古代科学漂流の章・中世7
区切りの都合で短いですが、何とか形になったので、【前篇】に続けてみました
【ゴート語の聖書・後篇】
332年、コンスタンティヌス大帝は、幾度も事を構えたゴート族と協定を結びました。
その際のゴート側の外交使節団の通訳として登場し、次第に面倒な外交交渉のメイン担当を任されるようになったのが、弱冠21才のウルフィラだったそうです(…非常に根性のある方だったのですね…^^;)
彼はその後、ローマ側の総主教に語学その他の才能を見出され、ローマ帝国でもトップレベルにあった学問の府、シリア領・アンティオキア教会併設のアカデミアで本格的に聖書を学び、ラテン語、ヘブル語、アラム語を習得したという事です。当時の聖書は音読、しかも詠唱するものでしたが、ウルフィラの詠唱は上手だったそうです。
※ちなみに、ウルフィラはアリウス派キリスト教に属していました。折りしも帝都コンスタンティノープルでは、アタナシウス派とアリウス派の三位一体論争に火が付き始めているところでした。時代がもう少し後にずれていたら、聖書のゴート語への翻訳作業がどうなっていたのか…、ちょっと想像がつきません…^^;
さて、司教の叙階を得たウルフィラは、ダキア領の伝道に努め、徒手空拳で数々の宗教弾圧を乗り越え、ドナウ川の南岸、現在のブルガリア国内にあるミノル=ゴート村という場所にキリスト教徒のゴート人と共に入植し、聖書翻訳を開始したと伝えられています。時に西暦348年頃、ウルフィラ37才であったそうです。
ゴート語聖書への翻訳の際の借入語は、例えば「天使」=「アンギルス」、「悪魔」=「ディアバウルス」などです。いずれもゲルマン語には無かった言葉で、ギリシャ語の音を借用したものだそうです。後世は各々「エンジェル」、「デヴィル」、と変わっています。
ウルフィラが最も苦心したのが、「神」という言葉を母国語に翻訳する作業だったと言われています。ギリシャ語の「ホ-テオス」に当たるゴート語は無かったわけです。日本語での「デウス」が根付かなかったように、このままでは「テオス」がゴート人ひいてはゲルマン人に根付かない、という事は明らかであったろうと思われます。
最終的に、ゴート語の「神」は、「Guþ(グス)」という言葉で表される事になりました。
・・・はじめにグス、天地を造りたまえり。・・・
これが「God(英語)」、「Gott(ドイツ語)」、「Gut(北欧語)」の語源となったと言われています。その影響の大きさは、察するに余りあります。
この「グス」という語は古代ゴート語の「相談者/対話者」という意味を受け継いでおり、個人個人の精神内部での言葉の格闘を要求するものであったのではないか?という指摘があります。「グス」を受け継いだ英語圏、ドイツ語圏の人々は、他人との対話を基軸とした民族性を培っていったという事です。
ギリシャ語の「テオス」がそのままラテン語の「デウス」となったラテン語圏では、「神」は、そのまま天空に光り輝くものとして捉える民族性を育てていったのだと申せましょうか(例:フランスでは「Dieu」と言う)。
ごく大雑把にラテン精神、ゲルマン精神、言い換えればカトリックとプロテスタントの違いは、受け継いだ言葉の違いによるものが大きいのかも知れない…というのも、納得できるものであります。
ゴート語の聖書が、西欧の「心」を作った。その巨大な遺産に、圧倒されるものであります。
☆おまけの知識=《ゴート語の「愛」》
キリスト教神学では、「愛」は「アガペー」と「エロス」で区別し、対比させて考えるという事です。
ウルフィラは、この「愛」を、ゴート語で「frijaþwa(フリヤスワ・愛)」、「frijon(フリヨン・愛する)」と翻訳しているという事です。この「fr-(フル)」系統の単語は、そのままインド=ヨーロッパ祖語を復元できるほどの古い言葉で、当時から既に、大変古風な匂いのする単語であったろうと言われています。
今では、「fr-(フル)」系統の単語で「free(英語)」、「frei(ドイツ語)」という言葉が使われていますが、どちらも、古代ゲルマン語時代では「愛する」と「自由な」の両方の意味を担っていた言葉だそうです。現代ドイツ語にも、「freien(求婚する)」という言葉に意味の名残があるそうです。
ついでながら、ゴート語で「自由な/愛する相手」を「frijonds(フリヨンズ)」と言います。
これが現代の「友人」を意味する「friend(英語)」、「Freund(ドイツ語)」の語源だそうです。