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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

twitter覚書:安全保障の思考

https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900321399574528
これは制度やシステムの問題の部分よりも、周知、または「情報を受け取る側の認識不足」の問題が大きいと思う。警戒音・警戒色・警戒報は、それが何を意味するか、受け取ったらどうしなければならないかが共有されてないと意味ない。それは大人向け教育の領域の問題。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900774870953984
「地震の後には津波が来る」と知識で分かっていながらも、それを「警戒すべき危険」と認識しきれなかったことで大勢が亡くなった東日本大震災の津波を「日本」としては経験していて、阪神淡路大震災を「西日本人」として体験していながら、「自分ごと」として体験していなければ、身に付かない。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 阪神淡路大震災から20年も経ってないのに「自分事」になってないということは、教訓が十分に下の世代に伝えられていないことになりますね。東日本大震災では「津波てんでんこ」とか津波に注意を促す石碑に改めて注目が集まりました。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
これは憶測ですけど、「恐ろしいものの記憶を呼び覚まさせて怯えさせないために、怖い体験についてできるだけ語らない、封印する、子供のためにそれをする」という【善意】が、恐怖心を励起しかねない地震への備えを封じてしまったのかな、と QT @kotobukibuneBOT:
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg なるほど。善意が裏目にでるケースですね。確かに日本人は過去の嫌なことは、一切合切、"教訓”をも一緒くたに「水に流して」しまっているかもしれませんね。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
「自分が経験した辛い思いを子供達にも味合わせたくない」というのは、それはそれで善意だと思うんですよ。だけど、そこから得られたはずの教訓は「辛い経験」を合わせて教えないと効果がないのに、辛い経験もそれに即した教訓も教えないから伝わらない。 QT @kotobukibuneBOT:
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901115708489728
東日本大震災の津波警報を大人ほど真に受けなかったことに、ちょっと似てる。東日本大震災後に強化された緊急地震警報を、東日本大震災の当事者意識が薄い西日本では「自分事」として受け止められてない、ということの証左かもしれん。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 福島原発事故後の計画停電も実施した地域としなかった地域とで危機感の差があったと感じます。その時期、仕事で名古屋にいったのだけど、首都圏は節電でネオンもなく暗かったのが、名古屋にいったら、エスカレーターも全稼働。照明も煌々。別の国かと思った。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901328867225600
愚者は経験に学ぶというが、「他人が酷い目に遭ったことを教訓として、他の人が酷い目に遭わないように」と作られた制度やシステムであっても、自分自身が酷い目に遭わなきゃ活かすことができないってんなら、意味ねえ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327902752472698882
ふと思い出したのが怪ダレのコンセプト。手前味噌ではあるが、怪ダレの重要なコンセプトのひとつに、「大人が目を離した隙に勝手に死んでしまう子供を少しでも減らす」「子供が自分で自分を救えるように警戒心を育む」ってーのがある。保護者の方に怪談本を買い与えていただく方便ではあるんだが……
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903011726819328
子供に対して大人がどんなに配慮したとしても、大人の配慮の網の外で子供が勝手に死んでしまわれては元も子もない。配慮されるべき子供自身が、もっと真剣に自分の身を守り、自分で自分を救うことに熱心でなければならない。子供が大人になってもそれは同じことだ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903202169212928
社会や政府が守ってくれるはずだから、守られる側である子供……成長した「一般人の大人」が、自分の身を守ることに不熱心だったり、勝手に死んでしまっては、社会や政府がそういう「守る仕組み」を作っても無意味になる。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903667472723968
安全保障の思考(これは、防災もそうだし防犯もそうだし純軍事的な意味での防衛もそう)というのは、「守られる側が守る役目の人々にのみ過剰な努力を強い、守られる側がまったく努力しない」というのでは成り立たない。勝手に死ぬ、迂闊に死ぬのは、守られる側の怠慢だと思う。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903936239521792
要するに、「慎重に警戒心を持ち注意深く、そして自分を例外だと思ったり心配を他人事だと思ったりしないようにしましょう」ただし「よく考えましょう。深く考えずに思考凍結して、検討すべき前提を更新しないのはバカがすることです」ってことだと思うにょ(´・ω・`)
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