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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

思考実験:天国と地獄

今回は、キマジメなテーマを離れて、少し遊んでみました。

時間の加速について考え続けていて、「フッ」と思いついた事で、なかなか興味深いと思ったので、思考過程をメモです。参考テキストはスウェーデンボルグや各国の説話物語ですが、それほど難しく考えなくても良いです。連想のヒントのために引っ張ってくる程度…^^

神秘の大学者スウェーデンボルグいわく、天国も地獄も霊的世界=波動の世界である…(彼が本当に霊能力を持っていたかどうかは不明ですが、彼の人脈を色々探ると、世界一有名な呪術師=魔法使いのお名前とか、魔術騎士団結社とかが浮かび上がってまいります。オカルトのエッセンスを一身上に体現したようなお方ですね…)。

厳密に言えば現世も霊的世界ではあるらしいのですが、如何せん霊感が無いので、「霊の性質」を何とかして「科学的に」定義せねばなりません(「霊的に」分からないので)。…さて、あちこちで聞きかじった話によれば、霊(悪霊、幽霊、神霊その他)なるものの振る舞いは:

  • 直進する…鳥居と拝殿とが直線で連結してないのはこのためらしい
  • 気体である…「霊磁気」「霊気(レイキ)」なる表現があるらしい
  • 波動である…粗い波動のものと、精妙な波動のものがあるらしい
  • 時々、光るらしい…光の玉が写真に写る。オーラも同じらしい

…これらの特徴を考慮すると、どうしても「電磁波」が連想されます…^^;

電磁波が何処から出てくるかというと…電子の運動が生み出すと言われています。電子が運動すれば、その運動に応じた波長の波(=光でもある=)が発生する。これが電磁波です。これは熱的運動でも可能です。例えば、電灯では、熱くなったフィラメント物質が熱的運動をして、光を発するとか。人間も赤外線という電磁波を出して、光っておりますね。

もっとも、これは少し込み入っておりまして、電磁波は波動でもあり粒子でもある、という問題が、いっそう話をややこしくしております…、ような気がします(それとも、簡単にしている?ちょっと不明)。

ともあれ、科学知識を「まるっ」とまとめると、「霊とは、ある決まった量のエネルギーで構成される〝電磁波粒子〟気体である」…と定義できますでしょうか。多様なエネルギーレベルを持つ、電磁エネルギー気体のカタマリである、と仮定できるのですね(何だか〝元気玉〟のような気も)。

ここまでで、「霊」と思われるシロモノの基本的な性質は、カバーできました。

…説明になっていないのでは、と突っ込まないでくださいまし…^^;;;;;

で、何で「粗い波動/精妙な波動」などという話が出てくるのか。

ここから先は、想像のみになります。

「粗い波動」と「精妙な波動」、という言い回しが具体的に何を指しているのかは全然分からないのですが、単純に考えて、「周波数」であろう、という風に決めました。粗い波動は、低周波。精妙な波動は、高周波。…という風に定義します。

このように考えると、パソコンの画面で例えるならば、粗い波動はボンヤリした低画質の世界、精妙な波動はクリアな高画質の世界と言えますね。本当かウソかは別にして、波動が、つまり霊集団が、そういう世界(天国と地獄)を構築する、と。

ここから、面白い結論が引き出せます。…霊とは、電気製品(家電)のようなものである。

とすると、粗い波動の霊は、低周波対応の家電。精妙な波動の霊は、高周波対応の家電。という事になります。周波数にどれくらい差があるのかは分かりませんが、とりあえず、身近なものを例にして、60ヘルツの波動と60ギガヘルツの波動で考察してみます。

60ヘルツというのは、関東の家電の周波数の規格(※ちなみに50ヘルツは関西の周波数。何でこんな違いがあるのかというと、関東はドイツから60ヘルツの発電機を輸入し、関西はアメリカから50ヘルツの発電機を輸入して、それで電気製品を回していたからだそうです)。

で、通電してみます。この場合の霊的な電力というのは…神秘的に言えば、神サマのエネルギーでしょうか。生命駆動エネルギーとか、あるいはオカルト的に、銀河中心からの宇宙エネルギーとか…

60ヘルツの家電は、1秒間に60回のペースで動きます。

60ギガヘルツの家電は、1秒間に60,000,000,000回(600億回)…

ものの本によれば、粗い波動は地獄で、精妙な波動は天国。もしも、周波数を使って時間の長さも定義している、とすれば。上の家電の例で言えば、天国での1時間は、地獄では10億時間(11万年くらいか)…、「地獄の業罰は永遠である」という説話も、大変に納得できるのではないでしょうか…^^;

