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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ノート:物理学の来歴・2

テキスト=『磁力と重力の発見1‐古代・中世』山本義隆・著(みすず書房2004)

物理学の形成をトレースする事とは、「力」概念の形成と発展をトレースする事である。

「力」とは何か。

元々は、人が手で物を持ち上げたり運んだり、人間同士がじかに押し合い引き合いした時の「手応え」の感覚から、「力」という表象が形成され獲得されてきたものであろう。

そのように「力」は、擬人的な観念という側面を持っている。当初から「それ」は直接的な接触によってのみ働き、介在する腕や道具を通じて物体の運動を起こすものであると考えられてきたのは、自然な事である。物理的には、「近接力」という言葉で言い表される概念である。

「近接力」という概念は、1000年以上もの間、アプリオリに認められるものであった。

  • 「作用には必要条件として近接性が要求される」by ロジャー・ベーコン、13世紀
    approximatio requiritur ad actionem necessaria conditio.
  • 「接触による以外には、物質による如何なる作用もありえない」by ギルバート、16世紀
    Nulla actio a materia fieri potest nisi per contactum.

(補足)ギルバートとその業績について書いてあるサイト:[電気史偉人典

遠隔力が「如何に認められていなかったか」は、たとえば以下のようなエピソードにも窺える。

17世紀前半、旧来のアリストテレス自然学に取って代わる新しい科学の覇権をめぐって、デカルトやガッサンディたちの機械論・原子論哲学と、パラケルスス主義者の化学哲学が争った事があった。

その論争のひとつの焦点になったのが、パラケルスス主義者の主張する悪名高い「武器軟膏」であった。それは、刀傷の治療のため、傷にではなく、傷を負わせた刀の方に軟膏を塗ればよいという薬であり、「それにより、たとえ20マイル離れていたとしても、傷ついた兵士は癒される」と語られたものである。

もちろんこのようなオカルトな治療法は、機械論・原子論者からだけでなく、アリストテレス・ガレノス主義の医師たちからも、ナンセンスとして批判され、もしくは魔術として弾劾されていた。しかしそれを突き詰めれば、「遠隔作用などありえない」という「常識」に帰着するのである。

したがって、ニュートンが天体間に働く重力を力学と天文学に導入して世界の新しい体系を解き明かしたとき、今では考えられないほどの厳しい批判が行なわれたのであった。近代科学派であったデカルトのエピゴーネンやライプニッツから、他方では守旧派ともいうべきアリストテレス主義者からも、「遠隔作用などありえない」という批判が繰り返されたのである。

ガリレイが、潮汐に対する月の影響というものを頑なに認めようとしなかったのも、「遠隔作用などありえない」という、まったく同じ理由からである。

天体間の重力は、魔術的・占星術的思考には馴染み良いものであったのに引き換え、万有引力を含む「遠隔力」の概念は、当時の新しい科学のリーダーにも、旧来の科学の擁護者にも、同様に認めがたいものであったのである。

さてこのような「遠隔力などありえない」という論理に真っ向から反していたのが、他でもない磁力の存在であった。「武器軟膏」による治療が別名「磁気治療」と呼ばれたのも、その遠隔性の故にであった。

14世紀のウィリアム・オッカムにしても、「磁石の力は遠隔的に作用する」と認めざるを得なかったように、磁力の存在は、当時の常識を通じて《観察》されていた自然界において、唯一の神秘的な例外であったのである。したがって磁力は、「魔術的な」遠隔作用の表象でもあった。

当時、「武器軟膏」の発案者のように言われたパラケルススは、星や月の地上への影響を信じていた。精神病について記した『人から理性を奪う病気』で、そのことについて次のように語っている。

星辰は、我々の身体を傷つけ弱らせ、健康と疾病に及ぼす力を有している。それらの力は物質的にないし実体的に我々の元に達するのではなく、磁石が鉄を引きつけるのと同じように、見えない感じられない形で理性に影響を及ぼす。

磁石の力は接触無しに働くゆえに、不思議なもの・謎めいたもの・神秘的なものとして、古来、生命的なものないし霊魂的なものと見なされ、しばしば魔術的なものとさえ考えられてきた。

ギルバート曰く「哲学者たちは、多くの秘密を解明するにあたって、訳が分からなくなり議論に行き詰まると、きまって磁石や琥珀を持ち出し、理屈っぽい神学者もまた人智を越える神の秘密を磁石や琥珀によって説明しようとしてきた」のである。

19世紀のバルザックの小説にも、「説明することも出来ない磁気的な魅力」という一節が書かれたように、かくのごとく磁力は、説明不可能の代名詞であった。かのアインシュタインにしても、これは同様だったのである(幼児期に羅針盤が勝手に動くのを見て、不思議に思った、という)。

現代人にとっても、教育による刷り込みが無ければ、やはり「遠隔作用」は不可解なものなのである。

このような条件の下にあって、天体間に働く重力という「力」の表象を獲得する際に、磁力からの連想が果たした役割は、絶大なものであったという事が出来る。ケプラーやニュートンといった天才のひらめきは確かに偉大なものであったが、ひらめきでしか説明が付かない、という事になると、近代物理学の歴史的展開が如何にして行なわれたのかを論じる事は出来なくなる。

実際にギルバートは「月は地球に磁気的に結び付けられている」と語ったのであるし、重力は距離の2乗に反比例して減少すると最初に語ったフックは、「ギルバートが最初に重力を地球に内在する磁気的な引力と考え、高貴なヴェルラム(=フランシス・ベーコン)もまた部分的にこの見解を受け入れ、そしてケプラーはそれをすべての天体、つまり太陽や恒星や惑星に内在する性質であるとした」と書き残したのである。

上のフックの言説からも分かるように、近代科学成立以前の磁石をめぐる魔術的な言説や実践を無視しては、近代科学につながる「力」概念の形成と獲得は困難であっただろう、という事が理解できよう。

・・・[ノート:物理学の来歴・3]に続く・・・

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