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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

古代ヨーロッパ考・前篇

《歴史の大いなる裂け目・・・ヘレニズム時代》

ヨーロッパ世界の歴史を「それ以前/それ以後」に分断した大きな境界は、マケドニア・アレクサンドロス大王(前356~前323)…つまり、古代のハイパー・シンクレティズム・グローバル社会の爆発…

―前333年―

アレクサンドロス大王が、イッソスの戦いに勝利しました。アケメネス朝ペルシャ帝国ダレイオス3世の軍隊と衝突したもので、これを描いたモザイク画は有名。(ポンペイから出土)

はるか東アジアの果てでは、諸子百家のうち縦横家の蘇秦という人が、秦を封じ込めるという、六国合従策に成功した年でもあります。

秦はそれに対抗して、同じく縦横家の張儀という人に連衡策をやらせている。これは、各国と秦との間に、密約よろしく二国間同盟を結んでゆくと言うものだったそうです。現代の外交&陰謀とあまり変わらない、という印象です。

―前330年、ついにペルシャ帝国は滅亡します。アレクサンドロス大王強し!

―前325年―

インダス川まで進軍したアレクサンドロス大王が、反転して故国を目指した年です。延々続いたこの大東征、行軍距離は何と1万8000キロメートル。地球周囲が、およそ4万キロメートルです(汗)

秦の恵文王が「秦の王なり」と初めて称した年でもあります。恵文王は、始皇帝の前の秦王です。当時の秦は、中原では最西端の位置にありました。この位置関係をつらつらと想像してみるに、恵文王はアレクサンドロス大王の急な引き返しを知ると、天まで飛び上がって歓喜の舞を舞ったに違いないのです…

―前324年―

かの名高い、集団結婚式が行なわれます。ペルシャ人の貴婦人とマケドニアの貴族との集団結婚が行なわれました。アレクサンドロス大王自身は、ダレイオス3世の娘スタティラと結婚です。

(これは強引過ぎる政策でもあったような印象がぬぐえません。文化的背景も違いすぎるのに、結婚生活はうまくいったのだろうかという、微妙な疑いが湧いてまいります。実際、個人的には、アレクサンドロス大王はあまり印象よろしくない…)

―前323年。―

アレクサンドロス大帝国は、アレクサンドロス大王が死ぬやいなやでババッと3つの国に分裂。これは超重量級ショックかも。ちなみに、集団結婚式のカップルも、この年に多くが離婚したそうです(やっぱり!)

3つの国=アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア。うち、セレウコス朝シリアは領土が広大すぎて、その後、分裂しました:

  • 前255年=バクトリア(ギリシャ系移民国。ヘレニズム諸王国の一。)後に「大月氏(系統不明の民族)」に呑み込まれる。
  • 前248年=パルティア(イラン系遊牧騎馬民族、国名は安息。ヘレニズム諸王国には含まれない)

こうして、おそるべき歴史の断層、ヘレニズム時代が明けました。

小アジア(現在のトルコ地域)は、ヘレニズム諸都市が最も栄えたところです。数々の名高い哲人が、ここから出ました。そして、当時の最大のハイテク都市・国際都市として名をとどろかせたのが、プトレマイオス朝エジプト・アレクサンドリアであります。

幾何学の祖ユークリッド。物理学の祖アルキメデス。地球周囲測定者エラトステネス。地動説アリスタルコス…

ヘレニズム美術は、前時代よりもずっと華やかなものになりました。あの超セクシィなミロのビーナスも、この時代のものです。建築様式では、装飾に贅を尽くしたコリント式が全盛を迎えます。

まさしく、文化におけるギリシャ風=ヘレニズム旋風、経済的には、ヘレニズム・バブルが行き渡ったのでありました。…ですが、この事象は、これまでの伝統的なポリス社会の枠組みの中で生きていた人々にとっては、恐るべきショックだった筈なのです。

ポリスの無い北方の蛮族マケドニアの民に、あっという間に征服された事。そして、またたく間にギリシャ・ポリス都市が打ち捨てられ、ペルシャ風・エジプト風・アジア風が混ざっている、異形とも言ってよい新興ヘレニズム諸都市に、地中海交易の主導権をにぎられた事…

しかも、それまでの貨幣が価値を失い、アレクサンドロス大王発行の新貨幣経済に置き換わっていたのです。それは、シルクロード経済の発達をも促しました。

・・・ヘレニズム諸王国時代、およそ300年。

ここに、ヨーロッパ・アラブ二千年の基が築かれたのです…

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古代ヨーロッパ考・前書篇

古代ヨーロッパについての、長年の疑問は、「何故、元は多神教であった地が、一神教に染まったのか?」です。同じ疑問は、アラブ方面にも言えます。

この変化を可能ならしめたのは、歴史の分断であった…とすれば、では、その歴史の、「謎の分断」は、どこにあるのだろうか?

