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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2022.08.13ホームページ更新

2022.08.13付でホームページを更新しました。

サイト(トップページ)URL【http://mimoronoteikoku.tudura.com/

セクション「物語ノ本流」http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html
>第三部マレヒト(目次の内容がのびたため、少し下へスクロール必要)

「マレヒト」扉絵と、第三部・第一章「瀬戸内」(コミック形式50頁)を追加しました。


章タイトルとなっている「マレヒト」は、おおむね「彼方より"おとづれる"者」という意味合いで使っています。ほぼ折口信夫氏の説に沿っています。

おとづれ…「音」という文字の成り立ちについて、白川静氏が興味深い議論をしています。

白川静『常用字解』より

会意。言と一とを組み合わせた形。言は、神に誓い祈る祝詞を入れた器である口の上に、もし偽り欺くことがあれば入れ墨の刑罰を受けるという意味で、入れ墨用の針(辛)を立てている形で、神に誓って祈ることばをいう。この祈りに神が反応するときは、夜中の静かなときに口の中にかすかな音を立てる。その音のひびきは、口の中に横線の一をかいて示され、音の字となる。それで音は「おと」の意味となる。音とは神の「音ない(訪れ)」であり、音によって示される神意、神のお告げである

横棒の「一」をもって、来訪する神、または神の意を伝え来る存在、を表示するのが興味深いところです。この「一」を「ひとつ」とみて「ひとつもの」と解釈することも可能か…と思われます。

「ひとつもの神事」というのが日本にあります。特に奇祭とされることが多く、由来の良く分からない神事でもあります。

ヒトツモノは社寺の祭礼・法会などで行われる神事・行事の一つ。稚児などの扮装した人あるいは人形がヒトツモノと呼ばれ、神幸行列などに加わるものと、何らかの儀式を行うものがある。一般的には一つ物、一ツ物などと表記されており、文献史料では一物、一者とも表記されていた。芸や所作があるわけではないため、いわゆる芸能的な要素は少ない。日本民俗学において依坐やその名残であるという説が定着しているが、元々は風流であるとの説もある。

仮説ではありますが…「一ツ物」は目に見えない神様の姿を具現化したものと解釈できます。ヒトツモノ神事における「ヒトツモノ(一)」=「マレヒト(来訪神)」と考えられる。

「マレヒト」…折口信夫氏>彼方からの来訪神、それに類する者
神の来訪>おとづれ>音
白川静氏>「音」は「言」の「口」部分に「一」が入る形…「一」を「ヒトツモノ」と解釈可

「一ツ物」=「依代」が無意識に発する言葉を神の意志として受け取る…というやり方で「おとづれ」を認識するというのが、はるかな古代には、あったのではないかと思われます。その「おとづれ」は、闇夜の神事でもあったと想像できるのです。現在でも、幾つかの重要な神事は、夜間に進行することが知られています。

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白川静氏による、音に関する言及・おまけ

>音には、一種の音感というものがある。その音感が次第に固定して語型をもち、言葉になって分化してゆく。本来的にある一つの系列音というものがあって、そこからことばが系列的に分化してゆく。漢字の場合、文字がたくさんに分化してゆくのは、一般的な音表記というものがないためです。

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2022.08.07ホームページ更新

思うところあって、ホームページ版『深森の帝國』の内容を大幅に整理し、それに応じて、各ページ構成も大きく切り替えました。

サイトURL【http://mimoronoteikoku.tudura.com/

☆思索&雑考エッセイや、読書ノート資料のページを大幅に断捨離

☆元々は制作中の創作マンガを一括して掲載するために作成していたので、これを中心として、まとめ直し(特にライフワークとなっている、長編オリジナル和風ファンタジー漫画)。ページが増えて来て、これだけでも相応のボリュームとなり、独立した創作サイトの内容としては不自然では無さそう

☆折々のイラストのコーナーを独立化

☆「小説家になろう」サイト掲載作品のバックアップを兼ねて、過去に公開済みの小説作品コーナーを増設

他にもチマチマと変えている箇所がありますが、大きな変化としては、以上となります。

初期サイト公開の頃とは異なり、ネット環境も高速化・大容量化しました。マンガ・イラスト系の創作サイトでありますし、イラスト点数は増やしたいところ…(時間上の制約は大きいので、どれくらい出来るかは未知数。適宜、折を見てページ増設の予定)

