神話論仮説:忘却の彼方の大和朝廷
《忘却の彼方の大和朝廷―ヤマトタケル神話・考―》
神話研究関係の言葉に、「アリストクラットaristocrat」という言葉がある。「名門の1人」、「貴族/貴族的な人」「最高ステータスの人」という意味がある。
貴種流離譚や英雄伝説はアリストクラット神話というジャンルでまとめる事が出来る。身分社会の発生から固定化に至る揺籃の時代と、アリストクラット神話には、深い関係があると言われている。
ヤマトタケル神話/ヤマトヒメ物語もアリストクラット神話の一種であり、大王を中心とする権力機構(大和朝廷)の固定化を窺わせる証拠となるという話である。
アリストクラット・キャラの放浪物語(英雄伝説)の登場と、王権・支配権といった概念の確立との間には、人類社会の変遷(身分の上下の発生、格差社会ルールなどの複雑化)に関わる根源的な関係がある。
仮説ではあるが、社会を彩る言語・概念の世代変化という背景も含んでいる筈だ。新たな概念が導入され、古い概念が忘却される。放浪を主題とするヤマトタケル神話の中に、地方有力者の暗殺や異国女性の入手、東国遠征などのエピソードが組み込まれているのは、深い理由があると言える。
ヤマトタケル神話は、渡来人の急増をも暗示する。ヤマトタケルは「弟王子」という事になっているが、これも「後から渡来した人々=弟」という意味合いが含まれている筈である。
華夷秩序や儒教のルールに基づくのであれば「大陸&半島の方が兄・島国の方が弟」という位置づけが正解になるのである。しかし、日本神話として確立する際、殆どの場合で兄・弟の位置づけの逆転が起こるのだ(この頃、日本でも長子相続のルールは確立していた)。
これは、その後の日本を特徴付ける性質となる。ヤマトタケル神話は非常に多面的かつ多義的な物語であるが、国家的に、わが国の基層を成す国家神話としての地位を有するのは、此処に理由がある。ヤマトタケルの物語は、列島の古層を成す神に滅ぼされると言う結論で終わる。日本は、遂に、渡来人がもたらした正統な儒教に基づく格差社会ルールを受け入れなかったのである。
ヤマトタケル神話などが完成した時代は、同時に、大和朝廷という記憶が忘却されつつある時代でもあった筈だ。まだ文字記録が確立していなかった古代、歴史の神話化と世代記憶の忘却は、同時に進行するプロセスであった。
忘却と浄化は、分かちがたく結びついている。醜い権力闘争や、新天地の征服に伴う先住民の大虐殺といった事件も確実に存在したであろうが、神話に変化する際に、その大部分は忘却され、寓意的・象徴的なエピソードに変貌するのである(例:兄弟殺し、異国女性との結婚、等)。
出自や伝統を異にする人々が、過去の深い傷口を踏みしめつつ同じ土地で同化・共存するためには、そうやって傷口を浄化しつつ、現実と折り合う他には、有効な手段を持ち得ないであろう。余談だが我々の先祖は、この「過去の因縁・傷口」に相当する概念を、「天つ罪・国つ罪」と表現した。
ちなみに、『ヨハネの黙示録』など、異人勢力の完全な追放絶滅=民族浄化を語る未来記的な物語という方法もあるにはある。だが、我々の先祖は、歴史記憶の救済とも位置づけられるヤマトタケル神話を構成する時に、その物語スタイルを採用はしなかった。これはこれで、日本という国家集団の性質に関わる興味深い問題である。
忘却と浄化のプロセスは、新たな記憶の捏造や、並行する偽史の成立をも生み出すプロセスである。そうして、歴史物語は成立して行くのである。「真実である物」も「真実でない物」も、等しくこの現実を構成する存在なのだ。
実際、ヤマトタケル神話を始めとする古い国家神話群は、その真偽の程を曖昧としながらも、今なお語り継がれており、我々の国家観や言語、思考のパターンに影響を及ぼしているのである。
ヤマトタケル神話が、大陸文化に対する防波堤として成立したと言う側面も持つ事は否定できないであろう。ヤマトタケルの血縁として語られるヤマトヒメの物語があり、これは日本の神社神道を確立させた呪術的思考のプロセスにも関わっており、長い話になるので省略する。
新たなジャンルの物語の登場は、新奇な単語・概念(大陸由来の言葉=古代の漢語、現代のカタカナ語など)の増加&定着と、決して無関係では無い。
それは、地域支配圏(古代王国の支配圏)ごとの、ブロック単位の社会文化の個性化のプロセスに連結して行くのである。