天国の例で言えば、例えば浦島太郎は、海の彼方の竜宮城で3年過ごしたと思っていたけれど、現世に帰ってみたら、300年経っていた…というエピソードがあります。

天国は、ハイスピードカメラ無しには理解できない、というような世界かも知れません。映画は1秒間に24コマ、ビデオカメラは1秒間に30コマ。もしかしたら現世最高レベルの秒間100万コマのスピード(ピストル弾丸の運動を逐一記録するレベル)で、やっと天国の動きが分かるのかも知れないですね…^^;;;

で、最後に、周波数シミュレーションから可能な結論として。

各国の説話で曰く、地獄の霊は天国に近づけない、というくだりがあります。

それは何故か。天国に近づいた地獄の霊に、何が起こるのか?…^^;

家電の例で言えば、低周波家電は、高周波家電のようには動けません。例えば扇風機などで考えれば分かるのですが、60ヘルツ対応の扇風機を、60ギガヘルツで動かそうとすれば…

…モーター部品が異常な熱を持ち、爆発炎上して粉々に吹っ飛ぶかと…^^;;;;;;

「霊的に何が起こるのか」は不明ですが、物理的にはそういう現象が予測できる訳です。

以上、あくまでも物理的に、天国と地獄を、シミュレーションしてみました。「時間の加速」という神秘的な説明が或る程度、現実に起こっている変容を説明するのならば、この現世は、すさまじい加熱と動乱をまき散らしつつ、天国に近づいているのかも知れない、という事ですね。

最後になりましたが、むしろ、天国・地獄、両方の世界を知っておく方が、汎世界の多様性につながる訳で、いっそう現世が意味深くなるのではないかと思いました。「暗くスローテンポな世界」も「明るくアップテンポな世界」も広く往き来してみる…という意味で…

ささやかな思考実験、いかがでしたでしょうか…おしまい^^


FriendFeedコメントより転載

霊界は電磁波のようなものとは多分正解だと思います。以前ものべたことがありますが義父が亡くなった直後、わたしの車の電磁キーが使用不能になり、義父の愛用していたTVが壊れました。おそらく義父の霊が病院から帰宅していたのだと思います。 - 丸山光三
《返信》そんな出来事があったのですか。日本人は割と自我が薄くて、素直に成仏する民族性なのか、そういうエピソードは、タタリ系以外は、あまり耳にした事が無いのです。少し驚きました。不思議なお話、ありがとうございます。
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スクラップ:消費社会の消費・考

とってもキマジメに、現代社会を考えるためのスクラップです^^

今のところ、これらのスクラップをどう扱うかは決めていないのですが…

記事を読んで何となく深く感じるところがあり、現代社会の構造を見るうえで、ゆるがせにできない要素が含まれているように感じました。

》スクラップ元記事=[松岡正剛の千夜千冊「第630夜」『消費社会の神話と構造』

…ボードリヤールが、「もはや現代社会では社会を組織する様式としての本来の交換はない」と断言して、もしそういうものがあるとするなら、きっと人質交換などのテロリズムであろうと述べていた…
…同様の意味で、ボードリヤールはマスメディアにも交換価値を提供する能力が死滅していると考えていた。マスメディアは現実の提供すらできなくなっていて、現実の幻惑だけを提供することだけが使命になっていくと予想した。…
…ボードリヤールが言いたいことは、生産と消費がシステム自体の存続のために食われてしまっているということだ。
これをいいかえれば、社会のシステムはもはや余剰を生まないということである。新たな富なんてつくれないということだ。なぜなら欲望の動向は福祉の動向に吸いこまれ、商品の市場民主主義は貨幣の国際民主主義に取りこまれ、何かの均衡はどこかの不均衡のために消費されざるをえないからである。
つまり、あらゆる国のあらゆる社会システムが、ついに「類似の療法」だけを生み出すしかなくなってきていて、むしろ「構造的な窮乏感」を演出することだけが、システムの活性化を促すための唯一の手段になっているということなのである。…
…より充実した消費社会をつくろうとすればするほど、その消費社会を学習し、それに伴う手続きを普及させるためのコストが、その消費構造を破ってしまうだろう…
…まずはその「知を装う欲望消費」をこそ食い止める必要がある…
もうひとつは、「メッセージの消費というメッセージ」が頻繁に出回ったときにどうするかという問題だ。…
この後者の問題は、ボードリヤールの予測よりもなお急速に、いまやインターネットの海の出現によって現実化してしまい、どんな記号の差異や意味の差異もが、つねにウェブ状の相対的自動更新にゆだねられてしまったかに見える。…

《スクラップの補足》

「知を装う欲望消費」…学会の権威に安住して、セクト的な学問世界に埋没するばかりの、細分化されてしまったアカデミー環境を、「知を装う欲望消費」と表現して言っていると思われます。健康番組やクイズ番組で提供される知識がまさにそうですし、マスコミ御用学者の学問みたいなものでしょうか…^^;;;;

