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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

離島戦略A2AD関連

《記事メモ》http://jp.reuters.com/article/east-china-sea-idJPKBN0U107L20151218
焦点:東シナ海で日本版「A2AD」戦略、中国進出封じ込め(2015/12/18)

[東京18日ロイター]中国が南シナ海の支配を強める中、南西方面に軸足を移す日本の防衛政策が、地域の軍事バランスにとって重要性を増しつつある。中国本土から西太平洋への出口をふさぐように連なる南西諸島を軍事拠点化し、東シナ海に壁を築く日本の戦略は、中国軍の膨張を食い止めたい米国の思惑とも合致する。

南西諸島に監視部隊やミサイルを置いて抑止力を高め、有事には戦闘機や潜水艦などと連携しながら相手の動きを封じ込める戦略を、日本政府は「海上優勢」、「航空優勢」と表現している。しかし、安全保障政策に携わる関係者は、米軍の活動を制限しようとする中国の軍事戦略「接近阻止・領域拒否(Anti-Access/Area Denial, A2AD)」の日本版だと説明する。

<重要性増す第一列島線>

「事態を遅らせることはできたかもしれない。だが、列車はすでに出発してしまった」──。米軍が南シナ海で「航行の自由作戦」に踏み切った今年10月末、アジア情勢に詳しい米軍幹部はロイターにこう語った。

南シナ海に滑走路を備えた人工島を造成する中国に対し、米海軍は艦船を派遣し、中国の海ではないとメッセージを送った。しかし人工島はほぼ完成しており、関係者の間では、中国が軍事的な支配を確立しつつあるとの認識が広まっている。

1996年の台湾海峡危機の際、中国軍は急派された米空母の前に矛を収めざるを得なかった。その経験をもとに中国は、有事に米軍が戦力を投入できないよう、南シナ海、東シナ海、さらに西太平洋まで「内海化」することを狙っていると、米国や日本の専門家は分析している。

「中国の目標は南シナ海、さらに東シナ海で覇権を取ることだ」と、在日米国大使館の政治軍事部長や米国務省の日本部長を歴任したケビン・メア氏は言う。「譲歩すれば中国の挑発的な行動を助長するだけだ」と、同氏は話す。

このうち南シナ海が中国の勢力圏に入りつつある今、鹿児島県・大隅諸島から沖縄県・先島諸島を通り、マレーシアのボルネオ島まで連なる島々が、これまで以上に戦略的な重要性を帯びてくる。中国が「第一列島線」と呼び、米国に対する防御線と位置づけているラインだ。

「今後5,6年で第一列島線が日米同盟と中国の間の軍事バランスを左右することになるだろう」と、中谷元防衛相の政策参与で、自身も民主党政権時代に防衛相だった森本敏氏は指摘する。

<ミサイルで「拒否力」狙う>

それまでに態勢を整備しようと、日本は第一列島線のうち、自国領内の南西諸島の軍事拠点化を進めている。 鹿児島県の奄美大島に550人、沖縄県の与那国島に150人、宮古島に700-800人、石垣島に500-600人の部隊を置く予定だ。

これまで沖縄本島以南には、宮古島と久米島に航空自衛隊のレーダー基地がある程度だった。防衛省は、この空白地帯に警備部隊や監視部隊を編成することで、離島に侵攻された場合の初動態勢を整えると説明している。

しかし、配備するのは警備や監視部隊だけではない。奄美大島、宮古島、石垣島には対空・対艦ミサイル部隊も展開する。日本の防衛政策を南方重視に変えた民主党政権で、党の安全保障調査会事務局長として防衛大綱策定に関わった長島昭久衆院議員は「A2ADというきっちりとした考え方ではなかったが、南西方面に拠点を造り、ミサイルを展開して(相手が接近できないようにする)拒否力をつけようとした」と振り返る。

旧ソ連の侵攻に備えて開発された射程180キロの地対艦ミサイルなら、沖縄本島と宮古島の間に横たわる350キロの宮古海峡もカバーできるようになると、元陸将で笹川平和財団参与の山口昇氏は言う。

