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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:薄田泣菫「ああ大和にしあらましかば」

ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備[かみなび]の森の小路を、
あかつき露に髮ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩[いかるが]へ。平群[へぐり]のおほ野高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居[ちりゐ]の窓のうは白[じら]み日ざしの淡[あは]に、
いにし代の珍[うづ]の御經[みきやう]の黄金文字、
百濟緒琴[くだらをごと]に、齋[いはひ]瓮[べ]に、彩畫[だみゑ]の壁に
見ぞ恍[ほ]くる柱がくれのたたずまひ。
常花[とこはな]かざす藝の宮、齋殿[いみどの]深く
焚きくゆる香ぞ、さながらの八鹽折[やしほをり]
美酒[うまき]の甕[みか]のまよはしに、
さこそは醉はめ。

新墾[にひばり]路の切畑[きりばた]に、
赤ら橘葉がくれにほのめく日なか、
そことも知らぬ靜歌[しづうた]の美[うま]し音色に、
目移しの、ふとこそ見まし、黄鶲の
あり樹の枝に矮人[ちいさご]の樂人[あそびを]めきし
戲[ざ]ればみを。尾羽[をば]身[み]がろさのともすれば、
葉の漂ひとひるがへり、
籬[ませ]に、木の間に、――これやまた野の法子兒[ほふしご]の
化[け]のものか、夕寺深く聲[こわ]ぶりの
讀經[どきやう]や、――今か、靜こころ
そぞろありきの在[あ]り人の
魂[たましひ]にしも沁み入らめ。

日は木がくれて、諸とびら
ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒く、
そそ走りゆく乾反葉[ひそりば]の
白膠木[ぬるで]、榎[え]、楝[あふち]、名こそあれ、葉廣[はびろ]菩提樹[ぼだいじゆ]、
道ゆきのさざめき、諳[そら]に聞きほくる
石廻廊[いしわたどの]のたたずまひ、振りさけ見れば、
高塔[あららぎ]や九輪の錆に入日かげ、
花に照り添ふ夕ながめ、
さながら、緇衣[しえ]の裾ながに地に曳きはへし
そのかみの學生[がくじやう]めきし浮歩[うけあゆ]み、――
ああ大和にしあらましかば、
今日神無月日のゆふべ、
聖[ひじり]ごころの暫しをも、
知らましを身に。

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「白羊宮」より(明治三十九年)

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詩歌鑑賞:伊藤静雄「かの微笑のひとを呼ばむ」

「かの微笑のひとを呼ばむ」/伊藤静雄

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われ 烈しき森に切に憔(つか)れて
日の了る明るき断崖のうへに出でぬ
静寂はそのよき時を念じ
海原に絶ゆるなき波濤の花を咲かせたり
あゝ 黙想の後の歌はあらじ
われこの魍魅の白き穂波蹈み
夕月におほ海の面(おもて)渉ると
かの味気なき微笑のひとを呼ばむ

私製詩歌「雪白の連嶺」

星宿の海
万物の相関 無限の照応
限りなき 光明と暗黒の海よ

半ばは明(あか)く 半ばは暗く
紡がれ 織られる
風(かぜ)と景(ひかり)

そら打つ波の かたちして
天涯に 刻の道標 立ち出でし


かの佳き日
雲ひとつ無き 蒼穹に
澄み明らかに 冴えわたる
――雪白の連嶺よ!


遠白き かの連嶺よ 波浪を止(や)みて
今しばし 一瞥を与えよ わがもとに

永劫を 寄せては返す
流星の結びし軌道(みち)を 逍遥すれば
時知らず さやぐ渚に 立ち尽くす――

星宿の海
はじめもはても 知る人ぞ無き
限りなき 光明と暗黒の海よ


インスピレーション元の他人さまの詩歌たち

◆影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき/紀貫之『土佐日記』

◆水や空そらや水とも見えわかずかよひてすめる秋の夜の月/『古今著聞集』185読み人知らず

◆みゆるごとあらはれながらとこしへにみえざるものを音といふべき/葛原妙子・作(短歌)