忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

メモ:作品作りは並列処理

喜多野土竜氏:連続ツイート(@mogura2001/6月17日)

(https://twitter.com/mogura2001/status/1272941553984536576~連続)

一心不乱に集中するのが良いと思われがちだけど、どうもいろんな漫画家さんを担当し、ベテランにお話を聞き、デビューに立ち会ってきたけど、割とあれこれやりながらネーム作りやってる漫画家さんが多い印象。多動性障害と見紛うレベルで。
思うに、作品作りって並列処理の固まりだから当然かも。
小林亜星さんが、知り合いの作曲家が3分の1出来たとか言うのが信じられないと。曲というのは一気に全体が出来、それを釣り上げるようなものと語っておられた。
どうも作品というのも同じで、一気に全体像のかなりの部分が出来てしまうようで。
三宅隆太監督が、映画の脚本でも似たことを言ってる。
映画のシナリオはギリシャ以来の舞台演劇の影響で3幕構成が基本なんだけれど、尺は1対2対1の割合に近くなるんだけれど、良い脚本というのはできあがってみたらこの比率になることが多い、と。
1幕目が10分なら2幕目は20分前後に、30分なら60分前後にと、計算したわけでにのに近くなると。
映画全体の尺を知らない時点で、ちょうど良い場面転換のタイミングが、全体に対して起きる。脚本家自身が全体像が見えない時点で書き始めても、無意識下ではある程度形になっていて、それを引き上げる感じ。
ただ、スルッと引き上げられる場合と、細部のピースがポロポロと落ちまくってる事が多い。
その欠けたピースは話全体に散らばってるので、あっちを埋めたらちょっと休み、こっちを埋めたらちょっと休みしないと、気持ち切り替えが難しい。
最初のコマから最後のコマまで、キレイに繋がってることは稀。ただ、それが出来ると自動書記状態で、自分が書いている気がしない。神秘体験っぽい。
ポール・マッカートニーがイエスタデイを作ったときがそうで、最初から最後まで一気に出来ちゃって、レノンに聞かせたら傑作だと賞賛。
でも、あんまりサクッと出来たので、誰かの作品をパクってないかと、不安になったとか。作品ってそんな物。
なので、作家がツイートしてるときはサボりに非ず。
PR