「メッセージの消費というメッセージ」…例えば〝Twitter〟と言ったような一言メモの隆盛に、この同義反復の意味現象(?)が、鮮やかに集約されているのではないか…と思われました。この辺はもう少し、じっくりと考えてみたいところです。

特に響いたのは、「マスメディアは現実の提供すらできなくなっていて、現実の幻惑だけを提供することだけが使命になっていく」というくだりでした。リンク先に『パンとサーカス』が紹介されていた(!)のが、何とも秀逸でした。

妙に、鳩山政権は、『パンとサーカス』的な欲望と、それを煽ったマスコミが生み出した政権なのかも知れぬ、と納得してしまいました。実際はもっと様々な思惑が錯綜していると思われますが、基本的には、ローマ末期的な「幻惑」の末に生まれた政権である、のかも知れません。

鳩山氏自身は確かに、村山氏のように、本当は性格の良い、まったくの普通のお方なのかも知れませんが…幕末・世紀末どころか文明終末的な現象だとすると…これはウカウカしていられなかったりして…^^;;;;

今のところ、できるだけ日本文明・日本文化の知識伝統を断絶させない、歴史上、分断される運命が避けられないにしても、それは可能な限り、世界中に再生のための種子を広めてから、という事に尽きる、のかも知れません。種子さえ残っていれば、外見は黄色人種じゃなくても、内面は日本人として目覚めている、という外国人の出現を期待できますし。

…昨夜、妙な夢を見たので、少しばかり危機感も…^^;

《参考》『深森の帝國』ホームページより

星巴の時空1.諸國創世ノ章
ギリシャ古典文明が崩壊していった歴史をまとめたものです^^ゞ

曖昧な直感に過ぎませんが、鳩山氏の「友愛」スローガンには、アレクサンドロス大王の「普遍」スローガンと同じ、不気味な気配を感じざるを得ないです^^;

・・・《以上》・・・

時代パラダイムシフト・考

米流時評(2009.9.19)
日本のパラダイム・シフト 保守vsリベラルの対立構造からの脱却
丸山光三或問集(2009.9.24)
米流時評さんに答えて
「保守」という、「進歩」と対になった政治思想パラダイムこそをシフトして行かねば政治勢力としての「保守」の再構築はできないと思っています。また、名を捨てて実をとるという 政治の基本を思い出してもらうことでもあります。保守派を自認する方々に わが真意を汲み取っていただきたいものです。
コメント by 丸山光三 さんS氏のような保守原理主義にはあきあきしました。ああいう言論が、麻生総理の足をひっぱったのです。麻生総理の党内基盤が弱いとはいえ、日本国総理の権限で堂々と左右を斬ってしまえばよかったなあと思います。

安倍元総理も、総理在任中は中道の言動を維持しつつ重要な保守的法案を通しました。あれでいいのです。

惜しむらくは安倍、麻生両氏とも 自民党という鵺(ぬえ)のような党にいて、それを基盤にして 政権運営をしなければならなかったということですね。

さて中道右派という政治路線が どれだけ保守を取り込めるか、保守とリベラルという構造からの脱却、すなわちパラダイム・シフトが達成できるのか、祖国の行方を外から祈る気持ちで見守るばかりです。
コメント by よもぎねこ さん
ワタシは一応小泉改革賛成派なんですけどね。しかし一部の小泉改革派には驚きました。改革原理主義と言うか・・・この不況の最中に、麻生首相が緊縮財政路線を中止した事を批難するのですから。

リーマンショック以来、ヨーロッパ諸国もアメリカも死にもの狂いで財政出動をしているのに、そんな事は毛筋も興味が無いようです。

そうかと思うと 麻生総理がリーマンショックで株価が急降下する最中に、郵貯銀行の株放出を延期した事でも批難を続けました。あんな時に大量の株を市場に出したら、大恐慌になるわい!!!

竹中平蔵氏だって、麻生総理の財政出動を基本的には賛成していてたのです。経済問題に興味を持つ人は それなりに現実的思考をする人かと思っていたら、それは全くの間違いでした。
Res. by 丸山光三 さん
To よもさま、
いわゆる「改革」の前提はなんでしょう。国が破綻する云々でしょうか?三橋貴明氏が根底的にその嘘の根拠を叩いていますね。

この政権にはいわゆる「郵政改革」見直し、できれば清算、総括「だけ」をしてもらい、あとはなーーーにもしないで欲しいと願っています。

その清算の過程で 小泉一味がやらかそうとしていた事がすべて明るみにでて法的な処分をきちんと受けることを期待します。
コメント by 風来坊 さん
鳩山新草履、もとい新総理が先ほどの記者会見で述べた第一声は「今回の衆院選で勝利したのは民主党ではない。勝利したのは国民の皆様である」というものでした。

私にはそれ以上TVを見続ける忍耐力がなかったので、その後で彼が何を喋ったかは知りませんが、彼の言葉を補足するとすれば「勝利したのは反日日本人である」ということでしょうね。

確かに鳩山政権には ヒチコックの「The Birds」の比ではない怖さ・不気味さを感じますが、所詮は無能鳩山のこと、いずれ自滅するでしょう。

問題は実力者・小沢の出方です。先般の「豹変するのか小沢一郎」に書いておられたように、小沢の豹変が期待出来るのなら 悲観することはないのですがねえ?

