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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

断章・航海篇2ノ2

【ティグリスとユーフラテスの岸辺・・・シュメール人の《悲傷》】

7000年前のイラク南部で、「ウバイド文化期」が開花した。1500年の時を経て、ウバイド文化に育まれた町・村が、都市へと発展する。この都市文明を作り上げたのが、シュメール人であった。

「神話」は、シュメールに始まる。

人が環境を理解し、環境をコントロールするための「物語」を作り・・・そして、自らの〈現実〉をこの現世に結ぶための神話(後の都市神話または国家神話)を構成し始めたのは、シュメールにおいてである。

肝心のシュメール人がどのような人々であったのかは、未だ明らかでは無い。「シュメール」とはアッカド語による呼称であり、シュメール自身は、自らの国を「キ・エン・ギ」と称したと推測されている。「大地ノ主ノ都」という程の意味合いであるらしいと言われている。

彼らは、メソポタミアの南東方面から、ペルシア南部の道もしくはペルシア湾を通じて渡来してきた人々であると推定されている。実際、彼らは、肉体的にも言語的にも、セム系統では無かったという事が言われている。早くから船を使い始めたという話がある事から、海上渡来説も提唱されている。

★もう少し詳しく言うと、7000年前に渡来した人々がシュメール人の祖族であったかどうかは分かっていないという事である(このあたりに、実は宇宙人アヌンナキが文明をもたらしたのだ、云々…という深刻なツッコミがあるのだが)。しかし、1500年経過した後には既に、間違いなくシュメール地方にシュメール人が居た。

「シュメール神話」とされるものの殆どは、後に支配者となったセム諸族の神話や(後にバビロニア神話体系を形成)、放浪の民ヘブライの神話『旧約聖書』として再編集されており、物語の原形が広く散逸して久しい現在、元々の物語が如何なるものであったかは、粘土板に刻まれた内容を復元して推測するしか無い。

(最近は、粘土板の解読研究も進み、かなりの事が明らかになってきているそうである。将来の進展が期待される。)

しかし、シュメール神話は、メソポタミアの地理環境の中で、如何にして文明秩序を守り、伝承してゆくのか? という営みと密接に関係するものであった筈である。

ティグリスとユーフラテス。この大河は周期的に大洪水を起こし、その流域に、一大氾濫原…葦の茂るみどりの岸辺、広大なる湿地帯を形成していた。

古代シュメール人がまず挑んだのは、この湿地帯との闘いであった筈である。排水を伴う灌漑技術。それは、メソポタミア地方において、都市・農耕・交易路の整備、あらゆる文明活動の道を開くための必須技術であった。

さて、シュメールの活動は以下のようなものである。

湿地帯周辺に神殿および都市を建造した。灌漑農業を行ない、コムギおよびナツメヤシを栽培し、家畜を飼育した。西アジア由来の牧畜型農耕社会の始原である。

ティグリス・ユーフラテス水系に運河を造成し、ペルシア湾を航海する船を建造し、海洋交易に乗り出した。彼らシュメール隊商は、遠くインダス文明の諸都市とも交易を行なったと言われている。また、陸路交易では、イラン高原、小アジア、シリア、エジプト方面まで流通を開くものであった。即ちオリエント交易圏の始原である。

物語とは、何か。そのもっとも劇的な回答が、シュメール人の活動の中に読み取れる筈である。

文明の確立は、何世代もの挑戦と失敗を繰り返して進んできたものである。その過程に、どれほどの《悲傷》が溜められてきたであろうか。そのやりきれぬ多くの《悲傷》が神々を求め、神々は物語を歌いだした。太古の神々の物語は、音楽と数学と共にあった。

それは大いなる言霊の発動であり、ロゴスの〈アルス・マグナ(大いなる術)〉であった。

周期的に大洪水を起こす、ティグリスとユーフラテスの岸辺。彼方から押し寄せる、異民族の襲撃。

物語の海の根源の底には、「世界」を切り取る過程で否応無く降りかかってきた挫折や矛盾や悲しみが、色濃くたゆたっている。もし、「世界を切り取る」という作業が、その裏に闇の相を持たず、楽しくまたスムーズに成功してゆくものであったならば、《物語》は決して生まれてこなかった筈である。

…光と闇で織り成される世界において、その初めより、《歴史》は光を語り、《物語》は闇を語ることを宿命付けられたのだ。

・・・次回に続く・・・

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