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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2010.10.17ホームページ更新

新しい詩歌作品を更新しました。

カムナビ―いと深きものに寄す:直通アドレス
http://mimoronoteikoku.tudura.com/garden/waka/57sinobi_03kamnabi.html

今回添付したイメージは、ささやかながら個人撮影のケータイ写真です。

むしろ曖昧な光景の方が、全体のイメージが膨らむかも…と思いました。


ついでながら、近況報告=10.16-17箱根旅行の際の、新しい写真をば。

小田原の海

1枚目は、昼食のために途中下車した小田原漁港の近くの海です。遠くに見えるのは(多分)漁船か、釣り船。久しぶりに「これこそ太平洋」と言うか、水平線の他には何にも無い茫漠とした風景を堪能しまして、仙人のような気持ちになりました(笑)

波の音などの水系統の音は、やはり心惹かれるものがあります。これが、地球の生物が最初に覚えた「音楽」なのだなあ…と、微妙に地学的&生物学的な、壮大な想像をしてみました。

秋山の中の川

2枚目は、富士山のふもとの山の中です。名前は分からないのですが、綺麗な渓谷を流れていた川で、川床の小石がはっきり見えるほどの清流でした。手を入れると冷たくて、良い気持ちでした。

川が削り出した岩とか川床とかが真っ白な岩なので、水の色が綺麗に出るのですね。お天気も良かったので、透明で明るい、深い翡翠の水色を堪能しまして。

やっぱり秋だなあと思ったのは、紅葉が始まっていたことと、ススキがわさわさ生えていたことでした…*^^*

そして、のんびりと旅行している間に世間では大変な騒動(?)だったようで、帰ってきてから、ものすごく驚かされました(中国の各都市で反日デモ?とか…、何が何だか…です・汗)

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2010.7.27ホームページ更新

新しく以下のページを追加しました=[華夏の時空3.・・・黄河乱世ノ章

元となった過去エントリ:

思索の放浪(思いつきの覚書)
前シナとシナとその後・前篇〉・〈前シナとシナとその後・後篇
シナ研究:中原の呪縛・1
序文のようなもの(春秋から秦・漢までの大雑把な私見)
シナ研究:中原の呪縛・2
【匈奴大帝国】・・・前篇(匈奴の膨張)
シナ研究:中原の呪縛・3
【匈奴大帝国】・・・後篇(漢と匈奴の国際関係)
シナ研究:中原の呪縛・4
黄老思想と陰陽五行説・・・漢代における神秘哲学思想
シナ研究:中原の呪縛・5
「新」帝国の貨幣政策・・・古代東アジアの巨大デフレ・スパイラル
シナ研究:中原の呪縛・6終
三国/南北朝・五胡十六国時代・・・退嬰と混沌の果ての「華夷秩序」

プチ更新・・・[迷宮のミノタウロス](原題=派閥の力学・考シリーズ)

「メサイア・コンプレックス」の参考にしていたサイトがいきなり行方不明になり、引用元が失われた状態になってしまったので、大変困惑しております…orz

一応、旧アドレスはそのままにし、「現在リンク切れ」という隠しコメントをつけてあります。

それと共に、新しく見つけた「メサイア・コンプレックス」の参考資料となるサイトに紹介リンクを張りました。ページの中ほどにありますが、こちらにもご紹介:

・・・ブログ『愚者の侃々諤々』さまより
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(1)
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(2)
抑圧と「メサイア・コンプレックス」(3)

ブログ『愚者の侃々諤々』の著者はクリスチャンらしく、『聖書』を元にした文章をメインに著述されています。文章はとても長いですが、丁寧に読めば、要旨は分かりやすいのでは無いかと思います…^^

2010.6.23ホームページ更新

以前にお知らせしていました通り、ブログに今まで掲載していた一点もののイラストを並べて公開しているページ〈深森ノ画廊〉を作りました^^

直通アドレス=[http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/gallery.html

さすがに、「一生懸命描いたけど、アマチュアでシロウトな所が抜けてないから気恥ずかしい」という事で、こそこそ…と、リンクを作ってあるので、すぐには見つかりにくいかも知れませんが…(イラスト系という事で、「物語ノ本流」に付けた「説明書(画風の説明)」の部分に、「深森ノ画廊」へのリンクを付けてあります)…^^;

…お知らせだけじゃ内容が薄いので(笑)、現在、気になっている箴言など…^^

岡潔(おか・きよし)の箴言・・・

人の情緒は固有のメロディーで、その中に流れと彩りと輝きがある。メロディーがいきいきしていると、生命の緑の芽も青々としている。そんな人には、何を見ても深い彩りや輝きの中に見えるだろう。
ところが、この芽が色あせてきたり、枯れてしまったりしている人がある。そんな人には何を見ても枯野のようにしか見えないだろう。これが物質主義者とよばれる人たちである。
生命の緑の芽の青々とした人なら、冬枯れの野に大根畑を見れば、あそこに生命があるとすぐわかる。生命が生命を認識するのである。こうした人にはまた、真善美の実在することも分かる。しかし、物質主義者には決してわからない。
物質主義とは何であるかといえば、「初めに時間・空間というものがあって、その中に自然というものがある。その自然の一部が自分や人の肉体即ち自分や人である。自然は物質である。だからすべては物質によって説明がつく」というので、ここまでならば物質思想であるが、そうとしか思えないということが加わっているから物質主義である。これが今のたいていの日本人には仏教でいう先入観としてはいっている。
その結果、今たいていの日本人は自分が死ねばそれきりだし、生まれぬ前の自分などというものはないと思っている。これが仏教でいう偏見である。これが実に困るのである。

ヒュパティアの箴言・・・

生きると言うことは、世界が広がっていくことである。人生を旅すれば旅するほど、より多くの真実を理解できるようになっていく。戸口にあるものを理解することは、その先にあるものを理解するための最善の準備になる。