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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2010.6.23ホームページ更新

以前にお知らせしていました通り、ブログに今まで掲載していた一点もののイラストを並べて公開しているページ〈深森ノ画廊〉を作りました^^

直通アドレス=[http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/gallery.html

さすがに、「一生懸命描いたけど、アマチュアでシロウトな所が抜けてないから気恥ずかしい」という事で、こそこそ…と、リンクを作ってあるので、すぐには見つかりにくいかも知れませんが…(イラスト系という事で、「物語ノ本流」に付けた「説明書(画風の説明)」の部分に、「深森ノ画廊」へのリンクを付けてあります)…^^;

…お知らせだけじゃ内容が薄いので(笑)、現在、気になっている箴言など…^^

岡潔(おか・きよし)の箴言・・・

人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある。メロディーがいきいきしていると、生命の緑の芽も青々としている。そんな人には、何を見ても深い彩りや輝きの中に見えるだろう。
ところが、この芽が色あせてきたり、枯れてしまったりしている人がある。そんな人には何を見ても枯野のようにしか見えないだろう。これが物質主義者とよばれる人たちである。
生命の緑の芽の青々とした人なら、冬枯れの野に大根畑を見れば、あそこに生命があるとすぐわかる。生命が生命を認識するのである。こうした人にはまた、真善美の実在することも分かる。しかし、物質主義者には決してわからない。
物質主義とは何であるかといえば、「初めに時間・空間というものがあって、その中に自然というものがある。その自然の一部が自分や人の肉体即ち自分や人である。自然は物質である。だからすべては物質によって説明がつく」というので、ここまでならば物質思想であるが、そうとしか思えないということが加わっているから物質主義である。これが今のたいていの日本人には仏教でいう先入観としてはいっている。
その結果、今たいていの日本人は自分が死ねばそれきりだし、生まれぬ前の自分などというものはないと思っている。これが仏教でいう偏見である。これが実に困るのである。

ヒュパティアの箴言・・・

生きると言うことは、世界が広がっていくことである。人生を旅すれば旅するほど、より多くの真実を理解できるようになっていく。戸口にあるものを理解することは、その先にあるものを理解するための最善の準備になる。
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