中国が構築しているとされる軍事戦略・A2ADは、対空・対艦、弾道ミサイルを沿岸部や内陸に大量に配備。潜水艦や戦闘機などと連携し、有事に米軍の艦船や航空機を中国本土に近づけさせない、近づいても自由に活動させないことを狙っている。

人民解放軍は今年9月の「抗日戦争勝利70周年」軍事パレードで、艦載機と合わせて50億ドルの米空母を破壊可能とされる対艦ミサイル「東風21D」を披露した。

米議会は、中国が第一列島線を射程に収める短・中距離ミサイル1200発を保有していると分析する。さらに中国は潜水艦を増強、レーダーを回避できる地上発射型の弾道ミサイルの開発にも取り組んでいる。

<航空優勢、海上優勢>

南西方面の防衛力を強化する方針は、2012年末に発足した第2次安倍晋三政権にも引き継がれたが、新たに策定された防衛大綱の中に「海上優勢」、「航空優勢」という単語が盛り込まれた。

敵の艦船や航空機の活動を制限した状態を指す軍事用語で、中国が構築を目指しているA2ADと同じ概念だ。

「我々はA2ADではなく、航空優勢、海上優勢という言葉を使った」と、今年10月まで安全保障担当の首相補佐官を務めた礒崎陽輔参院議員は言う。「米軍と一体となって一定の海域、空域で優勢が確保できるようにすることを念頭に置いた」と話す。

日本は新型哨戒機や無人偵察機の調達のほか、潜水艦部隊を増強することを決定した。ステルス性の高いF35戦闘機や新型輸送機オスプレイの取得、水陸機動団の新設も進めている。

平時の警戒監視を手厚くして軍事的空白を埋める一方、いざとなれば短時間で戦力を集中し、島に配備されたミサイル部隊と連携しながら、中国軍を東シナ海で自由に動けなくするのが狙いだ。

中国海軍の動向を研究する米海軍大学のトシ・ヨシハラ教授は、東シナ海から西太平洋にわたる海域で自衛隊が果たす役割の重要性を指摘する。有事の際に中国軍の作戦を制限できれば、米軍の活動の自由度が増すだけでなく、米軍が来援する時間を稼げるとみる。「日本は情勢をひっくり返そうとしている」と、ヨシハラ教授は言う。

国防費を大幅に削減する一方、中東問題から抜け出せない米国が、一国で中国の膨張を止めることは難しくなりつつある。アジア太平洋地域の友好国との関係強化が不可欠になっており、米海軍第7艦隊のアーコイン司令官は日本の動きについて、米軍の戦略を補完するものと指摘する。「米軍は世界のどこであれ、同盟国・友好国、そして潜在的な敵国の能力と戦力を考慮して作戦を立案する」と話す。

一方、中国は警戒を隠さない。中国国防省はロイターの取材に「いかなる日本の軍事的な動きも、近隣諸国の不安を呼ぶ」としている。

<運べなかったミサイル>

とはいえ、今はまだ机上の構想にすぎない。1つ1つの島が小さな南西諸島には大規模な戦力を常駐させることはできないため、緊急時には本土から素早く部隊を移動させる必要がある。

輸送手段を持たない陸上自衛隊の部隊や装備を、航空自衛隊と海上自衛隊が効率的に運ぶ統合運用がカギを握る。

10月末から11月中旬に陸・海・空の統合訓練を行った自衛隊は、本土のミサイルを南西諸島に初めて空輸しようとした。しかし、福岡県の築城基地から沖縄県の那覇基地まで、空自の輸送機が陸自の中距離ミサイルを運ぼうとしたところ問題が発生した。

危険物の輸送方法を定める国連勧告に従い、陸自が空自に事前申請したのは燃料の入っていないミサイルだったが、実際に運ぼうとしていたのは燃料を搭載したミサイルだった。燃料入りのものを運ぶ準備をしていなかったため、カラのまま運ばざるをえなかった。

「自衛隊は各地に部隊がいるが、輸送、ロジスティクス(兵たん)に問題がある」と、安倍内閣で14年9.9月まで防衛相を務め、自衛隊の統合運用を進めた小野寺五典衆院議員は言う。「陸・海・空、それぞれ整備や給油の仕方が違う。陸だけで使っていれば不便ではなかったことが、共同使うと問題が出てくる」と指摘する。

