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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2008.1.27ホームページ更新

『深森の帝國』トップページ:http://mimoronoteikoku.tudura.com/

物語ノ本流セクションのページ:http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html

鈴鹿峠の章が完成しました。個別ページ分割済みです。


《境界観念とお茶の関係について、興味深い記事をメモ》

▼日本の喫茶文化…茶堂と茶屋
http://www.o-cha.net/japan/dictionary/japan/culture/culture17.html
峠に着くと新しい風が汗ばんだ頬を撫でていき、見下ろすその先にはこれまでとは別の新しい世界が広がっているような感じがします。おおげさに言えば、峠は二つの世界の境にあり、境界線の役割を果しています。

峠につきものなのが、時代劇に欠かせない峠の茶屋。店先の床几(しょうぎ)に腰掛けて茶をすする旅人、といったような光景が目に浮かんできます。峠に茶屋があるのは、旅人の求めに応えるというのが第一の目的でしょうが、もうひとつ、古い信仰がその下地にあると思われます。それは、峠が二つの異なった世界の境界に位置するということと関係しています。しかも、茶屋という言葉自体別な意味をもっているのです。

三重県の海岸部では、村人が海岸に集まって初盆の供養をしますが、そのとき、供養の塔婆を安置したテントのことを茶屋とよんでいます。浜松市などで盛んな盆行事である遠州大念仏では、この世に帰ってきた祖先の霊が、茶屋で子孫から茶の接待をうけるという文句が歌われます。つまり、茶屋というのは霊に茶を飲んでもらう施設、という意味もあるのです。この世とあの世。こっちの世界とあっちの世界。茶屋はまさに異なった世界を出入りするための、境界越えの儀礼を行う場でもあったのです。

四国にはあちこちの村はずれに茶堂という、ちょうど辻堂のような建物が建っています。

毎年お盆の近くになると村人が交代でここに詰め、通りがかった旅人に無料でお茶とお菓子の接待をします。おそらく、旅人の姿に、盆に帰ってくる自分たちの祖先の霊を重ね合わせているからでしょう。ここにも茶屋に通じる境界越えの儀礼が隠されています。
▼日本の喫茶文化…葬儀とお茶
http://www.o-cha.net/japan/dictionary/japan/culture/culture16.html
お葬式に行くと、喪主の挨拶状とともにお茶を渡されることが、最近とくに多くなったような気がします。もともと仏事にお茶はつきものというような感じがあります。たとえばお茶湯(ちゃとう)といって、仏前にお茶を供えることは広く行われていますし、徳島県あたりでは、小さな手桶にお茶を入れてお供えしますが、この桶を茶湯桶と呼んでいます。

お茶はもともと禅の修行と深い関係があったところに、とくに日本では葬儀をお寺で行ったので、自然に仏事とお茶とが関係を持つようになったとも考えられます。

しかし、棺桶にお茶を詰めるという話もよく聞きます。それは死臭を防ぐためだとされ、お茶がもっている消臭効果が役立っているようです。同じような話はミャンマーでも聞いたことがあり、日本だけの習慣ではありません。

さらにいえば、お茶が境界を区切る象徴的な意味をもっていることとも関係があります。茶の木は畑や屋敷境の目印になりましたし、お茶を飲むことがある境を越える意味をもつことがあったからです。たとえば、ある家を訪れた時、お茶が出れば、その家に受けいれてもらえたことを表します。つまり茶を飲むことは境界を越えることを示すことになります。人が亡くなり、この世からあの世に旅立つ、その境を越えることが、お茶を飲むことによって示されるのです。葬式にお茶を配るのは、本来はその場でお茶を飲んでもらうという意味があったのでしょう。お茶を配ることで故人との別れを確かなものにする、香典返しのお茶にはそんな意味が込められていたようです。
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