という事で、手の届くかぎりの範囲で、調べてみました。

(資料と言ったら殆ど、高校歴史教科書と年表資料と百科事典ですが)

ヨーロッパがキリスト教に染まり始めたのは、ローマ帝国の代になってからです。ですが、ローマ帝国の頃に流行した新興宗教を見てみると、結構これが大混乱という感じで、それこそ何でもありというありさま。

「エレウシス」とか「ミトラ教」とか、神秘密儀ジャンルが大流行しているのです。イシス崇拝やゾロアスター教も流行しています。エレウシスは死と再生の女神に関わる密儀。ミトラ教の象徴は金の牡牛。

(もちろん、ギリシャ風も人気で、ギリシャとエジプトの混ざったような神様も作っていました。代表的なのがセラピス神。このセラピス神は、彫刻を見ると少し繊細で、両性具有っぽい顔つきです。でも、彫刻なのだからして色々あって、真男っぽいのもあるとは思います)

当時のキリスト教の本場もエジプトにあって、「コプト教会」というのがありました。あとは、グノーシス派とか、エッセネ派とか…原始キリスト教の世界。

ちょっとどころじゃなく興味深いのが、キリスト教とミトラ教の入れ替わりのタイミングが殆ど同時という現象。おまけにその内容を見ると、神の御子の誕生日が同じ…

聖書が偶像崇拝を戒めるエピソードに、黄金の牡牛崇拝の話があるのでもう何をかいわんやです。キリストとミトラ…、まさしく合わせ鏡ですね(キリスト教とミトラ教の関係を論じるのは一種のタブーと言う噂も?)

それはともかく、ローマ帝国市民の精神社会…、この状況は明らかに、古代から営々とあったギリシャ社会やポリスの伝統が分断されて、混乱しちゃってる社会だろう、と、さすがに見て取れる訳です…もう国際的と言うか、無国籍と言うかコスモポリタン。

それはもう、自国も外国も何が何だかわからないくらい溶解していて、共通の「故郷」を改めて設定しなければ、根無し草で漂流で不安でしょうがない、という心理にもなるはずで、その根っことなる新たな故郷(天国)を「積極的に」提供しようとしたのが、新進気鋭の福音教、キリスト教であった…と。

古代ギリシャから続く、ポリス伝統社会の溶解と崩壊……それは、唯一絶対神の宗教にすがらざるを得ないほどの、社会的動揺であったろうと「想像&結論」するものです。

※当時の人々の思いは結局のところ、想像する以外に無いのですが、ローマ社会を期に、国教が多神教から一神教に入れ替わった訳ですから、それほどの社会的動揺、人心クライシスだったのだろうと結論する訳です。

そして、当時のキリスト教は、すさまじい迫害と殉教の時代でもありました。ネロ帝のキリスト教迫害は有名な話になっています。

殉教者の生き様(死に様?)を多く見てきたローマ帝国市民の間で、キリスト教を信じれば、死も怖くないのだ、という「憧れ」めいたものが生まれ、広がっていた…という可能性は大きいと思います。

以上のような社会&人心クライシスをもたらした淵源を探してみると…、

ヨーロッパ・アラブ両世界を駆け抜けた大激震、急転直下の国際情勢、と言えるほどに大きな動乱の時代がありました。

それこそが、ヘレニズム時代。アレクサンドロス大帝国の急激な成立と、その急激な崩壊。アレクサンドロス大王こそが、ヨーロッパに(アラブにも)深刻な精神動揺をもたらした、「謎の分断」の正体では無いだろうか…と、考察するものであります。

次は、ヘレニズム時代を物語ってみようと思います…