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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

前シナとシナとその後・前篇

メモ程度ですが、頭の中でグルグル回っている思索を書き出してみました。

いわゆる「中華」世界の幕開けが、秦の始皇帝による天下統一、紀元前221年。

統一前には幾つかの王国が群雄割拠していた(…というより、この時代を考えると、むしろ都市国家の覇権争いというイメージで捉えると良いのかも…^^;)

これらの諸国家が出現したのは平均して前4世紀半ば。

  • それまでは、黄河流域一帯においては、「周王」だけが「王」を名乗っていた。
  • 長江流域で散発的に「楚王」「越王」「呉王」という大きな勢力があった。
  • 「諸侯」と称される首長を戴いた小国が、わらわらと分布していた…

このような情勢で、諸国(=というよりは「城郭都市」=)の間で適当に交易したり紛争したりしていて、何をどう間違ったのか、秦の始皇帝がいきなり、天下統一を果たした…

もっとも、この辺で既にアレクサンドロスの大帝国が西方に出現はしていたのですね。正確には秦の始皇帝の祖父の時代。アレクサンドロス大帝国はすぐに滅んでしまいましたが、遙か西から襲来してきた異相の軍団は、かなりのショックをアジアにもたらした筈…

個人的には、「大帝国(=覇道の国)」という概念が急激に東方に広まったのが、大きいのでは…と思っています。つまり、今で言う「中華」とか「統一帝国」とか「皇帝」という概念は、シナ人が自力で生み出した概念じゃないのかも知れない…というのが、当サイトの仮説になります…

「天下統一」。これ、実は極めて西アジア的な…というよりは、オリエント的な概念らしいのです。

そのグランドデザインを描いたのが、おそらくアケメネス朝ペルシア(前550年-前330年)。支配者はインド=ヨーロッパ語族、ないしはインド=イラン人。アケメネス朝ペルシアの祖先の土地はイラン高原南部で、公用語は古代ペルシア語とアラム語。ゾロアスター教が成立した時期でもある。

ついでながら、アケメネス朝ペルシアは「パジリク絨毯」で有名です。パジリク絨毯は、永久凍土の中で発見された世界最古のペルシャ絨毯で、ペルシャの誇りではないかと推察するところです(現在はエルミタージュ博物館にあるそうです)。同時に絹織物やフェルトが出土しており、こんな昔から遊牧・通商・騎馬の文化が確立していたのだ…という事実に驚かされるものです…^^

…余談でした:

アケメネス朝ペルシアは、それまで微妙に4つの国に分かれていた、オリエント世界を統一してしまいます。これが、後々にまで影響を及ぼす「天下統一」「帝国主義」のモデルになったのではないかと考えられます。微妙に4つの国と言うのは、リディア(現トルコ)/サイス朝エジプト/新バビロニア(現イラク~シリア)/メディア(現イラン~中央アジア~インダス川)のことです。

アケメネス朝ペルシアの統治機構は:

  • 全国の各州におかれた知事(サトラップ)
  • 「王の耳」「王の目」と呼ばれた監察官
  • 「王の道」と呼ばれる国道

秦の始皇帝の統治機構と似ています:

  • 全国に広がる郡県制(ブレーンの李斯が強く勧めたらしい)
  • 役人を中央から派遣して政治を行わせる
  • 度量衡の統一&国道の建設

秦の始皇帝を取り巻くブレーン…というか、祭祀を司った頭脳集団の来歴が、気になるところです。まして秦は、オルドスに居た遊牧騎馬系の民族をメインとする西方混血の国で、秦の始皇帝は、実はユダヤだった?という噂も流れているところ。真偽はともかく、アケメネス朝ペルシア帝国やアレクサンドロス大帝国について詳しい知識情報を持っていた、隠れミトラ=ゾロアスター教徒、またはユダヤ教徒が居たのではなかろうか…

《豆知識》アレクサンドロス大王はミトラ教徒だったらしい・・・征服地でミトラ=アポロ崇拝を奨励したので、ミトラ神話とギリシア神話の融合が進み、ヘレニズム風ミトラ神話が成立。天上からの王権継承を主張する神話となっている(=いわゆる中華王権神話の、「天命」の原形?)。もともとのミトラ神話の源流はヒッタイト・ミタンニ帝国の時代に遡り、ゾロアスター教の成立よりずっと古いという話です。

《余談》

秦の始皇帝の後、中華王朝はいろいろ出てきましたが、ざっくりとまとめると:

  • 秦、隋などの強烈な独裁弾圧型の統一帝国
  • 南朝、宋、明などの漢民族中心の弱小帝国(=漢帝国は非常に稀なケース)
  • 唐、元、清などの異民族皇帝を迎えた巨大帝国

