詩歌鑑賞:ヘルダーリン「夜」他
夜/ヘルダーリン(作成日不詳)
町は静かにやすらっている。ひっそりとして街灯は灯され
松明をかざして馬車は音立ててすぎてゆく。
昼の喜悦(よろこび)に満ち足りて人々は家路につきながらその日の損益を
はかる。せわしい市場にも
いまは花も葡萄も手芸の品々の影もない。
だが遠くの闇からは手すさみの楽の音がひびいてくる。おそらくは
恋する者が弾くのであろうか。それとも孤独のものが、
遠い友らを、また若い日を偲ぶのであろう。噴水は
絶え間なくほとばしって におやかな花壇をうるおしている。
暮れすすむ空にはいま 静かに鐘がひびき、
夜番は時を告げて過ぎてゆく。
ふと風が起って森の梢をうごかす。
みよ! 私たちの大地の影、月も
いまひそやかに立ち昇る。物思う夜が
満天の星をやってきたのだ。わたしたちにはかかわる気配もなく
その壮麗のものは人間のあいだの異郷の客として昇ってくる、
かなたの山の空から悲しげに またかがやかに。
秋/ヘルダーリン
かつてあって、また立ち帰ってくる生気についての
言い伝えは 大地を去っていたが、
それがまた人の世に帰ってくる。そして、多くのことを
われわれは 急速に去ってゆく季節から学ぶのだ。
過去のもろもろの形姿は 自然から
棄てられはしなかった、夏の盛りに
日々が色あせても、秋が大地にくだってくれば
畏懼(いく/おそれ)を呼びおこす霊気がまた空にうまれてくる。
またたくまに多くのことが終わった。
犂を駆って野にいそしんでいた農夫は見る、
年がよろこばしい終わりに向って傾くのを。
このような形姿のうちに人の日の完成はある。
巌をかざりとして広がる大地は
夕べに失せてゆく雲にひとしいものではない。
それは金いろの昼とともに現われる、
そしてこの完成には嘆きの声はふくまれない。
(手塚富雄訳)
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Der Herbst
Das Glänzen der Natur ist höheres Erscheinen,
Wo sich der Tag mit vielen Freuden endet,
Es ist das Jahr, das sich mit Pracht vollendet,
Wo Früchte sich mit frohem Glanz vereinen.
Das Erdenrund ist so geschmückt, und selten lärmet
Der Schall durchs offne Feld, die Sonne wärmet
Den Tag des Herbstes mild, die Felder stehen
Als eine Aussicht weit, die Lüfte wehen
Die Zweig’ und Äste durch mit frohem Rauschen,
Wenn schon mit Leere sich die Felder dann vertauschen,
Der ganze Sinn des hellen Bildes lebet
Als wie ein Bild, das goldne Pracht umschwebet.
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