南西諸島への基地配備も、本格的に動き出すのはこれからだ。与那国島には15年度末までに150人の沿岸監視部隊を配置する予定だが、奄美大島と宮古島はこれから用地取得と造成に取り掛かる。石垣島については19年度以降の配備予定だ。

一方、中国軍が第一列島線を抜けて西太平洋に出ていく動きは常態化しつつある。11月下旬には爆撃機と情報収集機、早期警戒機が宮古海峡の上空を、12月上旬には駆逐艦、フリーゲート艦、補給艦が大隅海峡を通過した。

「(日本は)常に国会対応ばかりに終始して、安全保障の本質的な議論をすることすらタブーな国だった」と、小野寺元防衛相のもとで防衛副大臣を務めた武田良太衆院議員は言う。「そのツケが今日まで回ってきている」。

(久保信博、ティム・ケリー 取材協力:リンダ・シーグ、メグハ・ラジャゴパラン 編集:田巻一彦)

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エネルギーと戦争(WW1&WW2)に関する覚書

◆出典:『水から見た日本文明史と世界の水問題』
/公益財団法人リバーフロント研究所/編集/2013.2発行

※章の内容が重複したり繰り返しになったりしているので、一部を整理※

・・・第二次の動力革命・・・

【美酒に酔う国民】

19世紀、極東の島でかたくなに鎖国をしていた日本は、欧米列国の植民地になるのか帝国になるのかの選択に迫られ、「富国強兵」のスローガンを掲げ帝国への道を歩むこととなった。

日本が富国強兵の帝国への道を歩んでいくには、持ち運びの出来る石炭が不可欠であり、国家の最優先事項は、石炭の確保となった。九州や北海道で炭鉱が開発され、石炭は全て国家の管理下に入った。

明治近代化以前、日本のエネルギーは牛馬と薪と水であり、石炭は未開のまま近代日本に引き継がれた。日本は国内で石炭を確保出来る僥倖により、帝国の仲間入りの資格を得たのだ。

日本は日清戦争で清を破り、日露戦争で辛くもロシア帝国に勝利し、世界で最後の帝国に滑り込んでいった。さらに、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し、極東に位置していた日本は漁夫の利を得た。

日本は近代化の幕を開いた瞬間、立て続けに3度の戦争で勝ってしまった。この勝利で日本国民は美酒に酔った。国民を美酒に酔わせたのは戦争を戦った軍人ではない。戦場から遠い国内にいた新聞、ラジオがその美酒を国民に振る舞い、日本は限りなく膨張できると言う錯覚を刷り込んでいった。

【内燃機関と石油】

ところが、国政を司る政治家や軍人は、美酒どころではなかった。第一次世界大戦の真っ最中に、日本の前に大きな壁が立ちはだかってきたのだ。その壁は、「内燃機関」と「石油」であった。

ジェームス・ワットが蒸気機関を世に送り出した100年後の1860年、フランス在住のベルギー人ルノワールが内燃機関の実用化に成功した。

蒸気機関はピストンシリンダーの外で石炭を燃やす外燃機関であったが、内燃機関はピストンシリンダー内で燃料を爆発的に燃やすものだった。外燃機関の蒸気機関は、石炭を燃やす炉と貯水タンクが必要であったが、内燃機関はそれが不要で、限りなくエンジンを小さくできた。これが近代化文明の主役である自動車と飛行機の誕生を約束することとなった。

そして遂に第一次世界大戦において、石油燃料で戦う戦艦、戦車、そして飛行機までが登場した。第1次の蒸気機関に続く、内燃機関による第2次の動力革命が勃発したのだ。この内燃機関の登場は、石油を求める帝国をさらに膨張させることとなった。膨張する帝国同士の次なる世界大戦の予鈴は鳴ったのだ。