現在の中華人民共和国(北京閥)は、独裁弾圧型パターンではあるまいか…と想像…^^;

中南海を支配する勢力(上海閥)は、弱小帝国のパターンのようで、これからどういう国家スタイルを目指すのが良いのか、必死で模索しているのではないだろうか…という推測も、無きにしも非ずです。

もし「東アジア共同体」が云々…という事になると、日本の皇室が中華皇帝になって、大陸の巨大帝国を支配してムフフ…という風に血迷いそうな気がして怖いです。その場合は、異民族皇帝支配下の巨大帝国というパターンになるかと…、そして鳩山首相は、そういう「ダース・シディアス」的オカルト満載な野心を抱くには、あまりにも最適すぎる人物だと思われます…(個人的な感想ですが…)

…たぶん後篇に続く…^^;

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中国近代アヘン史・まとめ

中国近代アヘン史/黄金の呪い「黒いお金」
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/380/

黒いお金「阿片」・1
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/381/

黒いお金「阿片」・2
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/382/

黒いお金「阿片」・3
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/384/

黒いお金「阿片」・わき道の考察
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/385/

黒いお金「阿片」・4
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/386/

黒いお金「阿片」・5
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/387/

黒いお金「阿片」・6
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/388/

黒いお金「阿片」・7終
元記事:http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/389/

《編集後記》文字コードの都合で、日本に無い文字のコードを見つけるのが大変でした。ユニコードだと記述できるのですが、それだと、ブラウザで文字化けを起こすので、慌ててしまいました。

「ユニコード・タグ」で、実体参照コード風に記述すると上手くいくことが分かり、ホッとしたのであります。古い世代のブラウザだと文字化けを起こすらしいのですが、そこまではちょっと…対応の限界を超えますし…いずれにせよ便利なものがあって、本当に良かったです。

さすがにサイト内の記事については、さほど明るいテーマとは言えませんが、当サイトにとっては非常に考えさせられる事の多かったテーマであり、印象深い思索経験となりました。

今でも影響を及ぼし続けている微妙な問題である…という事情に加えて、資料収集が断片的になった事もあり、断片的な編集になった事は否めませんが…、恐るべき〈黒いお金〉の呪いが結んだ近現代の歴史を、総合的・物語的に仕立ててみた…という点では、多分、当サイトが最初の試みになったかなあ…と想像しております(先行者がいらっしゃれば、その栄誉は先行者に…)


FriendFeedコメントより転載

美月さん、大変なベンキョウ量でしたね。よくまとめられたものと感心しています。お疲れ様でした。そのせいかやや体調をおくずしのようですね、まずはゆっくりお休みください。わたしの週末は風邪で体力を消耗しいまは脱力しています。「悪霊」の気配はなかったのでこっちは平気だろうと思いますがw - 丸山光三
《返信》コメントありがとうございます;^^ゞ…あれから本格的な発熱が始まりまして、1日+アルファ寝込んでおりましたが、おかげさまで今は元気です。ご心配おかけいたしました。学生時代は不真面目でしたので、近現代史の知識が真っ白で取っ掛かりがつかめず随分迷いましたが、そのぶん各種の事象を中立的に見られたように思っております。丸山さまも、お体お大事になさってくださいまし^^v

中世史折り返し雑考・後篇

(前知識)・・・5世紀から7世紀の間は、世界的に寒冷化し、食糧不足が起きていたという指摘があります。その影響は、再び地球平均気温が上昇した中世高温期(10世紀-13世紀)になって、やっと薄れてきたそうです。

ユーラシア東端でも、この急激な寒冷化による影響は大きかったようです。

魏晋南北朝の末の大混乱を経て、遊牧騎馬民族を中心とする隋唐帝国が出現したのがそうですし、その後の中世高温期に入ると、中央アジアの食糧事情が好転したという事もあって、ウイグル、キルギス、遼(契丹)、西夏、金、吐蕃、南詔、新羅、渤海…と、遊牧騎馬系諸王国の勢力拡大が目立っています。

…寒冷化の原因は火山灰では無いかと言う説もあります
「6世紀~7世紀の寒冷化と社会変化」http://sicambre.at.webry.info/201604/article_20.html

中世交易の主力商品は、「スラブ人奴隷ないしは白人奴隷」だったそうです。

ヴァイキングは、川沿いに遡上しての奴隷狩りが、とても上手だった。アラブ商人との奴隷貿易があり、ヴァイキングの本拠地の1つだったバルト海付近から、大量のアラビア銀貨が見つかっているそうです。

当時の各宗教の法律に、次のような項目があるそうです。

  • イスラム教バージョン=イスラム教徒はイスラム教徒を奴隷にしてはならない。
  • キリスト教バージョン=キリスト教徒はキリスト教徒を奴隷にしてはならない。
  • ユダヤ教バージョン=ユダヤ教徒はユダヤ教徒を搾取してはならない。

