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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

資料:代数学の未知数"X"の起源

なぜ方程式で未知数はXなの?(http://news.livedoor.com/article/detail/9499698/)

2014年11月23日 11時0分 ギズモード・ジャパン(Gizmodo Japan)

何百年も前から方程式で未知数といえば「x」ですが、 これ最初に使ったのはどこの誰よ!? 出ておいで! というおはなしを今日はしたいと思います。
代数学が生まれたのは、中世イスラム黄金時代(750~1258 AD)の中東。イスラムの支配と文化が遠くイベリア半島にまで拡大し、ムーア人が数学・科学を手厚く保護した権勢の絶頂期。Xの先祖は既に、ムハンマド・アル=フワーリズミーが記した9世紀の書「Kitab al-jabr wal-muqabala」(al-jabr=未知数=ジャズル。英語のalgebra[代数学]の語源(http://www.todayifoundout.com/index.php/2010/12/the-origins-of-the-word-algebra/)に出ています。

アラビア起源説

これがどう「x」と関わってくるのか...ですが、「x」がこのようなかたちで使われ始めたのは、スペインの学者がアラビア語の音を翻訳できなくて当て字したのが始まりなのだという話を、NYのThe Radius Foundation所長のTerry MooreさんはTEDトークで紹介してます。この説によると、ネックになったのは「sheen(shin)」という文字なのだとか。

「未知のもの」はアラビア語で「al-shalan」。初期の数学書には何度も何度も出てくる単語です。「3つの未知のもの=15。未知のものは5」とかいう具合に。

ところがスペイン語には「sh」の音に相当する文字がなかった。しょうがなく学者たちは「ck」でいくことにし、古代ギリシャ語の「chi(X)」を当て、これが後にラテン語に翻訳されたときにもっと一般的なラテン語「x」に置き換えられたんじゃないかというんすね。クリスマスの「Xmas(Christmas)」も宗教学者が「Christ」の略語としてギリシャ語の「chi(X)」を使ったことからきた言葉ですが、あれとちょっと似てます。

でもこの説には問題もあります。

一番の問題は直接の裏付けとなる文書がないことです。あとこれは推測にすぎないことですが、書物を翻訳する人は音なんか気にしない、意味さえ通じればそれで、「sh」の音を表す文字があったとかなかったとかあんまり関係ないんじゃないか、というところも引っかかりますよね。しかしまあ、証拠がないことや論理の飛躍はそっちのけで、今のところこれが一番広く知られている起源説です。学者の間でさえ支持は絶大です(ちょっと検索してみるだけで、受け売りでこの説を唱えている数学のPhDはわんさか引っかかる)。

ウェブスター辞書1909-1916年版などで紹介されているのも、これと似た説です。ただ、こちらでは「もの」の単数はアラビア語で「shei」、これがギリシャ語の「xei」に翻訳され、後に縮まって「x」になったという風に書いてます。

一方、Ali Khounsary博士が唱えているのは、「未知のもの」をギリシャ語で「xenos」というから、単にこの頭文字「x」からきた言葉なんじゃないかっていう説。

いずれも確たる証拠はありません。

現存する書物ではデカルトが最初

現存する証拠という意味では、偉大な哲学者であり数学者でもあったルネ・デカルト(1596-1650)の降臨を待たねばなりません。

未知数を「x」で表す発想は自分で思いついたんじゃなく誰かのパクリだった可能性も大いにありますが、現在の現在までしぶとく「x」を使った証拠が残ってる学者は「我思う故に我あり」のデカルトが最初。なので、オックスフォード英英辞典も、フロリアン・カジョリ1929年の名著「初等数学史」でも、デカルトがxを使い始めた元祖ってことになってます。最初かどうかは?ですけど、広めた人物であることは事実ですね。

デカルトがxを使った書物というのは、1637年の「方法序説」の金字塔的作品「幾何学(La Géométrie)」です。この中でデカルトはアルファベットの最初の小文字(a、b、c)を既知量に、最後の小文字(x、y、z)を未知量に当てる慣行を始め、記号による表記体系を確立しました。

なぜy、zではなくx?

