2008.8.17ホームページ更新
物語ノ時空・・・『八羽根叙事』の中の記事というスタイルで、「審神者」とそのジャッジ(審神)についての私観をアップしました。
詩的考察というよりは、幾許か推論に似た調子の文章になりましたが、今ここに生起する、今まさに目撃している「現実」「事象」とは何か?について、審神プロセスの考察を通じて、一考のタネを提供できたかなと思っております。
事象を考察するとき、その世界に飲み込まれる(洗脳される)でもなく、かといって完全に拒絶して、無関係なる「他人事」としてナナメに見るでもなく、そうした絶妙な距離をもって当該事象と辛抱強く対峙し続けているうちに何かしら当意即妙といったひらめき(占断・示唆・直観)が得られるのでは?と思っています。
とはいえ、人間たるもの、感情や思想で揺れ動く生き物であり、「歴史」という名の壮大な物語を生きている存在であり、そもそもの「絶妙な距離感」というのが、なかなかムツカシイですが…
《古代日本の審神者について》
かつて、政治と祭事がそれほど厳密に区分されていなかった古代、日本の神道には、降神術とも言えるものがありました。霊媒師と審神者(サニワ)でチームを組み、神の託宣を聞き伝えるというものです。
霊媒師は神を降ろす役目。依坐・巫女といった、霊感(或いは超感覚)の発達した人が務めます。神を降ろす時には、梓弓(あづさゆみ)と呼ばれる、聖別された弓を弾いたという事です。これが和琴の原型となったと言われています。
一方、審神者は、霊媒に降りてきた「神」の真偽を質す役目です。審神者は、「神」を鑑識するために、およそあらゆる異族の神々やその由緒をも究めている必要がありました。このような事実は、審神者とは、およそありとあらゆる世界観に通じている者であった、あるいは「現実とは何か、神の本質とは何か」について、優れた洞察力を備えた者であったという事を示唆しています。
時代を下って、神仏習合による万華鏡的な霊的世界を整えてゆくにしたがって、この種の慣習は薄れてゆきました。しかし、明治の国家神道および廃仏毀釈運動によって、こうした霊的世界が崩壊します。すると再び、この霊媒師―審神者のチームによる託宣の慣習が復活してきました。
「神」、あるいは「神のようなもの」――とは何でしょうか。霊媒師は何を感じ取って(何を降ろして)いたのでしょうか。そもそもわが国においては、真の神々は古代より「姿無きモノ」であり、通常の環境ではなかなか感受しにくい存在であると考えられていたようです。
中世を生きた西行にいたっては、「何ごとのおはしますかは知らねども――」と歌っています。
当サイトでは、霊媒師が感受し、審神者が深い考察の末にジャッジしたものは、汎世界レベルでの「境界知」ではなかったか――と解釈するものです。