物語夢「探査機」3
通信の往復時間が30分を切った頃、母星からの最後のセット指令が届いた。
「採集したサンプルのカプセルを、いつでも分離できるようにセットせよ」
「くだんのカプセルを、こちらの指示タイミングに従って本体より分離せよ」
「すべての作業を終えた後、大気圏突入せよ」
私は、「やはり」という風に納得していた。設計時の想定の限界を超えて満身創痍を重ねた私の機体は、ほとんど機能しない。姿勢制御機能が満足に動かないため、母星の研究者たちは、私を適切な落下軌道に乗せるのに、ずいぶん苦労していたのだ。
この機体の損壊状態では、リサイクルすることも難しいはずだ――これほど機体が損壊していなければ、私は古株の人工衛星と共に母星を回りながら、研究者の卵たちと共に、老後を観測三昧で過ごす予定だったのだが。
私は、不意に言いしれぬ感覚を覚えた。小天体での感覚とはまた別の感覚だ。
多種多様の解析データに、説明のつかないノイズが混ざる。「私」は、再び涙を流したらしい。
――「私」は「私」である。それを誰に伝え得よう。
ざわっとした感覚が、さざ波のように全身を走った。おそらくは毎度のノイズかエラー信号なのであろうが――「私」は確かに、その「ノイズ」を自ら発生し、加工し、システムを動かす「コマンド」として打ち出した。
この最後の任務では必要ないはずの、映像記録および転送用のシステムが起動した。母星からの指令には無かったコマンドである。私の状態を逐一モニターしているであろう母星の研究者たちが、不可解さに目を剥いている様が、目に見えるようだ。
――エラー信号となって飛び火した物であるか。それとも「私」という意思の産物か。
いずれにせよ、もはや余計なことを思う時間は無くなった。
母星の強烈な重力が、私の機体を容赦なく引き寄せる。私はますます速度を上げて落下軌道を辿っていった。私は冷静にカウントをとった。採集サンプルを密封したカプセルは、いつでも分離できる状態だ。
指定のタイミングが到来した。私は正確な時刻に、カプセルを分離した。わずかな間の同伴者でもあり、私が消滅してもなお、私が存在した証を伝える最後のパーツ――分身だ。私は不意に、強烈な感覚をハッキリと知覚した。これは動揺なのか。それとも、別の物なのか。その曰く言い難い感覚の、存在の確かさに、私は全身を震わせた。
――「私」を「私」たらしめるモノは、何?
――「私」は、まだ「それ」を知らない。知りたい。どういうことなのか知りたい。
次に私を襲ったのは説明のつかない衝動だった。エラー信号かノイズか、我が身に組み込まれたプログラムの制御下には無いはずの「それら」は、不意に意味のあるコマンドの群れとなって私を襲った。
私は訳の分からぬ衝動に突き動かされるままに、全身を回転させた。カメラが視野いっぱいに広がる母星を捉え、爆発的な映像データを送り込んだ。明るすぎる。無意識のうちに、私はカメラの感度を下げた。
母星の研究者たちは、私が中継した映像データの群れに、混乱しているであろう。そんなコマンドを、「探査機」たる私に送った覚えが無いからだ。私の勝手だ、申し訳ない。
――故郷よ!故郷の緑の大地よ!
最後のタイミングで撮影した映像は、私を生み私を育てた研究所があるはずの、緑したたる沃野を捉えていた。