なぜデカルトはy、zよりxを頻繁に未知数に使ったのか? これは誰にもわかりません。よく言われるのは植字の問題だったとする説です。「x」は一番使用頻度が少ないので印刷所にも沢山植字が余っていた、そこで「x」を未知数に使ってみてはどうかと「幾何学(La Géométrie)」の印刷技術者がデカルトに進言したというものです。

真偽はさておき、デカルトは「幾何学」が出版されるずっと前、遅くとも1629年には既にいろんな下書き原稿で未知数に「x」を使っていました。で、x、y、zの使いわけは割とフリーダムで、初期の頃は原稿によってはx、y、zを既知量に当てちゃってたりもするんであります。つまりデカルト的にxは未知でも既知でもよかったということに。いやあ、こんなところでも「未知のもの」翻訳起源説は馬脚を現していますね~はい~。

こうして見てくると結局デカルトがこの文字を選んだのは単なる気まぐれであって、たまたま金字塔的作品「幾何学」のときはそう閃いたからそう書いただけっていう辺りが真相なのかもしれません。

熟考の末か場当たりかはさておき、デカルトは「幾何学」で未知数の表記に主に「x」を使い、この表記は累乗(x3)、既知数(a、b、c)、未知数(x、y、z)の表記とともに同書出版を境に徐々に広まっていきました。あとのことは数学の歴史書にある通りですよ。

[おまけ]

  • 等号のイコール「=」は1557年、ウェールズの数学者ロバート・レコードが発明した。「is equal to」といちいち書くんで指がくたびれて。2本線にしたのは「ふたつのもので、2本の並行線ほど等しいものはない」ことが選定理由。
  • デカルトの前では、イタリアのベネデット・ダ・フィレンツェが1463年の書「Trattato di praticha d'arismetrica」でギリシャ文字「rho」を未知数に使ってる。ドイツのミハエル・シュティーフェルは1544年の書「Arithmetic integra」で「q(quantitの頭文字)」とA、B、C、D、Fを使用。フランスのフランソワ・ヴィエタは16世紀後半、未知数に母音、定数に子音を使った。
  • 現代英語で「x」は3番目に出番の少ない文字で、全単語の0.15%にしか使われていない。最も出番がない字は「q」と「z」。
  • 「アルゴリズム(algorithm)」という言葉も、数学者アル=フワーリズミー(al-Khwarizmi)の名前が起源。
  • PIZZAの体積はPIZZA。ピッツァの半径をz、高さをaとすると、Π*半径の2乗*高さ= Pi * z * z * a = Pizza。
  • 「代数学(La Géométrie)」はデカルト座標軸を提唱した書という意味でも、画期的だった。
  • デカルトは「我思う、故に我あり(Cognito ergo sum/I think, therefore I am)」で有名だが、同じようなことはアリストテレスも「ニコマコス倫理学」で言っている。ただ、「But if life itself is good and pleasant… and if one who sees is conscious that he sees, one who hears that he hears, one who walks that he walks and similarly for all the other human activities there is a faculty that is conscious of their exercise, so that whenever we perceive, we are conscious that we perceive, and whenever we think, we are conscious that we think, and to be conscious that we are perceiving or thinking is to be conscious that we exist…」と異様に長いため誰も覚えられなかった。
  • ムハンマド・アル=フワーリズミーはバグダードの「知恵の館」黎明期の責任者のひとり。インド、ギリシャの重要な数学書・天文学書の翻訳を監督し、インドの記数法(1-9プラス0)を採用することを提唱したアル=フワーリズミーは、「代数学の父」とも呼ばれる。

