水の中の火あるいは王権を授ける光輪
玉菨鎮石(たまものしずし/玉藻鎮石)
出雲人の 祭(いのりまつ)る
真種の 甘美鏡(うましかがみ)
押し羽振る 甘美御神(うましみかみ)
底宝 御宝主
山河(やまがは)の 水泳(みくく)る御魂
静挂(しづか)かる 甘美御神(うましみかみ)
底宝 御宝主
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【水中の火】ウィキペディアより
ネプトゥーヌスは語源的にケルト神話のネフタンやインド神話・イラン神話のアパーム・ナパートと関連性が指摘されており、いずれも古いインド・ヨーロッパ語族系神話の水神に起源を有すると考えられている。音韻的にはいずれもインド・ヨーロッパ祖語の neptonos(水の神)か hepōm nepōts(水の孫・息子・甥)に遡ることが可能で、いずれも類似した構成の神話を持っている。
水中に神聖な炎があり、この炎は手出しをしてはいけないか、または穢れのない人物しか触ってはならなかった。しかしあるとき、そういう資格を持たない人物が炎を手に入れようとして失敗した。炎の周りの水はあふれ出し、そこから河川が誕生した。
ギリシア神話
ギリシア神話においては、ダナオスの娘アミューモーネーが水を探しに行ったときサテュロスに襲われたが、それを助けた海神ポセイドーンは三叉の矛でもって大地を打ち、そこから泉があふれ出した。ポセイドンはアミューモーネーと通じ、彼女はナウプリオスを産んだ。音韻的には無関係だが、ダナオス(< da-「水の流れ」)の娘の夫(=義理の息子=水の男性親類)が3に関係のある事項によって水をあふれ出させるという構造は他の神話と一致するものである。
ケルト神話
アイルランドの「ネクタンとその妻ボアンド」の神話においては、ネフタン(Nechtan)は秘密の井戸の所有者であり、その井戸は彼と彼の3人の酌人(従者)のみが使うことができた。「王権の象徴となる聖杯で液体を汲む井戸」。もし誰かが近づくと、井戸の水の中にある炎によって眼が焼かれてしまうのである。しかしネフタンの妻であるボアンド(Boand)は水を井戸からくみ出そうとした。彼女は三回半時計回りに井戸をまわり、そして三箇所を切断された(大腿・手・眼)。水は溢れかえって海へと流れ出し、ボアンドはそこで溺死してしまった。その流れは今では彼女の名前を取ってボイン川と呼ばれている。
ウェールズの『タリエシン物語』と構造的に一致。ケルト神話:無資格者と「母なる女性」が融合していて、無資格者の女性に襲われて飲み込まれ、お腹の中から詩人タリエシンが生まれてくる話
ペルシア・インド神話『アヴェスタ』
ペルシア神話においては、王権の象徴である炎(光輪)フワルナフは、アパム・ナパート神(Apąm Napāt)によってウォルカシャ湖(アラル海かカスピ海)に安置されていた。アーリヤ人(ペルシア人)のみがフワルナフを入手することができたのだが、非ペルシア人のフランラスヤンが3回この湖に飛び込んでフワルナフを得ようとした。フワルナフは逃げ出し、そのたびに湖の水があふれて3つの川が流れ出した。
インドにこの神話はないがアパーム・ナパート(Apām Napāt)という同名の神格が存在し、これは炎であると同時に水中に棲むとされていた。
インド・ヨーロッパ語族という観点とは別に、ネプトゥーヌスはエトルリア神話の水と井戸の神ネスンス(Neþuns < nep-「湿」)と神格および名称が類似している。現在神話の残っていないネプトゥーヌスの原神話を再構築するには多くの難関が存在している
巫俊(ふしゅん)@fushunia
https://twitter.com/fushunia/status/1636422865657663488
これが水の中から火を採取する、日本の「火継ぎ」神話になってるので、ケルト神話とイラン神話を比較すると、日本神話が浮かび上がって来る不思議な構造になってるのですが、日本神話は草原地帯に由来し、国家の形成が遅れたので、より古層のものが記紀や弥生時代の遺物などに表現されてました。ウォルカシャ海とコンラの井戸の神話が、日本神話でどの形になってるか、突き止めることができれば、日本の古代史はかなりクリアに理解できるようになります。
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巫俊(ふしゅん)@fushunia
https://twitter.com/fushunia/status/1643958799924080643
温羅(うら)と吉備津彦の中世神話も、「水中の火」神話っぽいと思ってたら、温羅の首は竈の下に埋められたとか、吉備津彦に退治された温羅が哀訴して、御竈殿で奉仕する温羅の妻「阿曽女」(あぞめ)に鳴釜神事をさせることにしたとか、本当に水中の火神話の特徴の竈が出てきて驚きました。
巫俊(ふしゅん)@fushunia
https://twitter.com/fushunia/status/1643960622756007937
水界から来た日本の竈の神については、論文・小島瓔禮「海から来た火の神話」(『水と火の神話 水中の火』(楽瑯書院、2010年出版))に記述がありまして、東北地方で大黒柱にいる童子の神の「ひょうとく」や、「ひょっとこ」も関わってきます。水中に沈んだ太陽の太陽光から、火を採取する古層の神話です
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◇霊感に関する私見◇
長い時間、草花や風光を見ていたり、心の中を観照したり、エッセンスという事をあれこれと静かに考え続けたりしていると、何だか窓がパッと開いたみたいに、不思議な「印象」が次々に到来する瞬間が、本当にある…と思います。
何だか意味不明ですが、「印象」とか「予兆(きざし)」としか表現できないです。芸術ではそういったものを霊感と云うみたいですが、そんなに特別な事ではなくて、人間らしい感性をそのままに透き通らせてゆくと、自然にそうなるのかも。「印象」を上手くキャッチ出来たときには、既に「何か」が出来上がっている感じ…
あとは、「それ」をどうやって意味の通る文章に起こしたり、絵に起こしたりするか…この辺の思考や技術に、いささか努力が要るだけ…という事かも知れません。