2021.12.12ホームページ更新
●『物語ノ本流』にて
【第二部 タタシマ】…「第十章.東奔西走」を全ページ公開(オリジナル和風ファンタジー漫画)
●『物語ノ傍流』にて
「猫天狗!」シリーズ、2つの短編を追加
・【猫天狗が光り舞う!~不惑の年のボーイ・ミーツ・ガール事件(海外版)】
・【猫天狗が光る!~密室の窓を金魚と泳ごう】
(何かの時の考察用メモ)
●https://enlt.net/ps/Togoku3/「東国三社」(日本のパワースポット)
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社は富士山を意識して配置された可能性あり。
富士山から見て、鹿島・香取・息栖の先の海から太陽が昇るように見えるのは5月第一週ごろ=日の出レイラインを構成。
東国三社から見て、富士山の頂上に太陽が没するように(ダイヤモンド富士)見えるのは11月第一週の頃。
●中央構造線メモ
阿蘇神社―(四国横断~淡路島南岸)―高野山―天河神社―伊勢神宮―豊川稲荷―諏訪大社(急角度で内陸に向かって折れ曲がる)―氷川神社―香取神宮―鹿島神宮
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1456812091457761286
わざはひ(禍・難・災・祥)】神意として深く隠されているものが、そのしるしとしてあらわれるものを【わざ】といい、【わざはひ】という。【はひ】は【幸(さき)はひ】【賑(にぎ)はひ】と同じく、その作用として機能することをいう。
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470235558421331973
人の世に完全というものはない。究極のものを真といい、善といい、美という。真とは行き顚れて、その霊力の滅びずして残るもの、美とは犠牲として神に供えた羊の姿、善とは羊神判において神意を示す羊の姿を含む字である。そこには人の世界はない。それで人の究極は、その不完全態においてある
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470144883948396545
宗教はかつて、人を救うたかもしれない。しかし本当に救われたのは、愚昧随順の人たちだけであった。救われたというように思うだけで、救われるような人々であった。凡そ生物の全体に霊活を与えるもの、それが真の宗教である。その霊活なる秩序に身を投じることが、真の宗教であろうと思う。
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1471368123538604035
世が乱れてまいりますと、あまりはっきりと作者が名告って批判をするということができなくなります。そういう時代に、童謡が生まれた…この【童】というのは、強制労働に服している、いわばなかば奴隷に近いような人々であります。
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1475852637665120258
【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。
●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1479265118404083712
学問の世界でも、忠実な紹述者ばかりでは、何ごとにも発展はない。論難答問があって、はじめて展開がある。その論難答問を認めないような、権威主義の横行を許してはならない。【狂】とは、まずそのような権威を否定する精神である。そしてその否定を通じて、新しい発展をもたらす理性が生まれる。
(メモ)
●鷲巣繁男『行為の歌』より
風が吹いてゐる、
一本の骨の中に――。
骨の中には淋しい息がある。
或る日閉ぢ込められた運命だらうか。
骨の中に風が吹いてゐる。
何者だらう、生きてゐる時ふと聞いた風の声、
空を渡っていく鳥が告げた、この世の異変の前ぶれだったらうか。
●バックミンスター・フラー
Environment to each must be
“All that is, expecting me.”
Universe in turn must be
“All that is including me.”
The only difference between environment and universe is me......
The observer, doer, thinker, lover, enjoyer
それぞれの人にとって環境とは、
「私を除いて存在する全て」であるにちがいない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」であるにちがいない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私……
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私
●ゴダール「映画は現実の反映ではない。反映の現実だ」
●https://twitter.com/Prokoptas/status/1468308956041080832
総合的に判断して、古代エジプト人は、どうやら、魚を食べることに慎重であったようだ。先ず、「海の塩は不浄とみなされ……海に関係あるすべてのものと同様……邪悪の神セトの領域に属するものと考えられていた」(ストロウハル『古代エジプト生活誌』上巻)。
https://news.yahoo.co.jp/byline/moritamasamitsu/20211120-00268912
漂着した「軽石」は資源になる 沖縄県環境部が発表した軽石の分析結果
8月13日硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)
現場付近では凄まじい噴煙
福徳岡ノ場から北へおよそ60キロに位置する硫黄島で撮られたものです。噴煙の上部がカナトコ状になり、それ以上は雲が上昇することができない、いわゆる圏界面に達していることがわかります。また、火山雷(噴火の際に噴出した軽石や、火山灰などがぶつかりあって電気が生じたもの)が発生していることもわかります
いずれも、スマートフォンで撮影したものとのこと。60キロの距離というと、東京から神奈川県の丹沢くらいになります。これだけ離れた距離でこのような写真が撮れたことからも、噴火の規模は相当大きかったと言えるでしょう
また気象の上では、火山の噴煙が圏界面を越えて成層圏に入ると気候に影響が出ると考えられています。当時の小笠原付近の圏界面は約1万7000メートル。噴煙の高さは1万6000~1万9000メートルですから、噴煙の一部が成層圏に入った可能性も有ります
2021年8月 福徳岡ノ場で起きた令和初の国内プリニー式噴火と島の誕生と漂流軽石を見守る会
https://togetter.com/li/1762225
例の軽石完全に理解した(い)~現在までに分かっていること~
https://note.com/geomemorandum/n/nb22c82b8af80