西欧で忘れ去られたギリシャの叡智を中世ヨーロッパに広めたのはこの「知恵の館」のアラビア語訳の重訳でした。砲火が飛ぶ今のバグダッドにも、古今東西の知を蒐集・保存した豊かな時代があったんですね。
*本稿はTodayIFoundOut.com初出記事を許可を得て再掲しました。
Image by World Bank under Creative Commons license.
Melissa - TodayIFoundOut.com - Gizmodo US[原文](satomi)
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読書ノート『日本語の哲学へ』

《長谷川三千子『日本語の哲学へ』(ちくま新書2010)から、興味深い部分を取りまとめ》

言葉という道具は、その道具のかたちによって哲学の中身が方向づけられてしまうような道具である。哲学が、自分では自らの「知の希求」につき動かされて探求の道を歩んでいるつもりでいるときも、実はただ、言葉の背にゆられて、言葉の歩むとおりをたどっていたにすぎなかったりする

◇和辻哲郎『日本精神史研究』で論じられた論文「『もののあはれ』について」

「もののあはれ」とは、かくのごとき「もの」が持つところの「あはれ」―「もの」が限定された個々のものに現わるるとともにその本来の限定せられざる「もの」に帰り行かんとする休むところなき動き―にほかならぬであろう。…とにかくここでは「もの」という語に現わされた一つの根源がある。そうしてその根源は、個々のもののうちに働きつつ、個々のものをその根源に引く。…「もの」は意味と物とのすべてを含んだ一般的な、限定せられざる「もの」である。限定せられた何ものでもないとともに、また限定せられたもののすべてである。…「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。

◇和辻氏の問い:

第一は「こと」である。何ゆえに我々はこの問いを「あるというものは……」として問うことができないのであるか。「こと」を問うのは何ゆえであるか。総じて「こと」と「もの」とはいかなる差別を持つか。第二は「いうこと」である。何ゆえにこの根本的な問いが「いうこと」を問うて「すること」を問わないのであるか。「いうこと」と「すること」とはいかなる差別を持つか。第三はこの「いうこと」を何人がいうかである。(中略)第四は「ある」である。「ある」ということを問う場合にすでに「…であるか」として問うのは何ゆえであるか。問わざる「ある」と問う「ある」とは同一であるか、異なっているか。異なっているとすればどう異なっているか。

これら四つの問いは「あるということはどういうことであるか」という問いを形成する言葉自身の含む問題である。我々はこの本来の問いに達する前にまずこれらの四つの問題を解かなくてはならぬ。が、これらの問題は実は本来の問いに本質的に属するものである。だからこれらの問題を順次に考察することによって、恐らく本来の問いに対し日本語が与える回答を探り出し得るであろう。

☆ここで和辻氏がいうところの「本来の問い」は、ハイデッガーの『存在と時間』で問われている「哲学の根本問題」のことである。「存在」という問いである。

◇ハイデッガーの問い:
いったいわれわれは「存在する」という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えを持っているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味に対する問いをあらためて設定することが、肝要なのである。
長谷川氏の着眼点:
「もの」や「こと」の意味をさぐろうとするときには、いったい「意味」というものを どのように理解したらばよいのだろうか?
国語学者・時枝誠記氏の説明:『国語学言論(昭和16年)』の「各論」第四章「意味論」より
以上の如く、言語に於いて意味を理解するといふことは、言語によつて喚起せられる事物や表象を 受容することではなくして、主体の、事物や表象に対する把へ方を理解することとなるのである。その様な把へ方を理解することが、我々に事物や表象を喚起させることとなるのである。

…つまり「もの」や「こと」の意味を考えようとする時、〈それはものごとに対するどんな把え方を示すのか〉という問い方をするならば、答えが可能である…と長谷川氏は論じる。

