忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

深森イラスト遊戯「脇役たち」

九鬼氏に属する中年の男のカラーイラストです。

最初の登場は「第一部/第四章・伊勢道」の末尾部分。

物騒な人相書「欠き眉の豹」を、九鬼幸隆少年と一緒に配布して回っていた、謎の海坊主・中年男であります。何やらただ者では無い…という雰囲気のあるキャラです

このキャラ、最初は「名無し」でした。重要な脇役ですが、名前の考案が間に合わず…

名前の決定が間に合っていたら、カモさんと対面した時に、「それがし、九鬼家に仕える者で、***(役職名)の***(名前)で御座る」と自己紹介させていたのですが…(非常にビシッとしていて、律儀で、礼儀正しい性格のキャラクターなので…)…^^;;;

改めてこのキャラの名前を…、彼は、「迫(サコ)・正徹(ショウテツ)」です。

九鬼氏の有能な家臣という設定で、九鬼氏を「イマドキのナウい戦国大名」と見れば、「国衆」に当たる立場。ですが、この忠実で律儀な性格を主君に買われていて、役職は「目付/横目」みたいな…家臣団の監察役っぽいお仕事をしています。会社組織で言えば、バリバリの監査役(ただし非常勤)でしょうか。国衆の出なので、高位の家臣団の中では中の下か、末席の方でしょうか。割と自由行動の効く立場。

御影王のカラーイラストです。

この少年の場合は、考案に時間がかかりました…^^;

(多分、自分が「その筋のロイヤルな方々」と全く縁が無いのが、原因かも知れないです。本物の「やんごとなき方々」が見かけたら、多分、あまりにも非常識なので、卒倒するキャラクターだと思われます)

カモさんとは小さい頃からのお知り合いで、カモさんからは「ミイ坊」と呼ばれています。

中世の親王の呼び名がどうなっていたのか謎ですが、『太平記』を読むと、大塔宮・護良親王の場合で「大塔宮が、ああしたどうした」という科白が出て来ます。前半部の「何某の宮」という呼称が一般武士にも広がっていた状況かと思われました。この件に関わるアクティブな親王メンバーが多くて区別しにくかったからかも知れませんが、それでも、「護良どの」とか「護良さん」とか、後半部分が一般の呼び名になるまでには至らなかったようです。

一方で「王」の方は、「何某王」とか、「王」を抜いて「何某さま(さん、どの)」という風に本名で連呼されていたようです。この「何某王」呼称は、高位の武家(将軍家)の幼名にも広がっていた様子。えらい格差ではあります…^^;

ヤツマタに属する破邪の剣の使い手である呪術師、タスキさんのカラーイラスト。

分かりやすさのため(誤読を避けるため)、「タスキ」とカタカナで書いてますが、ちゃんと当てはまる漢字はあって、「翼」をタスキと読ませます。

この名前は、東洋占星術に出てくる「二十八宿」の中の「翼星(たすきぼし)/翼宿」に由来しています。陰陽道でお馴染みの四神で言うと、南方朱雀に属する星です。朱雀の翼と見立てられているそうです。

このイラストは、物語時間で言えば、同じヤツマタのアザミ衆である魚(イオ)さんと初めて出会った頃のイメージでしょうか。まだ髪を切っていない頃。線の細い中性的な容姿に加えて、女装その他の変装が上手…という設定のキャラクターです。

PR