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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作20

異世界ファンタジー6-2降る雪:《霊送り》

ユーフィリネ大公女の墓穴発言をきっかけとする、王宮における捕り物劇がピークを迎えていた頃。

王宮内部の騒動など全くあずかり知らぬ平民たちの日常は、冬本番の到来と共に、穏やかに過ぎて行った。強烈な寒気に包まれると、灰色の分厚い雲の下、早くも初雪がチラホラと舞い始めた。

養老アパートの一室、ほとんどの家具が運び出されて広々となった居間の床に、熟練の神祇官の手によって、《霊送り》のための魔法陣が描かれた。魔法陣の中央に移動させられたベッドの上には、老女が穏やかな顔で横たわっている。

天寿を迎えたロージーの祖母は、最後の覚醒をしていた。シッカリとした眼差しは、意識が明瞭である事を示していた。

「私たちが分かりますか?リジー様」
「ええ、バッチリ分かるわ」
「天寿の日に、意識がハッキリしている方は珍しいんですよ。よっぽど思い残しや未練があったりします?」

ライアナ神祇官は驚きながらも笑みを浮かべ、祖母の様子を窺っていた。ファレル副神祇官は安静効果のある香料を練り込んだ蝋燭を燭台にセットし、魔法陣の周りに配置している。ロージーは終始、その時が近づいているのを感じて緊張していた。ファレル副神祇官が用意した蝋燭の香りは、祖母だけでなく、ロージーをも落ち着かせるはずである。

祖母は「えーえ、未練は無いけど、大きな思い残しがあるのよ」とユーモアたっぷりに呟いた。

「ロージーの《宿命図》が変な事になってると言うじゃないの。恋愛運が歪んでたなんて、ああ成る程と思ったけど」
「それは、対応済みですよ。王宮に報告に行ったら、即日で王宮の書庫が開いたので、その日のうちにロージー様の成人時の記録コピーを持ち帰る事が出来ましてね――前にも話しましたよね」

ロージーも、その時のことは覚えている。あの日、祖母は珍しく一日中、意識がハッキリしていたのだ。ロージーは、好奇心で目をキラキラさせた祖母の促しに応えて、あの監察官との馴れ初めから最近に至るまでの恋バナ――あるいは相談――を祖母に披露する羽目になり、恥ずかしいやら落ち込むやらで、混乱し通しだったのである。

その日の昼下がりを余程過ぎたころ、ライアナ神祇官とファレル副神祇官は、戻ってくるなり『《宿命図》の歪みが大きく、このままでは不自然な形で《死兆星》が再発する危険があるため、成人時の記録にさかのぼって修正を施します』と説明した。

恋愛運を中心に、通常の範囲に収まらぬ異常変位が見られたと言う。祖母は目をパチパチさせ、『じゃあ、ロージーに《運命の人》が出来たのも、そのせいなの?』と、ロージーの疑問を代弁した。

ライアナ神祇官は、それを否定した。《宿命図》に《死兆星》が発生したことで、《運命の人》との関係に何らかの変化は起きたとは思うが、ロージーが禁断の恋に落ちたのは、それよりも前である。《宿命図》を修正して過去の状態に戻したとしても、あっという間に、現在の状態に合致する自然な《宿命図》となって落ち着くはずだ。

『恋がどうなるかなんて私にも分かりませんが、《死兆星》の影響は弱まりますから、将来に向けてどんな決定をしたとしても、不自然な危機に見舞われることは無くなると思います。AのふりをしたB、Bに見せかけたC、なんていうような不自然な危機にはね』

ファレル副神祇官がライアナ神祇官の補足をした。

あの襲撃事件は、初期の取り調べでは、「公費流用や横流しがバレるのを恐れた業者の企み」という結論が出ていたのだ。実際、ロージーは、「公費流用による不正購入、及び品々の横流しがバレて逃走し、正義の追っ手によって無残な死体にされる」予定だったのである。しかし、真相は全く違う可能性がある――恋愛関係のもつれ、ないしは誤解が、底にあるのかも知れない。ロージーには全く思い当たりが無くても、先方にはそれだけの強い理由があるという事態は、十分に考えられるのだ。

