分けて三部構成になっていたそうです。

  • 内院=斎王の坐すところ。斎王が生活していた館を含むらしい?
  • 中院=斎宮寮の事務局。ホワイトカラー系の役人が詰める
  • 外院=雑舎。門番や馬番など、ブルーカラー系の役人が詰める

「斎宮」というのが、人間を指すのか都を指すのか、結局よく分かりませんでしたが、「斎宮寮」とその周りの庭園や領地などの部分を曖昧に含めて、「斎王の坐す都」の全体をくくって、「斎宮」と言うのだ…というのが、適当なようです…^^;

どうも斎宮は「大きな離宮」というに相応しく、数々の宮廷儀礼が行なわれていたようで、従って、女官たちの装束も、都にならった華やかなものになっていたようです(※財政に不足するようになった中世の頃は、どうだったのか?というのは不明です)。

でも、基本的に、お金をやり繰りして、都よりはお金のかからない生活をしていたのでは無いでしょうか。

斎宮の財政は、神領からあがってくる租税と(伊勢神宮が協力)、国司含む地元有力者の支援、都からの支援で成り立っていたという話で、それぞれの意見を無視しては運営できず、かなり独自、かつ地元の事情に密着した政治が行なわれていた可能性があります。

斎宮の歴史の初期においては都の意向が強く働いていたようですが(在原業平のケースなど)、摂関政治の衰退期は、すでに武家台頭、地方動乱の時代となっており、地元有力者の意見が大きくなっていたようです(=斎宮寮のトップを務める「斎宮寮頭」というのを伊勢国司が兼務したという記録がある=)。

次の院政期&鎌倉時代は、寺社勢力が強大になり、その流れで、伊勢神宮の意見が強くなったという状況が推測されます。

・・・うーむ。「斎宮」といっても、その中身は、時代ごとに時の勢力の影響を受けて揺れ動いたのであろうと想像されるものでありますね。

物語の設計に使えそうだなという記録が色々見つかって、面白かったです(暴風雨の中で神がかりした斎王のエピソードが一番ドラマチックで、ビックリしました。物語シナリオに入れるかどうかは未定ですが…)。

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2010.12.9暁の夢

8日の夜から9日の朝にかけて、久しぶりに変わった夢を見たので、記録です…^^;

夢は、急な勾配の、曲がりくねった林道の光景から始まりました。

毎度、プロフィール風の小人でした(夢の中では、そういう格好が定番らしい)

白いミニサイズのワゴン車で、何人かと一緒にその森に包まれた山道をドライブしていたのですが、一緒に乗り合わせている人が、何故かみんな自分に似た感じの小人たちでしたので、多分、見覚えの無い「自分の分身たち」かも知れないと思いつつ…

「シュレーディンガーの猫」状態と言いますか、何だか自分と分身とでイメージがぶれまくっているのですが、目的地に着くと何となく合体状態になったりして、不思議な気持ちでした。

その山の上が目的地だったのですが、何となく歪んでいて変なイメージでした。標高はそんなに高くなくて、ふもとの町が望遠鏡が無くてもバッチリ見えたりするので、多分標高200メートルか300メートルくらいの山だと思います。山の上の天守閣から城下町を見下ろしたら、ああいう感じかも。

お天気の良い山の上では、カラフルな見知らぬ人が大勢ワラワラと集まって歩いていたり、何となく観光地の雰囲気です。やけに整備が進んでいて、何処かの「なんちゃってヨーロッパ風」大邸宅の石造りの庭とか、公園っぽい感じ。何となくピンク系統の石畳が続いていて、派手だなあと思いました。

夢の中の光景をキョロキョロしているうちに、メインコースに移動していたらしく、順番待ちの行列に入りました。そうすると、右側に石造りの水路が見えました。その水路を見て、「とっても間違っている…」と思ってしまいました。