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聞き取り【桑畑/桑林】【養蚕】

1950年~1960年の頃
空襲の標的から外れていた田舎、関東圏の山林農業エリア
WW2戦後だけど牧歌的雰囲気

自家養蚕のため、田畑の一角に桑林…樹勢が強くて、常時モッサモサ
屋根裏が大きくて広い養蚕室になっていた
蚕が葉をバリバリ食べる音、部屋じゅうに…
春夏秋が養蚕シーズン、シーズン中、年に5回~6回くらい繭を収穫
繭の近くで、孵化したての毛蚕が食事スタートしてる状態
子供は朝食前または登校前に桑畑へ出て、桑の葉を採集して養蚕室へ運ぶ
枝の整理の必要が出た時はノコギリで枝を落として、枝ごと蚕に与える※枝だけ残るので効率が良い
繭の収穫期(年5回~6回)定期的に繭を集める人が来て、目方で測り、買い取り、どこかへ…※富岡製糸の方かも
冬季、桑の木を順番に回り剪定、樹高を低く保つ
切り枝は、囲炉裏かまど風呂の燃料の足しに※電気ガス水道は無い
風が強い日は風呂を沸かさない使えない…火事の方が恐怖

余禄:聞き取りの補足
蚕の身体が大きくなり、桑の葉を食べなくなるタイミング(繭を作る段階になった時)
「あがり(動名詞)」「あがる(動詞)」と言った

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利根運河-江戸川-隅田川-神田川…と水運で上京した人物の物語、大いに感じ入るところあり

明治の末ごろ、利根川下流のどこか、貧しい(中の下くらい?)農家の生まれ。次女か三女。兄弟姉妹5~6人くらい? 田、畑、年3回の養蚕で生計。

農業メインで学業の余裕は無かったが、勉強が好きな性質で、成績優秀との評価あり。卒業したら、農業しつつ良縁があれば嫁入りするのが定番だったが、学問に理解のあった父親に頼み込んで就職試験を受ける。試験で一番を取れたとのこと。(父親が喜んでくれたとのことで、ご本人も嬉しかったそうで、思い出話にも割と出たらしい)試験の結果ささやかながら公務仕事を得て上京。この時、利根運河を経由して水運で上京。

2年くらい東京で仕事していたらしい。(多分16~17歳の前後)華やかな大正ハイカラ・モダンガールというほどでは無いけど、田舎娘の手の届く堅実な範囲で、それなりに東京の先端ファッションとか、複数ある(!)本屋さんで学問の本を眺めたりして、ウキウキしていたかも、とのこと。

関東大震災にリアル遭遇して、大火災の中を逃げ回ったとのエピソード有り。本人は、あまり詳しくは語らなかったらしく、断片的な伝聞のみなのでハッキリしないけれど、色々大変だったらしい。

震災で仕事が無くなり、社会不安や治安悪化も大きく、ほどなくして帰郷したそう。(鉄道ほぼほぼ全滅状態だったけど、利根川を含む内航船ルートは動いていた)上京した時とだいたい同じ水運。その後、良縁があって、嫁入り。

大恐慌や世界大戦が続き、田舎の農家なので食べ物はあったけど生活は苦しかった。困窮するほど、という訳では無いけど、苦労は多かったらしい。

学問への好奇心は高く、地元婦人会などで聴講や勉強の機会があると、マメに参加していた。親しい女友達と共に婦人会の中で学問サークル類を立ち上げて、活動していたとの話あり。嫁いだ先の旦那さんが学問畑の関係者で、とても理解があったそう。

身体は丈夫で、100歳ちかく生きて、大往生したとのこと。

2021.12.12ホームページ更新

『物語ノ本流』にて
【第二部 タタシマ】…「第十章.東奔西走」を全ページ公開(オリジナル和風ファンタジー漫画)

『物語ノ傍流』にて
「猫天狗!」シリーズ、2つの短編を追加
・【猫天狗が光り舞う!~不惑の年のボーイ・ミーツ・ガール事件(海外版)】
・【猫天狗が光る!~密室の窓を金魚と泳ごう】


(何かの時の考察用メモ)

https://enlt.net/ps/Togoku3/「東国三社」(日本のパワースポット)
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社は富士山を意識して配置された可能性あり。
富士山から見て、鹿島・香取・息栖の先の海から太陽が昇るように見えるのは5月第一週ごろ=日の出レイラインを構成。
東国三社から見て、富士山の頂上に太陽が没するように(ダイヤモンド富士)見えるのは11月第一週の頃。

