震災関連の覚書・続
《2011.4.5メモ》・・・東京電力について、色々な意見をネットで見ましたが、まるっとまとめて「悪の組織」で非難対象なのかは、正直、あまりよく分からないです。同じ組織の中でも、現場に詳しい下請けや技術者や協力会社の人ほど信頼できるというのは同意であります。
初動を決める要素となった情報の格差とかが、大きな問題だったのかなあと思っています。現場に居ないと分からない事は一杯あっただろうし、被災地から本部への連絡手段が限られていたと言うのは事実ですし(扱いの難しいタイプの原発だったのがまずかったのか「後悔先に立たず」ってこの事かと…)
初動時、切羽詰まった状況の中で的確な判断を下せる人材が、東電には居なかった、と言うのが不幸だったのかも知れないです。原発推進のための政治的働きかけや、世論コントロールのための人材には事欠かなかったみたいだけど、原発クライシス状況の中で、責任を持って判断を下せる人材が、上層部には一人も居なかった…ような感じがしました。誰も責任を取りたくなかったのかも知れません。
(だから、東京電力管轄内にある我々が、東京電力に代わって、世界中に対して責任を取らないといけないのかも知れないです。莫大な賠償金額になるのは確実でしょうし、全額、ちゃんと払えるかなあ…汗)
今は、津波にさらわれて行方不明の人が多い事の方が、気になるでしょうか…、まだ数千人が見つかっていないみたいですし…気温が高くなる前に、全員見つかると良いなあと思っています。
★統一選、東電関係者には票を入れないつもりであります(=ここだけは、キッパリなのです。政治ナンチャラよりも、本来の使命である電力インフラ業務に邁進して頂きたいのであります)
★気象庁から放射能拡散の気象データが出てきましたが、英語なのでビックリ。
《2011.3.31メモ》計画停電のチラシを受け取りました。大きな5グループを細分化して5×5のグループ分けにするという内容で、地区ごとの細目グループ区分が、裏に印刷されてありました。
4月以降も電力状況によっては、計画停電があるという事なのだなあと、気を引き締めております。マッチとローソクをもうちょっと買い足してみようかと思案中。前回の停電は、夕食中にパッと消えたので、慌ててしまいました。夜間だっただけに、ケータイの明かりでローソクを探して火をつけたりとか
■【東日本大震災】日病薬の震災レポートから‐調剤機器使えず手作業で(薬事日報2011.03.29)
https://www.yakuji.co.jp/entry22498.html
震災から2週間余りが経過したが、被災地ではまだ放射線と戦いながら必死に診療を続けており、薬剤部ではパソコン機器が使えないため、手作業による調剤が行われている。各地から多くのボランティアが集まり、被災地の活動を支えている。一方で、ボランティアに参加した薬剤師からは、混乱を極める現地で、活動を有効に生かすために、「病院薬剤師と開局薬剤師の連携」や、「持参する医薬品リストのデータ化などが必要」との声も寄せられている。25日までに日本病院薬剤師会に寄せられた活動報告をまとめた。
福島県いわき市の舞子浜病院では、建物1階が海水につかり、患者は2階より上に避難した。同院および関連の老健施設、グループ病院の3施設は、いずれも大地震と津波の被害を受け、甚大な影響を受けた。職員は放射性物質から少しでも身を守るために、ビニール袋を頭から被って、毎日被災した職場に出勤しているという。市内の保険薬局が店舗を閉めており、院外処方の応需が止まったため、さらに混乱は深まった。
調剤室は浸水し、オーダリング、分包機、薬袋プリンター、その他パソコン機器などほとんどが使えなくなったため、散薬や錠剤を全て人の手で薬包紙に包んで投薬を行っている状況。
同じくいわき市のいわき市立総合磐城共立病院では、自主避難する職員もあり、スタッフが減少傾向にある中、40歳以下の職員にヨウ化カリウム丸を配布し、困難な中で外来診療を継続。しかし、院外処方せんやお薬手帳による調剤を求め、薬局窓口には患者が殺到している。情報伝達がうまくいかず、「薬がない」など誤った情報が伝わり、混乱を招くシーンもあったという。16日は外来受診患者を最優先に調剤したが、17日から近隣薬局が業務を再開し、院外処方が可能となった。しかし、保険薬局では患者待ち時間が4~5時間かかっている。