・・・石油の世紀の幕開け・・・

【内燃機関】

内燃機関は限りなくエンジンを小さくした。この内燃エンジンが近代文明の主役である自動車と飛行機を生んだ。

1862年、ルノワール(ルノアール)は内燃機関の自動車の試運転にも成功し、1886年にはドイツのダイムラーとベンツが、現在のガソリンエンジンとほぼ同様の自動車を世に送り出した。

その内燃機関で動く装置が、第一次世界大戦で戦争装置としてデビューした。戦艦は、蒸気機関から内燃機関となった。自動車は戦車に進化した。内燃機関の究極の輸送機、飛行機が登場した。

これら内燃機関の燃料が石油であった。液体の石油は石炭に対して圧倒的に有利性を持っていた。単位重量あたりの容積が小さく、カロリー量が大きく、ポンプ輸送ができ取り扱いが容易であった。

20世紀は石油の世紀と言われる。それは膨張する帝国の動力が内燃機関となり、燃料が石油となっていったからだ。その主導権を握ったのが、米国であった。その米国は、巨大な油田を掘り当てていたのだ。

【石油の20世紀】

第一次世界大戦の数年前、米国トーマス・エジソンの工場技師だったヘンリー・フォードはデトロイトに自動車工場を設立した。1909年、フォードは大衆向けのT型フォードを11,000台近く製造し、第一次世界大戦中の1914年には、流れ作業の組み立てラインにより40秒に1台T型フォードを出荷した。

この強引な自動車の大量生産を支持する重要な事件が米国で起きていたのだ。

テキサス油田の発見であった。米国の最初の油田は東部ペンシルバニアにあった。19世紀中ごろまではランプ油として利用されていたが、自動車の登場によって一気に油田の重要性が認識された。

1901年、テキサス州ボーモントでアンソニー・F・ルーカスが油田を発見した。この油田発見がフォードらの自動車産業を燃え上がらせ、その自動車産業の興隆がさらに石油探査を刺激した。

1930年、テキサス州ダラス市の東方で巨大油田が発見された。米国最大、いや世界最大の東テキサス油田であった。この東テキサス油田発見を背景にした映画が、ジェームズ・ディーンの『ジャイアンツ』である。

ロシアのバクー油田に匹敵する石油産国になった米国は、次世代の世界の盟主になるのはこの石油によって運命付けられていた。

・・・石油へ向かう帝国たちと取り残される日本・・・

【石油開発と争奪】

第一次世界大戦で登場した内燃機関と石油の威力はその後の帝国たちの方向を決定付けた。1800年代から石油は採取されてはいたが、それは工場燃料や家庭の暖房燃料としての役目であった。しかし、第一次世界大戦以降は膨張する帝国のエンジンの燃料として第一級の資源として位置づけられた。

全ての帝国は石油に向かって突進することとなった。

オランダのロイヤル・ダッチシェルは植民地のボルネオ島で油田を掘り当てることに成功した。

1830年から100年間、世界の石油の90%を産出していたのはアゼルバイジャンバクー共和国のバクー油田であった。1920年、ソ連はこのバクー油田に進駐し、我が物としてしまった。革命で弱体化していたソ連は、一気に世界の大国になっていった。

社会主義革命の後、ソ連が世界の大国にのし上がっていったのは、とにもかくにもバクー油田を確保したことにあった。石油エネルギーさえ確保すれば、革命イデオロギーがどうであれソ連社会は発展する資格を持つことになったのだ。

20世紀前半の石油争奪の世界の中で最も恵まれたのが米国であった(1930年、東テキサス油田の発見)。

【苦闘する日本】

ソ連のバクー油田と米国の東テキサス油田に遠く及びはしなかったが、英国は中近東で油田を掘り当て、ドイツも自領で油田を掘り当てていた。

世界の帝国の中で、日本は石油探査で苦闘を続けていた。

日本の石油の歴史は、思いのほか長い。1878年(明治10年)には新潟の石油削井組合が石油を掘り始めている。自国の領土で石油が産出されたこともあり、日本の精油技術は大きく進歩し、技術では世界の列国に肩を並べるものを持つようになった。しかし、新潟油田の産出量には限度があり、海外に求めざるを得なかった。