急な勾配に水路がしつらえてあるのですが、その水路を、なんと下から上に向かって、水が逆さまに流れているのです。あまりにも変な光景なので、ついマジマジと観察してしまいました。幾ら見直してみても、「下から上に向かって」水が流れ、山の最高地点まで登っていたので、逆流の魔法みたいだと思いました。

他の行列の人たちは、この超常現象を不思議に思っていない様子…

行列に並んだまま水路と平行してメインコースを辿っていくと、行く手に巨大な灰色の岸壁が見え、その岸壁から滝が流れていました。岸壁の高いところに3つの大小の神秘的な洞窟が横に並んでうがたれていて、そこから滝が出ているのです(=この滝は、ちゃんと重力の法則にしたがっていた)。

「ははあ、あの妙な水路は、この滝の水源でもあったのか」と納得してみたものの、やっぱり重力の法則に逆らっている水路の存在は、落ち着かないものでした。

ガイドさんかどうか知らなかったのですが、キンキラキンの金色のパーカーを着ている訳知りの人が、「この滝は〝龍底の滝〟って言うんです」と何度も熱っぽく説明していました。「リューテイ」という発音を聞いて、すぐに漢字のイメージがパッと浮かぶのも変な気持ちですが、夢の中なので、それもありかも知れません…^^;;

それで、「あ、この山は中国なんだ」と何故か確信していました(理由は不明)^^;;;

滝と滝つぼの周りは何故か神聖な雰囲気で(=水が綺麗だったからかも知れない=)、脇に正体不明の神秘的な祠が立っていたので、思わず手を合わせてしまいました…^^;

※あとでイメージをつらつらと思い出してみると、どうもお稲荷さんや道祖神の祠みたいなのですね。何だか場違いだと思ったものの、その時は不思議に思わなかったです。お稲荷さんにしてはおキツネさまの像が無いし、道祖神にしては相当する像が無いし…というスタイルで、元は名前が彫刻されてあったみたいなのですが、その部分も乱暴に削り取られているし、妙にカラッポな感じでした…^^;;;;

滝の前を散策していると、キンキラキンのガイドさんに次の建物に入るように促され、通路を左側へ折れました。すると、階段状になった段々の花壇に囲まれている庭園の中に入りました。ツツジか何かの低い潅木が等間隔に植えられているのですが、葉っぱが赤っぽくなっていて花が咲いておらず、人工物なのか天然なのか、ちょっと分かりませんでした。

次の建物は高層建築で、「なんちゃってヨーロッパ風の石造りの円塔」っぽい感じでした。中に入ると、黄土色の土壁がしつらえてある、吹き抜けのとても高い塔になっていました。「つま先しかかからないなあ」というような細い板が、塔の中をグルリと螺旋階段のようにセットされていて、右旋回で、遥かな屋上まで上がれるようになっていました。

何だか不吉な感じがして、「何だろう?」と思って螺旋階段を見ていると、螺旋階段をぞろぞろと歩いているみすぼらしい雰囲気の人々の行列が見えてきました。青と赤の布をまとった役人のような人に鞭打たれながら歩く、奴隷のような大勢の人々。

奴隷のような大勢の人々は、腰回りの布しか着けていないという、一見、古代エジプトの奴隷のようなスタイルで(=古代エジプトには奴隷は居なかったらしいですが=)、黙々と、何か重たそうな球状のものを肩に抱えて、螺旋階段を続々と登っていったのです。

何とも意味不明な光景で、「球状のもの」って何だろうと焦点を合わせてみて、それが思いがけない物体だったので、ギョッとしました。

何とも気味悪いことに、奴隷が運んでいた「球状のもの」は、切断された人間の生首でした。

まさか…と思って、土壁の塔内部のずっとずっと上の方を双眼鏡で見てみると、無数の穴がうがたれていて、その中に、白骨化した頭蓋骨や、白骨化途中の生首や、まだ生々しく血が滴っている生首がずらりと並べてあって、まるで「首だけのカタコンベ状態」で、夢の中ながら、気分が悪くなりました…orz