◇大野晋『日本語をさかのぼる』での結論:
コトが、時間的に推移し、進行して行く出来事や行為を指すに対して、モノの指す対象は、時間的経過に伴う変化がない。存在としてそのまま不変である。この特性が、モノの具体から抽象へという変化の場合に強く現われてくる。モノとは時間的に普遍な存在であるから、抽象化された場合には、確実で動かしがたい事実、不変の法則を指すことになった。
◇荒木博之『やまとことばの人類学―日本語から日本人を考える』での結論:
(モノ・コトについての思考は大野氏の結論と全く同じ/万葉集の「モノ」「コト」使用例を考察した上で)日本人はこのようにその言語活動において原理的・恒常的な客観世界と、非原理的・可変的・一回的なそれとを厳しく区別しながら、前者を「もの」という言葉によって表現し、後者を「こと」という言い方によってあらわしてきた。
長谷川氏の反論:
上代の人の「もの」という言葉の使い方には、〈無のかげ〉とも言うべきニュアンスがあり、「もの=原理的・恒常的な客観世界」と結論することはできない。「もの」という語は、端的に「無の原理」をそれとしてさし示す語である。〈無の共鳴板としてのモノ〉の用法もある。
例:吾が身こそ関山越えて此処にあらめ心は妹に寄りにしものを(15-3757)
自分の身体こそ関や山を越えてここにありもしよう。心は妻のもとに寄っているのに
…「もの」は、自らの「心」のありかと「吾が身」のいま置かれているこの場所との、はるかなる遠さを印象づける。おおむね「不在」を特徴付けるニュアンス。
例:旅にして物思ふ時にほととぎすもとなな鳴きそ吾が恋まさる(15-3781)
旅にあって物思いをしているときにほととぎすよ、いたずらに鳴くな。私の恋しさがつのるから
…この「物」は一般的な不変の法則といったものではない。妻の不在を嘆くことが「物思い」であることは明らか。この「もの」にも「不在」の意識を負いかぶせている。上代の「恋」は、相手の不在を強く意識して使うものだった。

具体的な事物を「もの」と言うとき、それは決して具体的な事物を具体的にとらえた言い方ではない、と結論する。例えば、「木」と言うとき、それは厳密には、その木の具体相(紅葉している、風が吹くたび葉が散るといった様子)を全て切り捨てて抽象化して言っている。それが「木」という語の意味である。

まして、それが「もの」ともなれば、「木」ということも切り捨て、「人間が感知し認識しうる」すべての具体相を消し去って、はじめて可能となるとらえ方である。「物」は「具体語」であるどころか、すでにこれ自体、究極の「抽象語」と呼ばなければなるまい。…物を「物」としてなり立たせているのは、この〈具体相を消し去る〉はたらきなのである。

「物」という語の意味は漢字の意味から類推も可能である。「物」は「牛」と「勿」に分解できる。「牛」は最も身近な家畜であった。「勿」は「こまごまとした雑布でこしらえた旗。色も形も統一がなく、見えにくい」さまと説明される。

◇藤堂明保『漢字語源辞典』:
朱駿声が、牛の雑色→いろいろな形・さまざまな色→形質や事類、という派生の経過を説いているのは、ほぼ正しいと思う。特定の色や形を持たず、漠然とした形色を呈している所から、物は「もの」という大概念を意味するようになったのであろう。

長谷川氏の弁=この「物」の漢字の定義は、日本語の「もの」とぴたりと一致するのであり、古代人がこの語を「もの」に当てはめたのも納得のできる選択である。もし日本人がギリシャ語を話す民族であったら、「物」という漢字を選択しなかったであろう。

ギリシャ語の「もの」に相当するのは、「存在」を表す動詞の分詞形を語源とする「ウーシア」という語であるが、これは「所有物・財産」または「実体」「本質」といった意味を伴っている。むしろ「有」「在」という漢字が選ばれたであろう。

和辻氏の「もののあはれ=永遠への思慕」論は正鵠であった。〈具体相を消し去る〉という「もの」の根本義は、その根底に、万物の根底には目も鼻もない巨大な無が横たわっている、という認識を含んでいる。「もののあはれ」は、決して単なる文芸論の一テーマに帰着するものではない。哲学の根本動機である「驚き(タウマゼイン)」とひきくらべられるべきなのである。