南相馬や双葉郡、いわき沿岸部に住む原発事故や津波の避難者が、薬を求めて大勢来院している状況。薬剤師4人が、病院の正面でドラッグトリアージを実施し、持参薬鑑別を行っている。
被災地には、数多くボランティアが集まっている。東京大学病院では内科医師、精神科医師、薬剤師、看護師、事務官の5人を1チームとして、石巻赤十字病院で支援活動を展開している。現地では、避難所の巡回のほか準夜勤シフト、トリアージ業務などを実施している。同病院では、日に1300枚程度の処方せんが出ているが、救護班に薬剤師が編成されていない医療チームでは、対応が困難という。応援に駆けつけた長野赤十字病院薬剤部からは、圧倒的な薬剤師不足の声が届いている。
三重大学病院は、岩手県陸前高田市の仮設診療所で支援活動を続けている。同院の村木優一氏は、ボランティア活動の問題点も指摘。「支援チームが自分勝手な日程で、好きなことをして、好きなときに帰るような状況が見られ、被災した医療スタッフから、そうしたことを訴えられることもある」とする。
ボランティア活動を真に有益なものにするために、支援のために持参する医薬品は、「必ずデータでリスト化して持って行くべき」と呼びかけている。また、各地区に開設される診療所の医薬品集を作るなど、後方支援も有効とした。陸前高田市周辺では、各診療所の院外処方に踏み切り、診療後に処方せんを収集し、一括して調剤した後、避難所に届けるといった仕組みを取っている。そのため「県薬と病薬の連携が非常に重要」ともした。
■日本海溝の崖発見 東日本大震災で隆起、津波起こす―宮城沖、有人潜水艇で・新潟大(時事通信2023.12.27)
新潟大の植田勇人准教授らは27日、文部科学省で記者会見し、昨年9月に宮城県沖の日本海溝を米国の有人潜水艇で調査した成果を明らかにした。水深約7500メートルの深海底には、東日本大震災の大地震が発生した際、大きく隆起して津波を引き起こした地形があり、先端が高さ26メートルの崖になっているのを発見した。
日本海溝では陸側プレートの下に海洋プレートが沈み込んでおり、海底下の広範囲の境界が急に滑って大地震が発生した。大震災直後の音波探査で、日本海溝付近の海底が大きく隆起したことが分かっていたが、先端の崖を有人潜水艇で観察できたのは初めてという。
植田准教授は「(陸側プレートの)地盤の先端が東へ80~120メートル動き、先端が急激に約60メートル持ち上げられた後、崩壊して崖ができたのではないか」と話した。崖の下には崩れた泥の塊が広がっている様子が見られた。
調査は新潟大や東京海洋大、西オーストラリア大などの国際研究グループによる日本付近の海溝潜航調査の一環として行われた。日本海溝については、今後多くの地点で調査できれば、津波を引き起こした海底地形の変化が詳しく分かり、災害予測に役立つと期待されるという。
■東日本大震災で日本海溝底に生じた断層崖を世界で初めて発見(2023.12.27)
https://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20231227/(国立研究開発法人海洋研究開発機構)
新潟大学⾃然科学系(理学部)の植田勇人准教授、東京海洋大学の北里洋客員教授、西オーストラリア大学、海洋研究開発機構、南デンマーク大学の研究者などで構成される国際研究グループは、2011年東北地方太平洋沖地震の震源域にある宮城県沖の水深約7,500mの日本海溝において有人潜水艇による海底調査を実施しました。その結果、同地震で隆起した海底に高さ26m(7~8階建てのビルに相当)の断層崖を発見しました。現地で計測した地形を詳しく調べた結果、地震が発生した際に日本海溝底では、断層に沿って海底が水平に80~120m動いたことにより先端部がおよそ60m持ち上げられ、その一部が崩壊して断層崖になった過程が示唆されました。本研究の成果については、2023年12月6日付で米国地球物理学連合が発行する専門誌『Journal of Geophysical Research – Atmospheres』にて発表されました。