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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:佐藤春夫「望郷五月歌」

『望郷五月歌』佐藤春夫

塵(ちり)まみれなる街路樹に
哀れなる五月(さつき)来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ
恋ひしきや何ぞわが古里
あさもよし紀の国の
牟婁(むろ)の海山(うみやま)
夏みかんたわわに実(みの)り
橘の花さくなべに
とよもして啼くほととぎす
心してな散らしそかのよき花を
朝霧か若かりし日の
わが夢ぞ
そこに狭霧(さぎ)らふ
朝雲か望郷の
わが心こそ
そこにいさよへ
空青し山青し海青し
日はかがやかに
南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ
心も軽くうれしきに
海(わだ)の原見はるかさんとて
のぼり行く山辺の道は
杉檜樟(くす)の芽吹きの
花よりもいみじく匂ひ
かぐはしき木の香(か)薫じて
のぼり行く路(みち)いくまがり
しづかにも昇る煙の
見まがふや香炉の煙
山賤(やまがつ)が吸ひのこしたる
鄙(ひな)ぶりの山の煙草の
椿の葉焦げて落ちたり
古(いにしへ)の帝王たちも通はせし
尾(を)の上(へ)の道は果てを無(な)み
ただつれづれに
通ふべききはにあらねば
目を上げてただに望みて
いそのかみふるき昔をしのびつつ
そぞろにも山を下りぬ
歌まくら塵の世をはなれ小島(をじま)に
立ち騒ぐ波もや見むと
辿り行く荒磯(ありそ)石原(いしはら)
丹塗舟(にぬりぶね)影濃きあたり
若者の憩へるあらば
海の幸(さち)鯨(いさな)捕る船の話も聞くべかり
且つは問へ
浦の浜木綿(はまゆう)幾重(いくへ)なすあたり何処(いづく)と
いざさらば
心ゆく今日のかたみに
荒海の八重の潮路を運ばれて
流れよる千種(ちぐさ)百種(ももぐさ)
貝がらの数を集めて歌にそへ
贈らばや都の子等に
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短歌:山中智恵子鑑賞

三輪山に星降(ほしふり)の磐座ありといふ天つ甕星ほろびしところ/『風騒思女集』

吹く風にひとを愛(かな)しといふ勿れ睚(まなじり)浄くふかく棲まへば/『虚空日月』

水くぐる青き扇をわがことば創りたまへるかの夜へ献(おく)る/『みずかありなむ』

山藤の花序の無限も薄るるとながき夕映に村ひとつ炎ゆ/『紡錘』

いづくより生まれ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘/『紡錘』

わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも/『紡錘』

青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや/『みずかありなむ』

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐるこの冥き遊星に人と生れて/『みずかありなむ』

その問ひを負へよ夕日に降(くだ)ちゆき幻日のごと青旗なびく/『みずかありなむ』

高見山(たかみやま)青透くばかりすがた立つつくづくと今をよき咲(ゑま)ひあれ/『みずかありなむ』

青き旗なびくこころに水を乞ふひたぶるこへばわが髪くらし/『みずかありなむ』

心沁む青山なりし夕日の村夕日みぬ方ゆくだりきしかな/『みずかありなむ』

たましひを測るもの誰(た)ぞ月明の夜空たわめて雁のゆくこゑ/『みずかありなむ』「鳥住」

とぶ鳥のくらきこころにみちてくる海の庭ありき 夕を在りき/『みずかありなむ』

星涵(ひた)す庭をたまひて遂げざれば文章のこといづれ寂寞/『虚空日月』

ことばより水はやきかな三月のわが形代(かたしろ)に針ふる岬/『虚空日月』

春さむき鳥住(とりすみ)はいづこ かかる日を活(い)ける水もちてひとは歩むか/『みずかありなむ』

さくらびと夢になせとや亡命の夜に降る雪をわれも歩めり/『虚空日月』

百年の孤独を歩み何が来る ああ迅速の夕焼の雲/『風騒思女集』

六連星(むつらぼし)すばるみすまるプレアデス 草の星ともよびてはかなき/『青章』

月山も露もことばも晩夏光非在となして立ち去らむかな/『風騒思女集』

雪にしたゝる虹の藍色夢にみればあしたしづかに對はむと思ふ/合同歌集『空の鳥』

くれなゐの雨ふるこころ夜半のゆめ老いにけらしも 老いざらめやも/『風騒思女集』

千年の歌のちぎりの嬉(うるは)しくはた虚しきを誰か知らなむ/『玲瓏之記』

春の獅子座脚あげ歩むこの夜すぎ きみこそとはの歩行者/『紡錘』

廃墟に降りし朝の雪はも 自由の雨降りし夜はも 忘れずあれよ/『玉も鎮石(たまもしづし)』

ひとなくてひぐらしをきく夕ごころあるかなきかに生きてあるむか/『星醒記』

きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ/『星醒記』

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪(とりかみ)に雪降るさらば明日も降りなむ/『みずかありなむ』

星空のはてより木の葉降りしきり夢にも人の立ちつくすかな/『青草』

ただよひてその掌(て)に死ねといひしかば虚空日月(こくうじつげつ)夢邃(ふか)きかも/『虚空日月』

潮みちぬ 常世の雁の風の書を見すべききみがありといはなくに/『青草』

星肆(ほしくら)にいくそのことを夢みむかものくるはしとひとのいふ身を/『短歌行』

この世にはまたもあはざるひとのため夕日に向きて鳥はゆあみす/『神末』

あやまちのごとく花散るきららかに星の光にあやまたぬ身を/『玲瓏之記』

詩歌鑑賞:宮澤賢治「異途への出発」

異途への出発(一九二五、一、五)

月の惑みと
巨きな雪の盤とのなかに
あてなくひとり下り立てば
あしもとは軋り
寒冷でまっくろな空虚は
がらんと額に臨んでゐる
   ……楽手たちは蒼ざめて死に
     嬰児は水いろのもやにうまれた……
尖った青い燐光が
いちめんそこらの雪を縫って
せわしく浮いたり沈んだり
しんしんと風を集積する
   ……ああアカシヤの黒い列……
みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
   ……底びかりする水晶天の
     一ひら白い裂罅(ひゞ)のあと……
雪が一さうまたたいて
そこらを海よりさびしくする