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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書メモ『シンボルとスキエンティア』~ルネサンス科学概観

『シンボルとスキエンティア』―近代ヨーロッパの哲学と科学
エルンスト・カッシーラー著(ありな書房1995年)
訳者…佐藤三夫、根占献一、加藤守通、伊藤博明、伊藤和行、富松保文

アリストテレスの運動論は、16世紀までには、それにしばしば帰せられてきた、議論の余地のない権威を有していないことが明らかとなった。

われわれがいま知る所では、ガリレオよりはるか以前に、多くの点でガリレオ力学の基盤を準備した「インペトゥスimpetus」という新しい理論が存在していた。ガリレオの方法論の先行者についてもまた完璧かつ徹底的に調べられている。

(ザバレッラは著書の中で、「合成的方法」と「分解的方法」との相違について明白に述べている。これはガリレオの概念に著しく類似している。ザバレッラは、此処では大いなる連鎖の単なるひとつの環に過ぎない。つまり彼は、パドヴァ学派の歴史全体に及ぶ1世紀間の伝統に従っている)

ガリレオの動力学のような仕事は、ゼウスの頭部から完全武装したパラス・アテネが現れたように、いきなり生じることは不可能であった。それには論理的かつ方法的にと同様、経験的にも時間のかかる準備が必要であった。だがそれでもガリレオは、これら所与の要素にまったく新しいものをつけくわえた。

ガリレオ以前には何人といえども、彼が落下物体の法則の証明あるいは弾道のパラボラ曲線(放物線)形状の発見に際しておこなった、「分解的方法と合成的方法」の〈活用〉の類をなしえなかった。

これらすべてはまったく新しく独自なものである。独自であるというのは、単に特殊な発見としてではなく科学的な態度と性向の表明としてでもそうであった。なぜなら、15世紀に勝る明白な変化を導くのは、数学的方法に結び付いた意義と価値であって、その単なる内容では無いからである。

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数学が、カントの表現を使えば「人間理性の誇り」であることについて、プラトンの時代以来、真剣に疑義を差し挟まれたことなど一度も無かった。アウグスティヌスも同様に大きな情熱をこめて、数学と数学の「永遠なる真理」について語っている。それは叡智界への直接的な入り口を開いてくれているという訳である。

それに数学的な自然科学の概念さえも、15・16世紀にはじめて生じたのでは決してなかった。

光学を数学的に厳密に取り扱わなければならないことについては、たとえばロジャー・ベイコンが認識しているところであった。「作用する力と質料の力は、算出される諸結果そのものと同じく数学の偉大な能力なしには知られえない」。

またオッカムのウィリアムが、「ある原因それ自体が定立されて他の原因が取り除かれると結果の生じることが、あるいはむしろ、その原因が定立されないで他のすべての原因が定立されると結果の生じないことが、経験によって明らかに実証されえないならば」、いかなる出来事も別の出来事の原因とみなされえないと説明する時、ガリレオの因果律の概念を先取りしているように思われる。

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しかしこれらすべての類似は、これらの類似にさらに多くのものが付け加えられるにしろ、なにも証明していない。

数学はルネサンスのはるか以前に文化の中の〈一要素〉であった。だが、ルネサンスにあってはレオナルドあるいはガリレオのような思想家とともに、それは新しい文化的〈力〉になった。

われわれが無視できぬくらい新しいとみなすべきものは、この新しい力が知的生活全体を満たし、内側からこれを変えていくその強烈さである。

レオナルドは、「数学のまさに大いなる正確性を軽蔑する人は、自分の精神に混乱を与えており、永遠なる言葉の戦いに帰着するだけの詭弁的教説を決して沈黙させられないだろう」と述べている。これはまたガリレオの確信でもある。彼にとって数学は知識の〈一分野〉ではなく、知識の唯一で正統な〈基準〉、それにより知識と呼ばれる他のすべてが測られなければならず、その面前で受ける試験に合格しなければならない規範である。

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このような数学的自然学の新たな価値評価は、根底に存在する別の観念に依拠している。

中世哲学では〈知が二又に分岐〉しており、最初それはアウグスティヌスに現れ、次いでスコラ学史全体を通して赤い糸のように貫いている。

それは「スキエンティアscientia」と「サピエンティアsapientia」との分離である。

「スキエンティア」は「自然的な」事物の知識であり、「サピエンティア」は「超自然的な」事柄の知識である。スキエンティアは「自然の領域」に、サピエンティアは「恩寵の領域」に関与している。

単なるスキエンティアに勝るサピエンティアの疑問の余地のない優越、「卓越性」が中世の思想家すべてにとって動かぬものとなる。

アウグスティヌスは述べている。「それゆえ、もし永遠な事柄の知性的認識がサピエンティアに、反対に現世の事物の理性的認識がスキエンティアに関わるように、サピエンティアとスキエンティアが正しく区別されるなら、何をいずれより優先すべきか、あるいは軽視すべきかを判断することは難しいことではない」。

この識別によれば、自然についての数学的科学はいかなるものでも――そのような科学があるなら――創造された世界についての学である。それゆえ、それは形而上学や神学と言った永遠なものの学と等しい地位を決して求め得ないのである。

「認識は、サピエンティア側では普遍性で、スキエンティア側では不可謬性でなければ、確実でありえない。他方において、つくりだされた真理は端的に不変であるのではなく、仮定上不変であり、同様に被造物の光はそれ固有の力により不可謬ではまったくない。両方とも造られ、非存在から存在に移るがゆえに」。

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このすべてが、ガリレオにおいては、すっかり変わってしまう。数学的自然学は彼にとって単に「科学」の特殊な分野では無く、道具に、つまり真理のいかなる認識にも必要な条件にして手段となった。

それが無ければ、人間にとり真理はまったく存在しないだろう。自然科学の結論に矛盾したり、あるいはこれに制限を設けようとしたりする「超自然的」真理は、すべて単なる見せかけに過ぎない。

これはガリレオがそのために格闘したところの新しい理想であり、この戦いこそが、彼に対する非難理由を結局呼び覚ますことになったのである。彼にとって数学的自然学は彼の人生観と世界観に、彼の宇宙解釈に必要な要素となった。

ガリレオが導入し確立したものは新しい〈解釈学〉である。中世の神学的解釈学では、聖書および教父により施された聖書解釈の中に真理は保有されていた。人文主義的解釈学は古典作家の権威以上に高い権威を知らないし、認めなかった。テクストの比較が真理を与え、真理と「なった」。

これをガリレオは二、三の警句的表現でことごとく簡単に処理している。彼はケプラーに宛てて次のように書いた。

「この種の人々は、哲学は『アエネイス』あるいは『オデュッセイア』のような書物であり、その真理は宇宙または自然の中では無く、テクストの比較(これは彼ら自身の言葉である)に見いだされると信じている」。

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