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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:立原道造「風に寄せて」

風に寄せて/立原道造

その一

しかし 僕は かへつて来た
おまへのほとりに草にかくれた小川よ
またくりかへしておまへに言ふために
だがけふだつてそれはやさしいことなのだ

手にさはる 雑草よ さはぐ雲よ
僕は 身をよこたへる
もう疲れと 眠りと
真昼の空の ふかい淵に……

風はどこに? と 僕はたづねた そして 僕の心は? と
あのやうな問ひを いまはくりかへしはしないだらう――
しかし すぎてしまつた日の 古い唄のやうに

うたつたらいい 風よ 小川よ ひねもす
僕のそばで なぜまたここへかへつて来た と
僕の耳に ささやく 甘い切ないしらべ

その二

僕らは すべてを 死なせねばならない
なぜ? 理由もなく まじめに!
選ぶことなく 孤独でなく――
しかし たうとう何かがのこるまで

おまへの描いた身ぶりの意味が
おまへの消した界(さか)ひの意味が
風よ 僕らに あたらしい問ひとなり
かなしい午后 のこつたものらが花となる

言葉のない ざはめきが
すると ふかい淵に生れ
おまへが 僕らをすこやかにする

光のなかで! すずしい
おまへのそよぎが そよそよと
すべてを死なせた皮膚を抱くだらう

その三

だれが この風景に 青い地平を
のこさないほどに 無限だらうか しかし
なぜ 僕らが あのはるかな空に 風よ
おまへのやうに溶けて行つてはいけないのだらうか

身をよこたへてゐる 僕の上を
おまへは 草の上を 吹く
足どりで しやべりながら
すぎてゆく……そんなに気軽く どこへ?

ああふたたびはかへらないおまへが
見おぼえがある! 僕らのまはりに
とりかこんでゐる 自然のなかに

おまへの気ままな唄の 消えるあたりは
あこがれのうちに 僕らを誘ふとも どこへ
いまは自らを棄てることが出来ようか?

その四

やがて 林を蔽ふ よわよわしい
うすやみのなかに 孤独をささへようとするやうに
一本の白樺が さびしく
ふるへて 立つてゐる

一日の のこりの風が
あちらこちらの梢をさはつて
かすかなかすかな音を立てる
あたりから 乏しいかげを消してゆくやうに

(光のあぶたちはなにをきづかうとした?)
――日々のなかの目立たない言葉がわすれられ
夕映にきいた ひとつは 心によみがへる

風よ おまへだ そのやうなときに
僕に 徒労の名を告げるのは
しかし 告げるな! 草や木がほろびたとは……

その五

夕ぐれの うすらあかりは 闇になり
いま あたらしい生は 生れる
だれが かへりを とどめられよう!
光の 生れる ふかい夜に――

さまよふやうに
ながれるやうに
かへりゆけ! 風よ
ながれるやうに さまよふやうに

ながくつづく まどろみに
別れたものらは はるかから ふたたびあつまる
もう泪するものは だれもゐない……風よ

おまへは いまは 不安なあこがれで
明るい星の方へ おもむかうとする
うたふやうな愛に 擔(にな)はれながら
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詩歌鑑賞:古代ギリシア

古代ギリシア(スパルタ)詩人アルクマン(断片のみ/呉茂一・訳)

眠るは山の嶺、かひの峡間(はざま)
またつづく尾根、たぎつ瀬々、
また地を爬(は)ふものは
          か黒の土の育(はぐく)む限り、
山に臥すけだもの、蜜蜂の族、
また紫の潮の奥処(おくど)にひそむ 異形のたぐひ、
眠るは翅ながの 鳥のうから。

詩歌鑑賞:「からだ」谷川俊太郎

からだ/谷川俊太郎

からだ――うちなる暗がり
それが私
ただひとりの

そよぐ繊毛の林
うごめく胃壁の井戸
ほとばしる血液の運河

からだ――闇に浮かぶ未知の惑星
それがあなた
私にほほえむ



いのちはひそんでいる
たったひとつの分子にも

だがみつめてもみつめても
秘密は見えない

見いだすのはいつも私たち自身の
驚きと畏れの――よろこび



そんなにも小さなかたちの
そんなにもかすかな動き
その爆発の巨大なとどろきを
誰ひとり聞きとることができない

いのちの静けさは深い
死の沈黙よりも



とおくけだものにつらなるもの
さらにとおく海と稲妻に
星くずにつらなるもの

くりかえす死のはての今日に
よみがえりやまぬもの

からだ