同じ頃、スラブ人が大挙して民族移動し、バルカン半島に続々と流入しています。当時の歴史資料によれば、気候悪化・食糧不足によって暴徒化した人々が、大部分だったそうです。すさまじい略奪&暴力行為とか、かなりの流血が見られたそうで…歴史記録を読んでいて、気が遠くなってまいりました…(貧血症の経過観察中なのに、これはハード過ぎる)…orz

『三国志』のハイパー悪役キャラ・董卓が、集団で襲来したのか、と思われるほどの行為なのですね(ただしこの場合、メインは食い詰めた人々だったので、メタボは皆無だったと思われます…)。

※日本でも餓死者が多かったのですが、日本の一般民衆の間では、そんなにすさまじい暴力行為の記録は無いのです。歴史記録にあるのは、聖徳太子の記録とか、物部氏(神道派)と蘇我氏(仏教派)の宗教的抗争とかです。当時の大和朝廷の人々は渡来人系が殆どで、混血が浅い分、血の気も多かったのでは…と思われるところがあります。在来の日本人は、現代と同じように大人しい性格が大多数で、わずかな備蓄を少しずつ分け合ったり、備蓄が尽きた後は、倉の打ち壊しや一揆に走る程度であった…と推測されます。

大陸系の人々って、やっぱり脳みその何処かに未解決の問題があって、集団暴徒化&パッション化すると、他者の痛みへの想像力が徹底的に欠けてしまうとか…ムニャムニャ…「繊細なセンスが無い人々」=「蛮族」ではありますが…orz

…ともあれ、このスラブ民族大移動が、現代にまで続くバルカン半島問題の始原。

スラブ民族大移動…突厥に追われたアヴァール人の東欧への侵入とか、気候悪化・食糧不足・情勢不安もあったのでしょうが、何故このタイミングでスラブ人が急にバルカン方面へ移動してきたのかについて、ひとつの大きな要因を想像せずにいられません。それが、「奴隷貿易」です。

…特にヴォルガ流域やキエフ、南ロシアは、アラブ商人とヴァイキング商人が出会うところであり、白人奴隷の供給地であり、奴隷貿易の中継地かつ市場だったそうです。ヴォルガ川は、北欧のバルト海と中央アジアのカスピ海とを結んだ大河であり、黒海へのルートも開けていました。ホラズム、ニシャプールなどの諸都市は、アラブ商人の奴隷市場として繁栄した都市だそうです…

当時のキエフ-南ロシア、その中心部にハザール(たぶん白系ユダヤの起源問題)の謎がある…

…問題は、ヴァイキング等が活躍した中世の奴隷貿易が、どの地域で、どの程度の規模で行なわれていたのか?です。アラブ方面では、奴隷貿易の結果、8世紀頃に白人傭兵(マムルーク)が急増して、マムルークによる王朝すらあった訳で…、オスマン=トルコでは、イェニチェリと呼ばれる白人傭兵も多かったのです。トルコ白人の増加は、アメリカ黒人の増加と、理由は同じだと思われます。

キエフ=ルスやハザール王国(7-10世紀頃)は、中世の奴隷貿易が盛んだった頃、どういう役割を果たしていたのでしょうか?カフカス交易ルートの独占で栄えた王国だった以上、この貿易利権に無関係だったとは…とても思えないです。

…同じ頃に奴隷貿易に手を染めていたヴァイキング商人(海賊)は、何処へ消えたのでしょうか?

同じくヴェネツィア商人、つまりフェニキア人の末裔とも噂される富裕なユダヤ商人もまた、奴隷貿易に手を染めたという記録があり…いわば国際豪商、今で言う国際金融グループの先駆に違いないけれど、ハザール王国を中継した奴隷貿易で儲けた筈の、ヴァイキング商=ヴェネツィア商=ユダヤ商の富は、いったい何処へ流れ、蓄積されていたのか…

…当時のローマ・カトリックは、盛んに異端審問を行なっていたけれど…ひそかに奴隷として売り飛ばす、というのも無かっただろうか…?ヨーロッパとアラブと共通で、中世の内戦とか、繰り返し流行したペストで、えらく人口が減少したはずだけど…、その頃に荘園制度(穀物生産)を支えた「農奴」という労働力は、そもそも、何処から湧いて来たものだったのか?

…この時代の動向をまとめた資料が少ない感じで、何だか「ごちゃごちゃ」で、どうにもまとまらないですが、歴史時空の中に複雑にセッティングされた「《光》と《闇》の封印=呪縛の相」を感じますし、様々な疑念が湧いてまいります…