日本帝国が自由に油田探査をできるのは満州であった。1934年(大正9年)満州石油を設立し、1938年(昭和13年)石油資源開発法により満州に大量の資金と人材を投入していった。しかし、その探索はことごとく失敗に終わってしまった。

第二次世界大戦後、中国はターチン油田や大慶油田を掘り当てていった。もし、日本が大戦前夜のあの時期、満州でそれらの油田を発見していたら、歴史はどう変わっていたのだろうか。

第二次世界大戦前夜の1940年(昭和15年)、世界の石油産出分布は、米国が1.95KL(65%)、中南米が0.42KL(14%)、ソ連が0.32KL(11%)、中近東が0.13KL(4%)、オランダ領インドネシア0.08KL(2%)、ドイツ領0.07KL(2%)となっている。

石油開発に失敗した日本は、石油を米国に頼る帝国となってしまった。

・・・米国の石油の覇権・・・

【石油の誘惑】

1930年のテキサス州の巨大油田の発見は世界の歴史を変えた。

石炭の蒸気機関で帝国主義時代を切り開いた英国とフランスは、内燃機関のための石油を保有していなかった。石油産出地からも遠い英国、フランス両国は、石油大国の米国を自陣営に引き込み連合を組む戦略をとった。

帝国主義の最後に滑り込んだドイツと日本も石油を持っていなかったが、両国の位置は英国とフランスと或る点で異なっていた。両国の近くには、油田の誘惑が存在した。

ドイツにとってはソ連のバクー油田であり、日本にとってはオランダ領インドネシア油田であった。 膨張する帝国にとって石油は絶対必要なエネルギーであり、その石油の誘惑に勝つことは出来なかった。

【石油の戦争】

20世紀前半の帝国主義時代は石油覇権をめぐる戦いであった。後発の帝国のドイツと日本は、恒常的にエネルギー不足に見舞われていた。特に、石油を米国に全面依存していた日本は、自力で確保したいという渇望が鬱積していた。

金融恐慌と世界恐慌がトリガーとなり、ドイツと日本は世界のエネルギー再分配を求める戦争に突き進んでいった。

昭和14年、ドイツはポーランドへ進軍したが、そこがドイツの最終目標ではなかった。ポーランドの東にはソ連が控え、そのソ連は巨大なバクー油田を保有していた。昭和16年にはドイツはソ連に侵攻し、ソ連のバクー油田に向かったが、後方拠点のスターリングラードとの両面作戦だったことと、カフカス山脈越えの補給線が伸びたためバクー油田を確保することはできず、昭和20年5月無条件降伏した。

昭和15年、日本軍は南部仏印インドシナに進軍したが、そこが日本の最終目標地点ではなかった。インドシナ半島の目と鼻の先には、アジア最大の油田を持つオランダ植民地の東インド諸島が展開していた。

昭和16年12月、日本は米国に戦いを挑み、昭和17年には日本は東インド侵攻でインドネシア諸島を制した。しかし、確保した油を日本国内に輸送する補給線は米国潜水艦によって断たれ、昭和20年8月無条件降伏をした。

【戦争の本質】

『昭和天皇独白録』(文春文庫)で、昭和天皇が日独伊三国同盟の顛末を語った後に述べている「尚、この際付言するが、日米戦争は油で始まり油で終わったようなものである」という内容が、日本が戦争に突入していった理由の全てを表している。

2004年公開の映画『ヒットラー最後の12日間』で、自殺する直前のヒットラーは「石油があったらな」という言葉を苦しげに絞り出している。

当時の米国は、世界の石油の半分以上を産出し、支配していた。この米国が、「石油の世紀」を象徴する戦争(第二次世界大戦)の勝利者となり20世紀後半の覇権国家となったのは必然であった。