「もの」という言葉の〈意味の水深〉は、おそろしく深い。「もの」はそのまま、目も鼻も口もない混沌の姿―いまだ有と無が分離していない領域の消息―へとつながっている。そしてわれわれ日本人は、「もの」という一語によって、その〈意味の水深〉のもっともふかいところから、もっとも表面に至るまでを、自由に往き来しているのである。このような言語をもって思考するとき、パルニメデスがあらわにしてみせたような〈「ある」の難関〉はそもそも成り立ち得ない。「あるものはある」と言った瞬間に、その「ある」は「もの」によって「無」と通底していることになるからである。

※ただし、このような性質を持つ言語では、論理的思考が成り立たない。ここで「こと」という語が重要になってくる、と論じる。

「こと」の用法として「そいつは、ことだ!」という例では、「こと」は、何らかの目立つ、或いは際立つ事物や事象を示している。「こと」は時間的・一回的な出来事をあらわすということにとどまらず、何かくっきりと目立つ、という意味が含まれている。「もの」が〈具体相を消し去る〉のとは対照的に、「こと」はくっきりとした輪郭を描いて立つ、という風に特徴付けられる。

「こと」は更に「言(言葉・言語)」の意味も含む。これは一般的な〈言語の自己理解〉ではない。

ギリシャ語では言葉を「ロゴス」という。これは「集める」「束ねる」という意味を持つ動詞「レゲイン」に由来する語彙である。森羅万象を束ね、秩序付けるというはたらきをもって、言葉の本質とする…としたのが、ギリシャの〈言語の自己理解〉である。「ロゴス」は更に論理、計算、理性などという意味を含む(例:「論理」=ロジック)。

ヘブライ語では言葉を「ダーバール」という。「前へと駆り立てる」という意味で、動的な性格を帯びている。ヘブライ語の存在動詞「ハーヤー」に由来し、「ダーバール」も「言(言葉)」というよりは「言行」というニュアンスがある(これはヘブライ神話『聖書』で、「光あれ」と神は言った。光があった。というくだりに良く表現されている)。

ギリシャ語では言葉は「束ねる」、ヘブライ語では「駆り立てる」という風に、それぞれ了解されているが、日本語では言葉は「こと」に由来し、「こと」の意味を解読しないと〈言語の自己理解〉ができない状態である。

そこで「こと」の意味を、上代の人が当てはめた漢字から考察する。上代の人々は、「こと」に漢字を当てはめる時、「言」と「事」を整然と書き分けていた(現代の用法とは多少異なるが、ほぼ現代と同じような書き分けがされていると言っても良い)。

つまり、現代と同様に、「こと」は、「事」がより根源的な意味であって、「言」はその派生物であるという暗黙の共通理解が成り立っていたという事である。

◇和辻氏の洞察:

それでは「言」の特性はどこにあるか。それは「言」が人々の間に話され、聞かれ、理解されるというところにある。人はその「したこと」を人に話すことはできる。しかし話すのは「したこと」自身ではなくして「言」においてあらわにされた「したこと」である。かくのごとく「こと」が「言」においてあらわにされ、従って人々の間に分かち合われるというところに、「言」の特性が認められねばならぬ。このことはすでに「こと」の語義に、「ことごとしく」というごとくあらわに目立つという意味、あるいは「こと」(殊、異)というごとく他と異なって目立つという意味が存することとも何らかの関連を持つであろう。しかしながら「言」のこの特性は、それが本来「こと」の性格として存するのでないならば、「言」と「事」とが本質的には同一であるとの前言を覆すことになる。「こと」が本来「あらわにする」という性格を持ち、それが「言」として現われるのであるとき、初めて「言」が本来の「こと」でありつつしかもそれ自身の特性をもつゆえんが理解されるのである。

長谷川氏の弁(和辻氏の洞察を受けて):

