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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:ゲーテ

捧げることば/『ファウスト』巻頭・ゲーテ著

また近づいてきたか、おぼろげな影たちよ。
かつてわたしの未熟な眼に浮かんだものたちよ。
今こそおまえたちをしかと捉えてみようか。
わたしの心はいまもあのころの夢想に惹かれるのか。
むらがり寄せるおまえたち。よしそれなら思うままに、
もやと霧のなかからわたしのまわりにあらわれてくるがいい。
わたしの胸はわかわかしくときめく。
おまえたちの群れをつつむ魅惑のいぶきに揺さぶられて。

おまえたちは楽しかった日の、かずかずの思い出をはこんでくる。
なつかしい人たちのおもかげのかずかずが浮かび出る。
なかば忘れられた古い伝説のように、
初恋も初めての友情もよみがえる。
苦しみは新たになり、嘆きはまたも人の世の
悲しいさまよいをくりかえす。
かりそめの幸に欺かれて、美しい青春をうばわれ、
わたしに先立って逝った親しい人々の名をわたしは呼ぶ。
初めの歌の幾ふしをわたしが歌って聞かせた人々は、
いまはそれにつづく歌を聞くよしもないのだ。
親しい人たちの団欒は散り、
最初に起こった好意のどよめきは帰ってこない。
わたしの嘆きは見知らぬ世の人々に向かってひびき、
その賞賛さえわたしの心をわびしくする。
いまも生きてわたしの声を喜んで聞いてくれる人たちも、
遠く四方にちらばっている。

しかし今わたしを捉えるのは、あの静かなおごそかな霊
たちの国への
ながく忘れていた憧れ。
わたしの歌はいまようやくつぶやきをとりもどして
おぼつかなくもエオルスの琴のようになり始める。
戦慄がわたしをつかみ、涙はつづく。
かたくなった心もしだいになごんでゆくようだ。
わたしがいま現実にみているものは遠い世のことのように
思われ、
すでに消え失せたものが、わたしにとって現実になってくる。
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詩歌鑑賞:チュチェフ「おお夜の海よ」

◆チュチェフ(ロシア詩人、1865作品、無題)

おお 夜の海よ、お前はなんと美しいことか!
ここは燦々と輝き、かしこは暗く濃藍色、
月光を身に浴びて、海は生きもののように
歩み、呼吸し、きらめいている。

涯て知らぬ自由のひろがりの上に
閃々と光り、たゆたい、遠雷のごとく どよみ轟く
縹渺たる月光を全身に浴びた海よ、
人気ない夜の世界に、お前はなんと素晴らしいことか。

巨大なるうねりよ、海のうねりよ
お前はそんなにして誰の祭日を祝っているのか。
浪は轟き輝きつつ寄せて来る。
目ざとい星達が空にまたたいている。

この動揺のさなかに、この煌耀(きらめき)のさなかに、
夢見るごとく茫然と私は立ち尽くす。
ああ いかに心地よいことであろうか
この魅惑の中に魂を沈めることができたなら

詩歌鑑賞:チュチェフ「昼と夜」

◆チュチェフ(昼と夜)

神秘な霊たちの棲む世界の上に、
名づける名も無いこの深淵の上に、
神々のいと高き御心によって
金糸の繍(ぬい)の垂れぎぬが掛かっている。
昼、目もあやに燦めく帷(とばり)
昼、地の子供らの蘇生の時、
悩める魂の癒される時
人間と神々の親しき友!
しかし、日は次第に翳り、夜は来る。
夜だ!それが、宿命の世界から
恵みのとばりを裂きはがして
遥か彼方に投げ棄てる。
すると突然、我々の目の前にむき出しになるのだ、
恐怖と霧にとざされた深淵の姿が。
そして我々はそれとじかに向かい合う。
だからこそ、夜はあんなに恐ろしいのだ。