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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

天才とは何か・考4&補遺(創作論)

中世ヨーロッパに生きた修道士にして学者ジョルダーノ・ブルーノは、こう言いました。

『諸君が広大な天空を見上げる時、太陽も諸惑星も地球の周りを回っているように見える。そして、青空は青い壁のように見える。この青い壁は、諸君の認識能力、知覚能力がそこまでしか達していないために、そのように見えるのだ。しかし、諸君の限られた感覚が壁しか見ようとしないところには、無限の空間が拡がっている。そこには無限の宇宙が存在しているのだ。』

青い壁。
認識の地平線。
この限界、世界と人間とを隔てる、強い呪縛にして制約。

従来の限界、あるいは認識の壁を突き破る。それは人類が成しうる、最も創造的な行為であります。

生物学的な脳みそにとっては、大事に大事に溜め込んでいたエネルギーを、今まさに壮大に燃やしつつ、新しいシナプスを創造してゆくプロセスとも言えますでしょうか。

天才という名の能力――スケールのデカい想像力と創造力は、そのシナプスの炎を、常人より大きく燃やすことができる。

ゆえに、それだけ遠くまで、「知」の火花が届く。

――天才とは何か。

その、最も共通的な要素で言うのなら。

壮大かつ深遠なる想像力と、たゆまざる創造力によって特徴づけられる存在だ、と言う風にまとめられるかな~と、思っているのであります。

おしまい

*****

【補遺/創作論】

「天才キャラクター」を表現するには、当然ながら、天才がちゃんと活躍する場が必須になります。

この辺、「そのキャラクターは、どの分野の天才であるのか」という設定要素が左右する部分なので、割とストーリーの舞台は限定されてくるように思われます。

ことに人間関係は重要な要素かも知れません。社会環境が悪かったために、あるいは周囲の理解が無かったために、貴重な才能を無駄につぶしてしまっていたと言う話は、多く聞かれるところであります。

オーソドックスに「そのキャラは学問の天才である」という風に設定した場合。

そのキャラクターが、その本領を発揮するのは、やはり学問の場ということになります。

リアル地球の古代であれば、アレクサンドリア大図書館のような舞台立てなど。

アレクサンドリア大図書館が、古代ヘレニズム科学の中心だったという話は有名です。プトレマイオス朝エジプト王国が元々純粋な学術研究を奨励していた事もあって、世界トップレベルの頭脳を呼び集める場となっていたとか……

逆に言えば、高度な学術書の蔵書数を誇る図書館だけがそこにあっても、その学術書の内容を読解し活用できるレベルの天才たちが集まって来なかったら、意味は無い……ということで。

此処はリアルの話になりますが

新しい学術文化の発展に必要なのは、戦争や狂信的ファシズム独裁などの政治的条件に囚われる事のない、自由な言論の場。

ただ、こういった場を維持するのに非常にお金がかかるのは確かで、いかに富強なパトロンや予算を確保し、配分・調整するかというところからして、難しいところかも知れません。

何を実績とし、学問的な成功とみなすかにもよりますが……有意義な成果がいつまで経っても現れなければ、投下した分の資金は「ムダ金だった」と判断されがちですね(汗)。

閑話休題。

学問の発祥の地は古代ギリシアでした。プラトンの「学園/アカデメイア」に始まる学問と教育の源流だったギリシアが、その後、天才たちが活躍する場(アレクサンドリア大図書館のような場)を構築しえなかったのは、政治的な要素が強まっていたためだそうです。

いわゆる学閥です。

かつての偉大な業績を誇る古い学閥が力を持ち、固定観念も強固になった結果。

学問の自由が狭まって硬直化し、学問の交流も少なくなり、未来の学問をリードする天才を輩出できなくなって衰退していったという話がありました。

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