「こと」は動作であれ状態であれ、それをそれとして取り出し、保持するはたらきをもつ。このはたらきは、一つの文章を丸ごと一くくりにするというかたちでも使われる。例えば「一時間前に一番星が現われた」といった出来事であれ、「三角形の内角の和は二直角である」といった純粋に非時間的な原理であれ、ひとたび「こと」でくくってしまえば、ひとしく「事柄」として扱うことができる。それを人に伝達したり、それを証明したり、それを問題にしたりすることができるのである。このように「こと」の内に含まれている、それをそれとしてくくり、保持するはたらきは、われわれの知的な営みの全てを支えてくれる。「こと」は、言葉の〈不変性〉の基盤をなしているのである。

「言」は、「保持」という基盤の上に、事の目立ちが成り立たなければ生まれてこないという関係にある。そこでまた和辻氏の〝「こと」の持つ第二の語義は出来事である〟という洞察に戻る:

和辻氏の洞察:
「出で来る」は生ずる、起こるの意味であって、しかも最もあらわに生起の本質をあらわした言葉である。あたかも肌に腫物が出来るように、「こと」もまたどこよりか出で来る。そうしてどこかへ過ぎ去って行く。しからば出来事としての「こと」は時間を本質とするべきであろう。この意味においては「出で来る」のは何人の作為をも持たず、何人も左右し得ないこととして、自ら生起し経過することである。

長谷川氏の弁:

「こと」のもつ「あらわにする」はたらきの原動力は、まさしくこの出来事としての「こと」の「自ら生起」する力にあるのだということになる。その「自ら生起」する力につき動かされて、「言」が生み出され、それがまた、「言」を受け取る人々に何ごとかを「あらわにする」ということになるのである。

漢字本来の意義としては「事」は「つとめ」「つかえる」という意味であり、音読みとして「事業」「事大」「師事」など数多い。しかし日本語(訓読み)としては「仕事」のみである。日常語においては、「事」を「つとめ」「つかえる」と読み下すことはなかったのである。

上代の人は、「旗を定位置に立てている」「竹筒にくじを入れている」というような原義を持つ「事」という漢字の中に、「すっくと立っている」「屹立している」という、「立つ」という古い基本義の一つを見出し、「こと」を表す文字として選択したと考えられる。

日本神話でも、「こと」の原初として「ウマシアシカビヒコ」の神が登場する。「「こと」もまたどこよりか出で来る。そうしてどこかへ過ぎ去って行く」「何人の作為をも持たず、何人も左右し得ないこととして、自ら生起し経過すること」と和辻氏が洞察したように、「ウマシアシカビヒコ」の神も、ひとりでに出現したかと思うと、ひとりでに「身を隠したまいき」と語られる。

長谷川氏の最終的な結論として:

「もの」と「こと」はどちらも時間的なものである(大野氏や荒木氏が、「もの」=原理的、「こと」=時間的と区別したのは正確なものではなかった、と言う弁)。

「こと」は時の到来し出現する、その次々に成り行く側面に目を向けているのに対して、「もの」は出で来ったものが過ぎ去って行く、その後姿を眺めやっている。さらには、それが「いづくにか」去りゆく、その「いづくにか」のかなたを眺めやっている。

「もの」「こと」のどちらが欠けても、われわれの世界観は成立しない。われわれは「もの」「こと」という二つの語を持つことによって、この世界を、事物と事象という二つのジャンルに分けて眺めることができるのと同時に、この世界の生成と消滅との二つの側面を二つながらに凝視できるのである。

ハイデッガーの難問は「存在(ザイン)」の意味についての問いである、と紹介されている。

「存在者の存在は、『現われない』或ものがその『背後』になおひかえているようなものでは、断じてありえない」「存在者をその存在においてとらえるという課題にとっては、たいてい言葉が欠けているばかりでなく、なかんずく『文法』が欠けている」=存在者の底、あるいはむしろ、存在者の無底を示す言葉が欠けている、と解釈。