●中央構造線メモ
阿蘇神社―(四国横断~淡路島南岸)―高野山―天河神社―伊勢神宮―豊川稲荷―諏訪大社(急角度で内陸に向かって折れ曲がる)―氷川神社―香取神宮―鹿島神宮

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1456812091457761286
わざはひ(禍・難・災・祥)】神意として深く隠されているものが、そのしるしとしてあらわれるものを【わざ】といい、【わざはひ】という。【はひ】は【幸(さき)はひ】【賑(にぎ)はひ】と同じく、その作用として機能することをいう。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470235558421331973
人の世に完全というものはない。究極のものを真といい、善といい、美という。真とは行き顚れて、その霊力の滅びずして残るもの、美とは犠牲として神に供えた羊の姿、善とは羊神判において神意を示す羊の姿を含む字である。そこには人の世界はない。それで人の究極は、その不完全態においてある

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1470144883948396545
宗教はかつて、人を救うたかもしれない。しかし本当に救われたのは、愚昧随順の人たちだけであった。救われたというように思うだけで、救われるような人々であった。凡そ生物の全体に霊活を与えるもの、それが真の宗教である。その霊活なる秩序に身を投じることが、真の宗教であろうと思う。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1471368123538604035
世が乱れてまいりますと、あまりはっきりと作者が名告って批判をするということができなくなります。そういう時代に、童謡が生まれた…この【童】というのは、強制労働に服している、いわばなかば奴隷に近いような人々であります。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1475852637665120258
【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

●https://twitter.com/sizukashirakawa/status/1479265118404083712
学問の世界でも、忠実な紹述者ばかりでは、何ごとにも発展はない。論難答問があって、はじめて展開がある。その論難答問を認めないような、権威主義の横行を許してはならない。【狂】とは、まずそのような権威を否定する精神である。そしてその否定を通じて、新しい発展をもたらす理性が生まれる。


(メモ)

●鷲巣繁男『行為の歌』より
風が吹いてゐる、
一本の骨の中に――。
骨の中には淋しい息がある。
或る日閉ぢ込められた運命だらうか。
骨の中に風が吹いてゐる。
何者だらう、生きてゐる時ふと聞いた風の声、
空を渡っていく鳥が告げた、この世の異変の前ぶれだったらうか。

●バックミンスター・フラー
Environment to each must be
“All that is, expecting me.”
Universe in turn must be
“All that is including me.”
The only difference between environment and universe is me......
The observer, doer, thinker, lover, enjoyer
それぞれの人にとって環境とは、
「私を除いて存在する全て」であるにちがいない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」であるにちがいない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私……
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

●ゴダール「映画は現実の反映ではない。反映の現実だ」

●https://twitter.com/Prokoptas/status/1468308956041080832
総合的に判断して、古代エジプト人は、どうやら、魚を食べることに慎重であったようだ。先ず、「海の塩は不浄とみなされ……海に関係あるすべてのものと同様……邪悪の神セトの領域に属するものと考えられていた」(ストロウハル『古代エジプト生活誌』上巻)。


https://news.yahoo.co.jp/byline/moritamasamitsu/20211120-00268912

漂着した「軽石」は資源になる 沖縄県環境部が発表した軽石の分析結果
8月13日硫黄島から撮影された福徳岡ノ場の噴火の様子(提供 海上自衛隊第21航空群)
現場付近では凄まじい噴煙
福徳岡ノ場から北へおよそ60キロに位置する硫黄島で撮られたものです。噴煙の上部がカナトコ状になり、それ以上は雲が上昇することができない、いわゆる圏界面に達していることがわかります。また、火山雷(噴火の際に噴出した軽石や、火山灰などがぶつかりあって電気が生じたもの)が発生していることもわかります
いずれも、スマートフォンで撮影したものとのこと。60キロの距離というと、東京から神奈川県の丹沢くらいになります。これだけ離れた距離でこのような写真が撮れたことからも、噴火の規模は相当大きかったと言えるでしょう
また気象の上では、火山の噴煙が圏界面を越えて成層圏に入ると気候に影響が出ると考えられています。当時の小笠原付近の圏界面は約1万7000メートル。噴煙の高さは1万6000~1万9000メートルですから、噴煙の一部が成層圏に入った可能性も有ります

2021年8月 福徳岡ノ場で起きた令和初の国内プリニー式噴火と島の誕生と漂流軽石を見守る会
https://togetter.com/li/1762225

例の軽石完全に理解した(い)~現在までに分かっていること~
https://note.com/geomemorandum/n/nb22c82b8af80