黒いお金「阿片」・わき道の考察
《考察テーマ》武器商人グラバー…明治維新はフリーメーソンの陰謀だったのか?
商人グラバーが属していたジャーディン・マセソン商会は、上海サッスーン商会と共に、フリーメーソン人脈にあった組織だったそうです。話の真偽は分かりませんが、どちらの商社も、その「怪しげな人脈の巣」は、ボンベイのイギリス東インド会社と、イギリスの首都ロンドンにあったと推測できます。
彼らは阿片業者でした。その活動の第一目的は、新たな阿片市場の開拓にあった筈です。
ところで、「フリーメーソンそのものに関して」ですが…;
当時の「霧の都ロンドン」の社交界は、シャーロック・ホームズ物語や吸血鬼&フランケンシュタイン&お化け屋敷といったゴシック・ホラー物語が人気を博し、心霊現象がブームだった上に、薔薇十字団運動とフリーメーソン運動が合体して、超オカルトな状況になっていました。
中心となったのは、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の「オカルト趣味の各種研究&社交クラブ(=薔薇十字の名前を色々付けてたグループ)」です。ドイツの薔薇十字団があまりにも魅力的なものだったから、という事もあるかも知れませんが、この辺りは、一昔前の超能力ブームや新興宗教ブーム(富士山麓オウムetc)、怪談ブームを思わせるものがあります。
そんな中で、1867年にロンドンのメーソン会員であったロバート・ウェントワース・リトルとケネス・マッケンジーが、「イギリス薔薇十字団(SRIA)」を設立。理念的にはドイツ薔薇十字団のイギリスへの移植から始まったわけですが、スコットランド式メーソン的な儀式を取り入れたため、内部意見が合わず、何人か退団者を出しています。
この19世紀バージョン・フリーメーソンの内部紛糾には、イングランドとスコットランドの長きに渡る怨念と申しますか、文化的・政治的対立が絡んでいたようです。中世イングランド王エリザベス1世(在位1558-1603)の後が元スコットランド王ジェームズ1世(在位1567-1625)で、そのイギリスの王位継承システムを考えると、さすがに気が遠くなって混乱してまいりますが…^^;
そして、日本で明治維新が起きていた時代のイギリス王室は、ハノーヴァー朝(1714-1901)でした。神聖ローマ帝国選帝侯の血が入っていたのであります。そのままサクス=コバーグ=ゴータ朝(1901-1917)を経て現在のウィンザー朝(1917-)に改名。
解説できるほど詳しくは知らないのですが、ひとくちにイギリスといっても、その王室事情はかなり錯綜しているわけです。当然、ロンドン社交界で始まったばかりの「なんちゃって薔薇十字団フリーメーソン活動」も、かなり混沌としたものであったと推測できるのです。
現在は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」。さらに海外移民が流れ込んでいるわけで、フリーメーソン含むロンドンのスピリチュアル社交界は、いっそう妙な事になっているのだろう…と、想像しております…^^;
…閑話休題…^^;;;;;;;;;
商人グラバーはジャーディン・マセソン商会の手先で、したがって、ゆくゆくは阿片を扱ってひと山当てようという「いかにも胡散臭い商人」だったと考えられますが、彼が1859年の長崎にやって来て、「日本をチェンジする!」とか何とか、夢見る若者を扇動し、ぶち上げるわけです。
ちなみに、坂本竜馬その他の方々が本当に「フリーメーソンの手先」だったかどうかは知りませんし、手先らしく行動したかどうかも分かりません。ですが、並みの日本人以上に過激派の素質があり、新時代に向かう想像力と行動力に恵まれていた…ということは、間違いなく確実だと思います。そして彼らは実際に、稀有のチャンスをつかんだのであり、それは評価されてしかるべきだと思います。
※余談ですが、当時のジャーディン・マセソン商会の長崎代理人の名前が、ケネス・マッケンジー。イギリス薔薇十字団とフリーメーソンに所属していたオカルト趣味のケネス・マッケンジーと同一人物かどうかは分かりませんが、年齢的にはグラバーより数年先輩で、いかにもピッタリです。非常に興味深い偶然です…^^;
さて、ジャーディン・マセソン商会の本国イギリスは、日本に干渉する気満々だったようです。つまり、日本にも、清と同じような阿片消費市場を作るつもりだったのです。阿片戦争(1840-1842)に勝利した後、堂々と阿片を密輸できるようになり、1845年に日本に艦隊を派遣する閣議決定が下った…という物騒な話があります。
グラバーが「チェンジ!」をぶち上げたのは、その露払い的な意味があったと考えられます。