一方、日本語の「もの」は、〈存在の具体相を消し去る〉ベクトルを本質的な性質として持ち、「存在者(ザイエンデス)の無底」を示す言葉としてはたらく。「もののあはれ」は、そうした「おのれを示さない」ものがそれとしてあらわになることを、ズバリ表現した言葉である、と論じる。

最後に、長谷川氏は、助詞「てにをは」のはたらきを、「もの」「こと」のはたらきと合わせて、「わかりの形」を哲学することの必要性・興味深さを説いている。

資料メモ:密教の呪術

密教の呪術、その理論と哲学/空海が生涯をかけて目指した秘密瑜伽とは何か

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58796

人工知能やロボットなど科学技術など目覚ましい発展は、産業革命、イノベーションの時間的なサイクルをますます短くさせている。

そうした時代にも、古来より存在する人間の祈り、そしてその力が何らかの作用を及ぼす祈念、そして呪術は、夢幻、つまりは単なる空想の産物ではなく、世界の至る所で連綿と生き続け、存在している。

これは、一つの事実である。

空海が1200百年前に日本に招来した真言密教は特に、その力を大観、遵奉しながら秘密裏に師資相承され現在もその力は生き続けている。

祈りが憎悪に向かえば対象に悪影響を及ぼし、慈愛に向かえば病魔を追い払うといった、理屈や科学では説明できないことは、太古の昔から現在も変わらず生じている。

密教の祈り、例えば、祈念について、その理論の概略は、大いなるものと祈念者が同化することで、祈念者が人智を超えたエネルギ―を操ることが可能になるというものである。

私は、弘法大師空海が開いた真言密教の沙門である。

沙門というのは僧侶のことだが真言密教では僧侶のことを密教行者と呼ぶ。それは、顕教と密教の違いに由来する。

密教は心の状態や、その価値観といった段階を細分化し、最終段階は大日如来のレベルに到達する即身成仏をとなることを目的とする。

また、曼荼羅的な思想が中心で暗示的伝達、つまり言語などの表現に頼らない感覚的な共有により師資相承、その秘法が伝えられてきた。

*****

真言密教は、元は中国の皇帝が帰依した正統なる密教を源流としているゆえに純密といい、同じ仏教でも、真言密教以外は顕教とし一線を画している。

現代社会では、先述したように最先端技術や学問が進歩しているが世界規模で宗教を見てみると2500年前の釈尊、2020年前のイエス・キリスト、1400年前のマホメットなど古代の教えが、いまだに信じられている。

経典やバイブル、コーランなどに書かれていることが、現代の生活に合致していなくとも、科学的に矛盾していることが解明されていても、宗教は最先端科学のような、革新的な変化に歩調を合わせるように、変革を遂げることもなく、いまだに多くの人々が、古(いにしえ)から続く教えを守り続けている。

そして、いまだに信仰する誰もが、釈尊やキリスト、マホメットのようなレベルで悟ったり、信じることで悩みがなくなるといったこともなく、多くの人々は悩みや苦しみにとらわれ、往々にして、その生涯を閉じることになる。

宗教や哲学が、人を一気にかつての宗教の始祖たちのような深い覚りの世界へといざなう教えが出現しない中、昨今、周囲を見まわせば、特に伝統宗教などにおいて、宗教離れが加速している。

「墓じまい」という言葉も最近ではよく耳にする。わずか10年前には聞かれなかった言葉であり、現象である。

昨年度の日本の出生率はさらに低下し、新生児は90万人を下回った。

現在、高齢者で支えられているといっても過言ではない檀家寺は近い将来、消滅する恐れが高いことも予想され、真言宗やそれ以外の伝統宗教は、観光寺を除き、そう遠くない将来、壊滅的な状況になると私も危機感を抱いている。