その「なんちゃってヨーロッパ風の石造りの塔」の中身って、首塚だったというか、時代錯誤の古代的な呪術的な首棚というか、犠牲祭祀のための塔だったらしいのですね(…何故、こんな光景を夢に見たのか、とても不思議です)。

そして、横の方で、「お土産がある、買っていかないか?」と陽気に行列に呼びかけている土産物屋の主人がおり、行列に居た何人かは塔の中の土産物店ではしゃいでいましたが、自分は、塔の中の生首をはっきりと認識したショックが強すぎて、塔を飛び出したのでありました…orz

更に左側へ折れて、少し暗い廊下を通り、やがて大きなホールのような建物の中に入りました。その中は開けっぴろげな大広間でありました。夢の中では真昼の時間帯で明るい筈なのに、大広間の中は分厚くて暗いカーテンで締め切られていて、夜のように暗い状態でした。

唖然とするほど高い天井に巨大なシャンデリアの群れ、しかし全部灯りがついていないという妙な大広間でした。北側の舞台ステージの周りだけやたらにギラギラと明るいので、不思議に思って観察すると、スポットライトのような極端に明るすぎる照明を持ってきて、間近で当ててるのですね。あれだと舞台の人も暑いと思いますが…

舞台ステージの周りに7つか8つくらいの、食事用の中華風円卓がありました(=洋風円卓かも。ターンテーブルかどうかは分からなかった=)。その円卓の上には白い贅沢な布が掛けられていて、とりどりのキラキラした食器や高級そうな料理が並べられていました。とは言え、広い広い大広間に、目立つ物と言えばそれだけの設備しか無かったので、がらんとした感じ。

最後の部屋らしい巨大な大広間の中身が、以上のような感じだったので、ものすごく不審に思ったのは、言うまでも無く。

7つか8つの円卓にはすでに見知らぬ人々が着席していて、食事をしていました。顔はあまりよく見えなかったですが、本当に食事を楽しんでいるのかどうかというと、ちょっと怪しい雰囲気。食事よりも会話(か、打ち合わせ)の方に夢中な感じでした。

やがて、ギラギラと明るすぎるステージの上に、首周りとお腹周りのふっくらしたシルエットの人物が出てきて、何か演説をしていました。あのシルエットからして、現在、次の主席だと名指しされている人物かなあと思ってしまいました。向かって右隣に女性らしきシルエットが来てるのですが、誰だかよく分かりませんでした(何だか変な疑問かも知れませんが、あの人は結婚していたのだろうか…)。

その次に賛美歌みたいな滔々とした音楽が流れてきたのですが、演奏テープが逆回しにでもなっているのか、妙にチグハグな感じのメロディーでした。

自分の横にやって来た、半分白髪頭のアナウンサー(語り部)のような人物が1人、「素晴らしいステージではないか」と歌うように、謎のアナウンス。自分はそれに対し、何故か「みんな頭のてっぺんから足のつま先まで間違っている!」と抗議していました。

夢の中が少し朦朧としてきたので、あまりよく覚えてないのですが、どうもプンプン怒っていたようで…

長いこと、半分白髪頭のアナウンサーのような人物と「間違っている」/「間違っていない」で議論していて、なかなか決着がつかず、自分は終いには、「あなたの〝白髪三千丈の頭〟がとっても間違っている証拠に、この大ホールの端から端まで走ってみせる」と宣言し、本当に走り回ったので、夢の中ながら、さすがにえらく疲れたのでありました。

※何故、端から端まで走り回ることが、反論になるのかは不明でした(ニガワライ)…

夢の中で朦朧として、次に気が付いた時は、行きの時に乗っていた白いミニワゴン車に揺られて山を下りるところでしたので、どうやって山の上の不思議な建物から出てきたのかは覚えていないです。