(全く身に覚えのない事で殺されかけるなんて、私ってホントに運が悪いのかも…)

ロージーの手のひらに浮かび上がる《宿命図》は、成人時の記録データを元に、数日にわたって修正と言う名の「オマジナイ操作」を施された。歪みが大きすぎたため、微小修正とは言っても、かなりの変位を修正する羽目になったためだ。特に、無関係と思われた金運にまで不自然な歪みが及んでいたのは、ライアナ神祇官を仰天させたようだった。

ライアナ神祇官は腹に据えかねるといった様子で、『不良神祇官のヤツ、一体どんな《係数》を使ったのよ。全てが終わったら、私が直々に拷問してやろうかしら』などと、物騒なことを呟いていたのであった。

――閑話休題。

祖母は、差し出された孫娘の手を取り、「ロージーが心配なのよ」と呟いた。「ロージーと《運命の人》との間で決着が付くまでは…と思ったけど、こればかりはしょうがないわね」

祖母は遠くを見るような目をして、意味深な笑みを浮かべた。

「ロージーの話を聞いてビックリしたのは、リリーが《運命の人》を感じた時の状況と割と似てるって事なの。季節も場所も全く違うんだけど――人付き合いの都合で、《運命の人》と出会ったと言う他の人の話も割と小耳に挟んできたんだけど、《運命の人》との恋は、雪の影を思わせるイメージ――ひっそりとしたイメージで、共通しているみたいね」

ライアナ神祇官とファレル副神祇官は少し離れたところで様々な作業を続けていたが、祖母の話が佳境に入って来た――今なお謎の多い《宿命図》の話題にも触れて来る――事に気付き、そっと聞き耳を立てていた。

「これは元々リリーのための作品だったけど、友達に結構褒められたのよ。ロージーの方がピッタリしてるかも知れないわ」

そう言って祖母は息を整えると、静かな声で朗唱を始めた。

*****

運命のアストラルシア――
そは 根雪の底に 秘めし星
《宿命》の光の影なす わが命

かの佳き日
澄み明らかなる 青空に
いやが上にも 冴え渡る
――雪白の連嶺よ!

願わくは今しばし 雪な踏みそね
我に微笑む 美(よ)き人よ!

我が恋は 底つ根にこそ 結ぶ恋
涼しき影の 去る前に
汝 意あらば 花とやすらへ

*****

朗唱が終わり、感慨深い沈黙が満ちた。

やがてライアナ神祇官がハッと息を呑んだ。

「リジー様、それは"無名詩人リゼール"の作ですよね?――あら…もしかして…?!」

祖母は恥ずかしそうに顔を赤らめて微笑み、「まあ、私の名前は思ったより有名だったのかしら」と応じた。

「夫や親友に誘われて余暇に始めた趣味の活動だったから、プロじゃないの。流石に本名は、そっち方面に詳しかったら…と思うと恥ずかしかったし、あなたがたの事は一目で気に入ったから、愛称の自己紹介になっちゃったのよ――最後の最後で申し訳ないんだけど、堪忍してちょうだいね。《霊送り》報告書の名前の欄はロージーがサインするから、"まあいいか"と思ったし」

ちなみに"無名詩人リゼール"は、かつての権力闘争のピーク時、殺伐とした世相の片隅で活動開始した抒情詩人として記録されている。辺境出身を思わせる何処か「流行おくれの詞」と「のほほんとした雰囲気」、特徴のある抒情性が、数少ないとはいえ一部の人の関心を引いた。多くの作品はハッキリ言って「ヘボ」であったが、たまに「おや」と言えるような作品があったのだ。先ほど朗唱した小品は、その一つである。

――祖母の変わった秘密主義とユーモアは、最後の最後になっても健在であった。

「何よ、それ」と泣けるやら笑えるやら、不思議に陽気な雰囲気の中で、祖母は穏やかに息を引き取ったのである。竜人の標準的な最期、つまり一片の鱗を残して肉体は光の粒となって蒸発し、夕方の光に同化して行った。もっとも、これは賑やかな見送りを望んでいた祖母の、狙ったことであったかも知れない。

ある意味、祖母もまた、人生の達人と言うべき人だったのだ。

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