春江花月夜/張若虚・作
『春江花月夜』は、張若虚という人によって作られた作品だそうです。初唐、大帝国バロック調の文化華やかなりし時代の、それも最高傑作と評価されている漢詩だそうです。
以下に記した漢詩の意味解釈は、大室幹雄氏の著作『遊蕩都市』(三省堂1996)に書いてあったものです。ポエジーの交響が、実に素晴らしい…と思うのであります…
▼『春江花月夜』・・・張若虚・作/『遊蕩都市』大室幹雄・著より
春江潮水連海平
海上名月共潮生
灎灎隨波千萬里
何處春江無月明
江流宛轉遶芳甸
月照花林皆似霰
空裏流霜不覺飛
汀上白沙看不見
江天一色無繊塵
皎皎空中孤月輪
江畔何人初見月
江月何年初照人
人生代代無窮已
江月年年祗相似
不知江月待何人
但見長江送流水
白雲一片去悠悠
靑楓浦上不勝愁
誰家今夜扁舟子
何處相思名月樓
可憐樓上月徘徊
應照離人粧鏡臺
玉戸簾中巻不去
擣衣砧上拂還來
此時相望不相聞
願逐月華流照君
鴻雁長飛光不度
魚龍潜躍水成文
昨夜閑潭夢落花
可憐春半不還家
江水流春去欲盡
江潭落月復西斜
斜月沈沈藏海霧
碣石瀟湘無限路
不知乘月幾人歸
落月搖情滿江樹
春の長江――たいらかになぎわたり 大潮が海へ流れ出る
海の上で 潮のなかから明月が生まれでる、
艶やかに波に照り映え はるけくも連れ添っていたるところ
月明に 春の大河は輝きわたる。
たわみつつ うねりつつ においたつ野原を河の流れはめぐり
花咲く林を照らして 月光は霰(あられ)と散り、
白砂の岸辺をおぼろおぼろに溶かしこみ
中空(なかぞら)に流れる霜をまばゆく飛ばす月明かり。
江天一色(こうてんいっしょく) 繊塵(せんじん)無し!
皎皎(きょうきょう)たり 空中の孤月輪(こげつりん)!
河の畔で初めて月を見たのはたれか?
河の上でいずれの年に月は初めて人を照らしたのか?
代々ごとに人は生まれて窮まりやむことなく
河の月は年々に満ちてかわることなく、
ただ長江の流れる水を送りやるのが見られるばかり
河の月のだれを照らしてきたかは知るべくもなく――
のどのどとひとひらの白雲は去りゆく
靑楓浦(せいふうほ)に宿って 愁いにわたしのこころはふさぐ、
この夜を小舟にすごす人は誰か
その思われ人はどこで楼上に明月をながめているのか?
ああ! その楼のうえ高く月は徘徊しているだろう
遠いその人の鏡台を照らしているだろう、
玉簾を巻き 戸を閉ざしても その人もまた想いは去らず
擣衣(きぬた)うつ砧(だい)の上を払っても月はやはり射しているであろう。
いま この時に 月をあおぎ望んでわたしの声はとどかない
月の光をおいかけて流れてそなたを照らせるならば!
鴻(おおとり)と雁と群れなして飛び 月の光はさえぎられ
魚と龍と潜み躍って 水はあやしい文様を描く。
昨夜 わたしはひめやかな潭(ふち)に花の散るのを夢みたが…
ああ 春もたけたというのに家へ還りもならず、
河の水は流れ 春は去って尽きようとしているのに
河の潭(ふち)に西に斜いて月はまた落ちかかる。
斜く月はふかぶかと海の霧にかくれて
無限の路を 碣石(かっせき)から瀟湘(しょうしょう)へ 月にまかせて、
たれが帰っていったというのか
落ちゆく月は河辺の樹々に満ちみちる わたしの想いを揺がせて。
何となく、「月下美人」の形容詞が似合いそうな「窈窕淑女」のイメージが浮かび上がってきます。詩句を連ねて描かれる幻想ではありますが、イメージが鮮やかに浮かび上がってくるのが、すごいと思います…
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