説明がつかない夢ですが、こんな感じの、非常に疲れる夢でありました…^^;

詩的カメラ・オブスキュラ論

カメラ・オブスキュラ。

カメラを覗き込む時間は、不安定な夢の時間にも似ているかも知れない。

暗い押入れの戸に空いた小さな節穴を通して、此処ではない何処かに広がる世界を覗き込んで心躍らせている子供たち、その幼な心と、何も変わるところが無い。

それは、ある意味では、闇に沈んだ無垢な眼差しであり、人の世を演出する無数の言語に疲れた眼差しであり…

その眼差しが見るのは、漆黒の闇の中を放浪する夢、現在の中を同時進行する無数の過去と未来のかけら、無限の光彩と遠近法に彩られた混沌たる化学実験室、今まさに現実を創造しようとする未生の時空の裂け目。己の内なる意識と、外部の光景とは、まさに「眼差し」によって結び付けられる筈である。

…眼差し…

それは、人がこの現世(うつしよ)に生まれ出でて初めて表現する自己意識であり、また、老いて消えてゆこうとする瞬間にも表現される、最期の自己意識である。

ゲーテは言えり、「もっと光を…!」

清算されえぬ過去、危ういまでに不条理な現在(いま)、夢と未来との間を微塵に散らばる遠近法の系列、無数に裁断された時空の中で乱舞を続ける未生のコラージュの群れ…その重層する漆黒の意識の流れの中で、なおも狂おしく回転し続ける眼球が、カメラ・オブスキュラ。

未来など何処にも存在しないと知りつつ、それでも、未来なるオブジェを求めて、忙しく回転し続けるレンズ…カメラ・オブスキュラのシステムを収める様々な筐体、異形の杖の如き三脚、フード付きマントよろしく頭から被る黒布…それは、能役者の肉体に似ている…そして、レンズ。

…レンズは、フラジャイル。その〝眼差し〟こそが、フラジャイルなるもの…

写真家は、よく、「思ったとおりの写真になった/ならなかった」と言う。

己の内なる〈コトバ〉と、外なる〈カタチ〉とを結ぶ不安な「眼差し」…カメラ・オブスキュラ。

己が周縁を覗き込むのか、それとも、周縁が己を覗き込むのか…危ういばかりの、内外意識の緩衝地帯。

「眼差し」の中で、光彩の軌跡を辿って、究極まで圧縮された内外意識の遭遇が生み出す、世界公理の火花。

〈偶然〉と〈必然〉の出会いの結果としての、目眩めくような〝フォトジェニック〟…

それは、闇の中に生み落とされたひとつの遠近法の詩、または、時空を切り裂いたシャッターのエピソード。

フィルム写真は因数分解の詩歌に似ており、デジタル写真はフーリエ変換の詩歌に似ている、でも、そのカメラ・オブスキュラとしての、〝時光〟を結ぶ〈コトバ〉の呪術的本質は、ひとつも変わらないのかも知れない。

世界を乱舞する〈生〉と〈死〉が、ひとつの火花として結ばれ、焼き付けられるとき、それはカラーを持っていながら、モノクロームの深みに達することがある。

モノクロームとは、本質的に、冬の眼差しであり、死者の眼差しであり…

死の境地から生を眺めるとき、カメラ・オブスキュラという〈フラジャイルのコトバ〉は、無限に圧縮されたカラーの意識の中で、〝光〟と〝闇〟の本質を語り始めるように思われるのである。

それは生ける者が見る死者の夢…それとも、死せる者が生者をよそおって語る夢。

ときとして、カメラ・オブスキュラは、無限遠に分かたれた意識の断層を飛び越えることがある…

カメラ・オブスキュラ。眼差しのポエジー。

それは、ひとときの「眼差しの物語」…〝時光の幕間劇〟に他ならないのだ。

(ひとつの詩的な考察である)