◆出典:『水から見た日本文明史と世界の水問題』
/公益財団法人リバーフロント研究所/編集/2013.2発行

twitter覚書:安全保障の思考

https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900321399574528
これは制度やシステムの問題の部分よりも、周知、または「情報を受け取る側の認識不足」の問題が大きいと思う。警戒音・警戒色・警戒報は、それが何を意味するか、受け取ったらどうしなければならないかが共有されてないと意味ない。それは大人向け教育の領域の問題。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327900774870953984
「地震の後には津波が来る」と知識で分かっていながらも、それを「警戒すべき危険」と認識しきれなかったことで大勢が亡くなった東日本大震災の津波を「日本」としては経験していて、阪神淡路大震災を「西日本人」として体験していながら、「自分ごと」として体験していなければ、身に付かない。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 阪神淡路大震災から20年も経ってないのに「自分事」になってないということは、教訓が十分に下の世代に伝えられていないことになりますね。東日本大震災では「津波てんでんこ」とか津波に注意を促す石碑に改めて注目が集まりました。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
これは憶測ですけど、「恐ろしいものの記憶を呼び覚まさせて怯えさせないために、怖い体験についてできるだけ語らない、封印する、子供のためにそれをする」という【善意】が、恐怖心を励起しかねない地震への備えを封じてしまったのかな、と QT @kotobukibuneBOT:
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg なるほど。善意が裏目にでるケースですね。確かに日本人は過去の嫌なことは、一切合切、"教訓”をも一緒くたに「水に流して」しまっているかもしれませんね。
加藤AZUKI@ぶつ森最優先の人生 @azukiglg
「自分が経験した辛い思いを子供達にも味合わせたくない」というのは、それはそれで善意だと思うんですよ。だけど、そこから得られたはずの教訓は「辛い経験」を合わせて教えないと効果がないのに、辛い経験もそれに即した教訓も教えないから伝わらない。 QT @kotobukibuneBOT:
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901115708489728
東日本大震災の津波警報を大人ほど真に受けなかったことに、ちょっと似てる。東日本大震災後に強化された緊急地震警報を、東日本大震災の当事者意識が薄い西日本では「自分事」として受け止められてない、ということの証左かもしれん。
日比野庵_bot @kotobukibuneBOT
@azukiglg 福島原発事故後の計画停電も実施した地域としなかった地域とで危機感の差があったと感じます。その時期、仕事で名古屋にいったのだけど、首都圏は節電でネオンもなく暗かったのが、名古屋にいったら、エスカレーターも全稼働。照明も煌々。別の国かと思った。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327901328867225600
愚者は経験に学ぶというが、「他人が酷い目に遭ったことを教訓として、他の人が酷い目に遭わないように」と作られた制度やシステムであっても、自分自身が酷い目に遭わなきゃ活かすことができないってんなら、意味ねえ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327902752472698882
ふと思い出したのが怪ダレのコンセプト。手前味噌ではあるが、怪ダレの重要なコンセプトのひとつに、「大人が目を離した隙に勝手に死んでしまう子供を少しでも減らす」「子供が自分で自分を救えるように警戒心を育む」ってーのがある。保護者の方に怪談本を買い与えていただく方便ではあるんだが……
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903011726819328
子供に対して大人がどんなに配慮したとしても、大人の配慮の網の外で子供が勝手に死んでしまわれては元も子もない。配慮されるべき子供自身が、もっと真剣に自分の身を守り、自分で自分を救うことに熱心でなければならない。子供が大人になってもそれは同じことだ。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903202169212928
社会や政府が守ってくれるはずだから、守られる側である子供……成長した「一般人の大人」が、自分の身を守ることに不熱心だったり、勝手に死んでしまっては、社会や政府がそういう「守る仕組み」を作っても無意味になる。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903667472723968
安全保障の思考(これは、防災もそうだし防犯もそうだし純軍事的な意味での防衛もそう)というのは、「守られる側が守る役目の人々にのみ過剰な努力を強い、守られる側がまったく努力しない」というのでは成り立たない。勝手に死ぬ、迂闊に死ぬのは、守られる側の怠慢だと思う。
https://mobile.twitter.com/azukiglg/status/327903936239521792
要するに、「慎重に警戒心を持ち注意深く、そして自分を例外だと思ったり心配を他人事だと思ったりしないようにしましょう」ただし「よく考えましょう。深く考えずに思考凍結して、検討すべき前提を更新しないのはバカがすることです」ってことだと思うにょ(´・ω・`)