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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

航海篇1ノ4

◆表記文字

音声言語を表記文字に変えるときに要求されるのは、意図の伝達に堪えうるかどうかである。多様な解釈を必要とするか、逐一決まりきった定義を必要とするかで、表記文字の性格が異なってゆくものと思われる。

印欧語=表音記号
ヒエログリフという表意文字があったが、より正確な意図を伝えるには適さなかった。文字種類を極限まで減らし、最も意図にぶれの出ない表音体系のみに変わってゆく。ヒエログリフの衰退後は、フェニキア文字、ギリシャ文字などの表音記号体系の普及が見られた。
古漢語=表意記号
含蓄に富む表現を可能にするため、絵画的要素のある漢字体系を生み出した。同じような係累をより詳細に区別するため、要素ごとに異なる字種を当ててゆく。漢字の総数は五万字以上あると言われている。(どうやって数えたのだろうか?)
日本語=表音表意併記
発音を連ねただけでは総合的すぎて意図が伝わらず。(全かな文は読みにくくなる。)かといって表意文字に変えると、輸入した表意文字(=漢字)の読みに引きずられて「素」を失う。よって、当て読み(ルビを振る等)を採用、表音表意併記によって意図を精密に当てていった。

万葉仮名なるものを発明し、アクロバティックな読み書きを始めたのが日本語である。漢字(表意文字)を「真名」、それ以外(音声文字)を「仮名」として使い分ける。ここに、「真」/「仮」という奇妙な二重思考の発祥を見る事が出来る。(※「建前」/「本音」などとも奇妙にクロスすると思われる)

◆個人観念

この項目は、「歌語り」部分の唱和に注目して考察したものである。

印欧語=独立したバラバラな個人
合唱型。レパートリーを決めて交互に歌ったり、音声パートを決めてハーモニーを構築したりする。唱和において個人の音程がはっきりしており、バラバラな個人が前提されているという事が伺える。したがって印欧語の社会は、「確立した個人」を基底として構成されている。
古漢語=以心伝心集団(血縁・血盟)
独唱型。主役(宗家・血統主)の独唱に連動して集団が動き、場面が動いてゆく。血盟を誓ったもの同士などでは盛んに共鳴するが、一旦関係を外れると、急に減衰する。※したがって古漢語の社会は、「同胞社会(幇)」の無限増殖・膨張を前提として構成されている。
日本語=主客逆転(流動的)
斉唱型。主役も集団もはっきりせず。問答歌、連歌、反歌など。同時合唱というよりは、交代唱。一人が歌の上句を歌って、別の一人が下句を継ぐなど、主客未分・流動的である。したがって日本語の社会は、「かくあらしめるが故にある個人」を基底として構成されている。

上記比較で述べた音色や音楽的性質を考慮すると、個人観念というものを「純粋音」にまで磨き上げてゆくのが印欧語タイプであり、「ノイズ音」の豊穣な調和を目指すのが日本語タイプであろうと想像できる。一方、「宗主の音」に合わせてゆくのが、古漢語タイプと言えるであろう。

(もっとも、こうした考え方は、類型的・一面的な見方に過ぎないのであり、その点は重々注意されたい)

◆言語得意分野/真理,宗教

言語の特性から、真理に対する感覚や宗教観を考察したものである。

印欧語=ロゴス,契約,分析,論理/真理はロゴスによって到達可能(哲学)
弁論、弁証学が発達したのは、その作り出した言語の特性に多分に依存している。ストア派は、神の摂理(ロゴス)に到達することで完全理性に達すると説いている。理性には真理の深い関与がある――理性と天啓に富む宗教観であると思われる。
古漢語=情念,詩的,含蓄,同化/真理は易によって到達可能(天との合一)
少ない言葉で多くの意図を伝えるに適した言語である。易は天地万物の相互関与・組み合わせを、観察と経験によって総合的に系統立てたものである。したがって真理は、相互関与・組み合わせ・総合化のステップを経ての読み出しから生まれる。現実からの跳躍がない分、極めて強烈に安定し、同化力に富む宗教観を持っていると思われる。
日本語=両論併記,異論吸収,包摂/真理は行によって到達可能(工夫と稽古)
イメージ描写、オノマトペに富む性質があり、漢字とアルファベットの同時受容を容易にする。並列性とイメージ描写が組み合わさって、未知要素の受容に非常に向いている言語となっている。「体で覚える」という言葉があるように、技術・知識の身体伝承を重要視する。「修行」、「道」。宗教観は、自然、わずかな道標を頼りに各々の真理を探索する、というものになる。

以上の考察は不十分なスケッチに過ぎない。真理を語ろうとすれば、結局はどの言語も図像と言葉による説明に頼らざるを得ないのであるが、いくつかのヒントは切り出せたように思う。

《続く》

【補遺】

智慧や真理を伝承するのに「黙示(カバラ)」という手法もあるが、これは人類史と同じ程の巨大な領域を含み、手に余るので省略する。秘密・隠蔽を通じた真理の伝承は、宗教や秘密結社のあり方を考えるときに、重要な要素となると思われるのである。

勿論、日本にもカバラ要素は普遍に見られるのであり、伝統的な神道は、カバラ要素の結晶といっても何ら差し支えないのである。

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