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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書覚書:中国文明の特質・宗教と結社

資料=『世界歴史体系 中国史4 明-清』神田信夫・編、山川出版社1999

中国では2000年以上も「万人の万人に対する闘争」とでも言うべき状況が進行していた。これはまた「自律的団体結合の欠如を特質とする中国社会のありかた」とも表現される。これを過大評価すると「自由と活力と競争に富む社会」となるが、実は人々が散砂に近い状況でひしめきあっていたとも言えよう。中央権力はこの状態を維持し、更に散砂化を促進する事によって「平天下」の実現を目指してきたかに見える。官僚が横に連合する事は許されなかったし、民の連合は一族や郷村内の相互扶助のみに限定された。

しかし、中央権力のおとろえた明代後期に状況は変化した。明末清初は中国の歴史では稀な「結会・結社の時代」と言われ、また「民間宗教簇生(そうせい)の時期」とされる。

知識人だけでなく庶民に対しても陽明学が情熱的に伝道された事は、その傾向を促進した。無学な人々に対する羅教の普及もまたその傾向を強めた。陽明学と羅教は中国史では稀な人間結合をもたらす運動であったのである。陽明学は結局、党争の激化を招き、明朝崩壊の原因ともされた。羅教は民衆の無数の秘密結社と言う形で後世に継承された。

だが、中央権力は一貫して、民衆の血縁地縁を超える結合を危険視して弾圧したから、民衆の結社はすべて秘密結社の形を取らざるを得なかった。しかし、少なくとも数百年、おそらくは数千年の散砂の状態にあり続けた民衆は新しい結合の仕方に慣れていない。よく知っているのは皇帝が散砂の民衆を支配すると言う形式であった。しかも組織全体を権力から守らなければならない。

従って民衆の秘密結社は指導部のみが全体を把握し、構成員は横のつながりを持たないという組織原則にならざるを得なかった。民衆独自の結社においてまでも民衆は散砂であり続けなければならなかったのである。此処に中国文明の特質のひとつが示されていると言えよう。

※以上、この部分の文章は奥崎裕司・著※


《明代の白蓮教・無為教》(奥崎裕司・著より、要約)

明代の民衆宗教は儒教・仏教・道教が混合したものであったが、大きく二系統に分かれていた:

  • 「浄土信仰」&「弥勒信仰」⇒白蓮教(元末に成立)
  • 「無生父母信仰」⇒無為教(明代中期に成立)

白蓮教は南宋以来、近現代に至る中国民間の代表的宗教結社。初めは阿弥陀信仰(南宋の時代)であったが、勢力拡大を危険視されて弾圧される。元代になると一時は布教を許されたが、結局は、摩尼・白雲と並ぶ異端邪教の代表となった。元の末期頃、白蓮教に弥勒教が入って来たと言われており、弥勒下生により現世に理想社会が実現すると言う、現世救済の教義が速やかに成立した。

弥勒仏を名乗ったカリスマ的指導者はメシア的性格を持つため、白蓮教の教徒はしばしば反乱を起こした。紅巾の乱もそのひとつであり、明成立のきっかけになったが、後に明の皇帝になった洪武帝は、その後、白蓮教を妖術として弾圧し禁止した。

白蓮教結社はその後も反政府活動を続け、他方では密貿易や新田開発に手を染めていた。清の時代も活動は続き、義和団事件(1900)にも関与している。白蓮教の一派は少なくとも最近まで「在理教」などの名で続いていた。「在理」とは儒仏道三教の理の中に在るを言う。

白蓮教をはじめとする明・清時代の多くの宗教結社に共通している最大の点はカタストロフィ到来必然の信仰と強烈なメシア待望論であった(キリスト教タイプの終末思想=千年王国信仰と多くの共通点がある)。

嘉靖年間(明、嘉靖帝1522-1566)、李普明の創始した民衆宗教「黄天道」の宝巻「弥勒出西宝巻」の内容は以下の通り:

「弥勒の世は黄金や宝石で作られた美しい世界であり、果実や穀物が豊かに実り、人間はそれらを食して飢えず、貧窮に苦しむ者も居ず、気候は温和で乱れず、太平の春を謳歌する。人間は不老長寿となり、聡明で美貌、仁義礼智信の五徳は正され、何処に住む人々も心が同じとなり、みな兄弟姉妹のようになる。路に落ちている物を拾う者や盗賊が無くなり、金や銀を貯めておくなどという事は少しもしない。国法も無く穀物や税金を納めることも無い。92億の肉親姉妹が8万1000年の太平を享受し、昼には毎日まばゆいばかりの美しい着物で宴会をする。弥勒仏の治世が終われば人々は皆共に(天上の)都・斗宮に行って無生老母(嬢親)にまみえる」

これは無為教の影響を受けて成立した新しい白蓮教と言われている(つまり、古い方の白蓮教とは明らかに別物)。

無為教は羅清(らせい・羅祖)という人物が創始した。

「心は万物に先立って存在し、不増不減不生不滅であり、あらゆる事象による区別や拘束を受けず、完全無欠である。心(自己の本性)は絶対的なものである。この心は修行によって作られるものでもなく、証明される必要もなく完全無欠である。従って、この教えを無為教と言う(※ただし、心の探求・心の発見は重要であり、未熟者が本性の現成をとなえて心の探求をしないのは誤りである)」

※羅祖の大虚空は光であり禅宗の用語では「本来の面目」であった。王陽明と似た宗教的悟り(到良知)でありながら、「光に照らされ光に満ち満ちる体験をし、しかもそれが慈悲の光であり、慈悲によって体験できた(最高神と理想郷の実在を感得した)」という宗教体験に羅祖の特色がある。

羅祖は大乗的な方法を選び無為教の宗教結社を結成したが、民衆の間での拡大が著しく無数の結社を生んだだめ、既存の団体・官憲からは危険視され、明末新仏教とも対立した。後に無為教が弥勒下生信仰と結合すると更に弾圧されるようになった。

元々、無為教は白蓮教や弥勒信仰を邪教として遠ざけていたが、明末になると白蓮教も無為教も混合し変質した。その際、無為教の神「無生父母」は、男性神と分かれ、「無生老母」という女性神として成長した。「無生老母」には救世主としての性格も付与され、この神の主宰する理想郷は「真空家郷」と呼ばれた。無生老母は、民間信仰の女性神「観音」「泰山娘娘」「西王母」などとも混ざり合った。

羅教は、禅宗の民衆化したものとも言われており、禅宗と共通する問題を含んでいた。羅教や、羅教と混合した白蓮教には、霊体験志向と超能力志向があり、その方面での努力はするが、その他の修行や工夫は軽視する傾向があった。そのため、霊力(超能力)信仰が強まるという側面があった。

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