 >政治の王道とは左右を切り捨て中道を行くことである。
お説の通りで、「保守」という言葉にはネガティブなイメージがつきまとっています。

「一人の人間を他の人間と区別し得るものはその人の過去以外の何ものでもない」のと同様に、「日本を日本たらしめているものは日本の歴史であり伝統である」というのが「保守」という言葉が持つポジティブな意味合いなのでしょうが、その意味での保守回帰は期待出来そうもありません。
また、自民党の面々が盛んに「解党的出直し」という言葉を口にしていますが、あれも胡散臭い。「解党的出直し」というのは、「解党して出直す」のではなく「解党しないで出直す」ということ。本来の保守とはほど遠い輩が「解党しないで出直し」したところで、中身が変わる筈がありません。

“急がば回れ”で、私は「解党して出直す」のが「打倒民主」の一番の近道だと信じています。
Res. by 丸山光三 さん
To うたさま、
自民党は政権与党ゆえに 有象無象がよってたかっていたわけで、これで自然と分解消滅するのもいいかもしれませんね。

また戦後レジームがあってこその党存立基盤があったわけで、それを否定しようとした安倍元総理は米日の構造的支配層に斬られた、と見るべきでしょうか。

これからは 保守を名のらない保守を目指すべきかと思い、こんなエントリーをアップしてみました。
コメント by 相模 さん
 >しかしドイツにはナチスという極右がかってあり・・・

横から失礼します。おいちゃんが、[三島明のホームページ]さんで、ナチを右翼として説明されておりました。「社会主義」のナチを右翼と規定するのがドイツの考え方なのでしょうか。(戦争=右翼?)また「ナチ=右翼」を基準として、中道右派という言葉になったのでしょうか。

確かに言葉はドレスと同じで 手垢が着けば取りかえる。日本のドレスは取替え時期なのか。私は「保守」という言葉が いまだ市民権を得たと思えない日本で、「自分探し」をするほど日本人は成熟していないように思えます。
Res. by 丸山光三 さん
 >> しかしドイツにはナチスという極右がかってあり・・・

いい例なのでちょっと説明しましょう。
ナチスは「Nationalsozialismus」(国家社会主義)の略称です。
正確には「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」
(ドイツ国家社会主義労働者党、略称はNSDAP)ですが
名前だけ見ると左翼政党ですね。

実はその前身の「Deutsche Arbeiterpartei」(ドイツ労働者党、略称DAP)はれっきとした左翼政党でしたが、ヒットラーがのっとってしまい、名前は左翼、実質右翼の運営を行いました。「国家」が「社会主義」に被されてあるところが肝です。

これは ヒットラーを支持したのが労働者階級や下層中流階級だったことの説明にもなっています。つまり第一次大戦に負け打ちひしがれているドイツ国民意識を高揚し、同時に労働者の階級意識を利用してもいるのです。

まことに巧妙な手腕でした。ナチスの総選挙による政権獲得はまさに革命を待望する国民の要求をくみ上げた右翼革命でした。

PS:「民主」党が仮の名、その実 旧社会党(全部ではないにしても)ということもここでは考えたほうがいいのではないでしょうか?

いずれにせよ 保守かリベラルかという選択肢では米英式のパラダイムから永遠に抜け出せません。

ドイツや北欧の高福祉高負担は無理にしても中福祉中負担のこれまでの、つまり小泉以前の日本方式がやはり国情にあっていると思います。いわゆる小泉「改革」は 自民党ばかりではなく、この日本的「保守」を壊してしまった似非「保守」でした。

その目的は「規制緩和」という外資を防ぐ堤防をはずし外資に市場を開放し 国の資産を食い荒らさせるというものでした。売国奴と罵られる所以です。

いま行き過ぎた市場原理主義を止め、保守本流に回帰するためには、声たからかに保守を叫ぶより 中道を唱えながら実際の保守運営(中福祉・中負担)をしてゆくべきだと思います。

なぜなら 小泉の輩を保守と思い込み信仰している人々がまだまだいるからです。あれはアメリカの国情にあった保守であってわが国には相応しいものではないこと いまや明瞭ではないでしょうか?