しかし、イギリスでは、阿片戦争後の後始末が大変で、特に翻訳の食い違いなどの整備に時間がかかったようです(今と同じで、清の役人や業者は、ルール外の行動を取って、イギリスの阿片業者を翻弄する人が多かったのでは…)。しかも清における膨大なルンペン層の増加によって、多数の「幇」の活動が過激化し、租界周辺の治安が急激に悪化しておったわけです。
- イギリス・フランス租界を大混乱に陥れた太平天国の乱(1851-1864)。
- ロシアの南下政策が全ヨーロッパの危機を招いたクリミア戦争(1854-1856)。
- 第一次インド独立戦争(1857-1859)と呼ばれている、「セポイの反乱(インドの大反乱)」。
- アロー号事件の調停が失敗してアロー戦争(1857-1860)。英仏連合軍で対応。
イギリスは、清・クリミア・インドに張り付いたまま、10年以上もの間、動けなかったのでした。
…そんなわけで、実際に日本に開国を迫ったのは、アメリカから来たペリーの黒船(1853)。
…結果的に、日本に居たグラバーは、矛盾に満ちた活躍をする事になった筈…^^;
グラバーは、薩摩・長州・土佐グループ、つまり討幕派に鉄砲と軍艦を売りつけます。その鉄砲をどこから仕入れて来たかというと、アメリカです。アメリカの南北戦争(1861-1865)が終わって、鉄砲がただ同然の値段であったので、それを持ってきて薩摩に20万丁くらい売りつけたという…
…これが、戊辰戦争(1868-1869)で、明治新政府の火力として活躍した武器です…^^;
そして明治新政府は、阿片に対して異様なまでの警戒心を持っていました。
政府発足してわずか3年目、1870年には阿片取締りのための法令を次々に打ち出し、日本主導の阿片専売制を確立。西洋列強による阿片の市場侵略を食い止めることに成功しました。
※阿片専売制の整備に際して、日本産阿片についても外国産阿片についても綿密に市場調査を行ない、諸外国と辛抱強く折衝し、買入価格を決定したと言うのだから驚きなのです(当時、阿片交渉を担当した官僚が、よほど優秀だったに違いない)…^^;;
西洋列強の干渉のはざまを、ギリギリまで有効活用したのが「明治維新」だったのです。それは必然として、「フリーメーソンの陰謀」を逆手に取った形となった…のでは無いでしょうか。〈阿片経済〉がすさまじい成長を遂げていた情勢の中で、密輸阿片が日本国内に蔓延しなかっただけでも、十分な成果であったと思います…
ジャーディン・マセソン商会その他、およびフリーメーソン的な商売人が、「明治維新」=「日本市場(二匹目のドジョウ)が独占できる/日本中を阿片漬けにして大儲け!(笑)」程度の、いかにも阿片業者的な目的を持っていたとすれば…
…実際の明治維新が完了したとき、フリーメーソン的な彼らは、結果的に、「カンペキな誤算だった…orz」を自覚した筈なのであります…^^;;;
…以上、〈黒いお金=阿片〉の視点から見た、「明治維新フリーメーソン陰謀説」についての、ささやかな考察でした…^^;
FriendFeedコメントより転載
《2010.2.10つぶやき》宋三姉妹の宋靄齢・宋慶齢・宋美齢についてネット検索でいろいろと眺めていたのですが、三女・宋美齢(蒋介石の夫人)が卒業した「ウェルズリー大学」って、ヒラリー・クリントンやマデレーン・オルブライト(アメリカ初の女性国務長官)の母校でもあるらしいのですね。これはちょっと意外でした。ヒラリー氏は女性初のアメリカ大統領になるか?と騒がれた女性ですし、「ウェルズリー大学」は、大きな権力を振るう女性(殆ど魔女的逸材?)が育ちやすいのでしょうか。宋家はフリーメーソンだったそうですし、オカルトな意味で考え込んでしまいました…^^;
はあ、そうだったのですか。ヒラリーもそうだったんですね。また孫文の革命は洪幇の支援を受けたればこそ「成功」したわけで、ここでも洪幇とフリーメーソンの関係がうかがえます。これはオカルトというより影の歴史を窺ううえで興味深い事項だと思います。ついでに述べておけば89年の天安門虐殺を逃れた学生リーダーたちを匿い海外へ逃亡させたのも洪幇のネットワークだったようです。つまり次に起こるべきシナ革命もたぶん洪幇はになうことになるのではないでしょうか? - 丸山光三
《返信》〈89年の天安門虐殺を逃れた学生リーダーたちを匿い海外へ逃亡させたのも洪幇のネットワーク〉そんな事があったのですか?全然知らなかったです。〈次に起こるべきシナ革命〉=可能性としてはありそうです。今の指導者層に民主化を進める意思が無ければ、近い将来、彼らが〈シナ革命〉という形でその役目を負うかも。今、「いわゆる中華五千年の歴史」で、初めて農民層が真面目に勉強しだしているんですね。都市からボランティア学生も入って、情報が増えているとか。国土が広大なので時間はかかりそうですが、「その時」がくれば、需要と供給の歯車が噛み合って、一気に情勢が流動化するかも知れませんね…^^;