空海の請来した高野山真言宗において、喫緊の課題はかつてがそうであったように、宗教が実際に人を救える力を取り戻すことである。

*****

真言密教には「事」と「理」があり「事」は行の実践、「理」は教学、つまりどのようにして人が救われるのかといった原理を解説したものを指す。

密教の核心ともいえるものは行の実践、つまり、祈ることで悪い状況から良い方向へといざなう祈り「事」であり、密教が復活するためには、かつて、始祖が、そうしたように人々を救える力を取り戻すことが急務といえる。

私が高野山大学の学生だった頃、真言宗では、まだ、加持祈祷といった人を救える力のある祈りは確かに生きていた。人を救える祈り、夢や希望を実現する祈りは、他の宗教を凌駕する密教のアドバンテージといえる。

キリスト教やイスラム教、他の仏教など、他の宗教は一般的に、祈願者が神に救いを求め救済を期待する構図である傾向がある。

つまり、神や仏の力で現在の状況からの救済を求める、といった「他力」によるものといえる。

だが、真言密教の考え方としては加持祈祷により派生する神秘の力を祈念者である真言行者がまとい、その力を操ることによって祈願者を救済するというもので、それが、密教と他の宗教との決定的な違いといえる。

密教行者が仏と一体となり祈願者の思いや願いを叶える。

それは「他力」という神仏のご利益を待つという構図ではなく、神仏と一体となることで、神仏の力を自在に操るという「自力」によって、すぐさま祈願者の悩みや苦しみを除去する、それが密教の特徴である。

私が学生の頃は真言宗の老僧はよく、「自分は真言行者」といっていたものである。

*****

だが、いまでは「私は真言行者だ」と胸を張っていえる僧侶を、高野山の本山でも見かけなくなってしまった。

では、真言行者とは何者なのか。それは秘密瑜伽の実践者を指す。真言密教の原点は秘密瑜伽の観法にあり、それは弘法大師空海の生涯の目標でもあった。

瑜伽とはヨガのことだが、中国の漢語では「相応(そうおう)」と訳す。

弘法大師空海は『即身成仏義』の中で「瑜伽(ゆが)とは翻(はん)じて相応という。相応渉入(そうおうしょうじゅう)はすなわち是れ即の義なり」と示している。

「相応(そうおう)」とは相応ずる、つまりお互いに応じることを指す。

瑜伽とはインド・サンスクリット語「योग」が原音で、感覚器官が自らに結びつくことを指すが、もともとの意味は馬を結び繋ぐ、という意味がある。

ヨガとは馬を繋いで、後、馬を暴れさせる。そして、それをコントロールするものである。

ではなぜ、馬を暴れさせるのか。

それはおとなしい馬は何をしても動かない。何をしても動かなければ何も成し遂げることはない。つまり、暴れるということはエネルギーそのものを示している。

*****

それは煩悩にも通じ、あるいは情熱ともいえる。まずは情熱を燃やす。そして、制御する。

密教に準えたならば、苦行に挑む人が、最初は情熱や意思、意欲が、やがては苦しみに覆われる。そしてしばらくすると思考や感覚の深奥から安寧が訪れる。

つまり情熱や意思、意欲がなければ、安寧の境地に至ることもなく、煩悩がなければ覚りに至ることもないのである。

秘密瑜伽の観法とは、たとえ煩悩に塗れた人間であっても、内在する神仏を自分自身に具現化させることで神仏の境地に至る。

つまり「即身成仏」とは、内なる神仏と一体化することで、生きながら人間が仏自身になることを示している。

それは自分自身に備わる人間の本質に到達するために、自身の精神を、肉体を磨きに磨き、精製し続けることで、炭素が高温、高圧で合成されプラズマ化され、やがては金剛石(ダイヤモンド)となる如く、煩悩に覆われた人間の精神や意思を純度に純度を重ね上げて精製しつづけることで、最高に、最上級に本質が顕れることを意味する。

それが弘法大師空海が生涯かけて目指した真言密教の原点、秘密瑜伽の観法である。