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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

近江商人のスピリット

こんな不安な時代だからこそ、戦国乱世を生き抜いた近江商人のスピリットを調べてみました。

・・・近江商人とは、琵琶湖東の五個荘、八幡、日野の農民階層から行商で身を起こし、三都(江戸・京都・大阪)や全国各地に出店するほど成功した豪商達を指します。近江商人を創始者とする現代企業は多く、髙島屋、大丸、伊藤忠、丸紅、ワコールなどが挙げられます。

近江の国では浄土宗や浄土真宗が非常に盛んであり、これらの宗教が市場経済の整備を促し、江戸時代の三都の繁栄を築いた事は、有名です。日本では、近江商人に代表されるように、商人達が信奉した浄土宗系の仏教が、市場経済の発達を促したのでありました。

近江商人に限らず、江戸時代に至って財を成した豪商たちには、市場整備・管理だけではなく、寺社仏閣への寄進や橋の建造、街道の整備など、多岐方面での活躍が見られるという事です。

中世時代、新しいタイプの宗教が近代経済の誕生を促した事は非常に重要であり、たとえば欧州では、禁欲と労働精神を是としたプロテスタントが、その役割を果たしたのであります。これがいわゆるブルジョワジー層(商工業者)を構成し、市民革命の主役ともなったものです。

東西を通じて、歴史上の著名な経済人(豪商)が資本蓄積をなす際に、職業への精励、倹約精神、小欲知足といった基本的な経済倫理を説く宗教を信奉していた事はよく知られています。

反対に、現実逃避的な禁欲を旨とする修道院など、カトリックを信奉する地域では、近代資本主義が十分に育つことはありませんでした。一部の教会への富の集中はありましたが、教会中心に富が集中・固定するばかりで、近代的な市場経済を起こせない状態だったのです。

同じようなケースはアジアでもあり、出家者と僧院を中心とする上座仏教が栄えた東南アジアでは、華僑資本が入り込むまでは、自らで近代経済を起こす社会的仕組みが無かった、と言われています。

現代情勢としては、この近代経済倫理の基礎となった宗教は、歴史の表舞台からは絶え果てていると言われています。つまり、国民倫理として、憲法や国家倫理に移植されたという事です。日本では、教育勅語や国家神道が、その象徴であったようです。今でこそ色々と言われておりますが、今に続く社会クオリティや民度レベルへの寄与の大きさを考えると、もう少し公平に分析されていても良い筈なのですね…複雑…^^;;;

古いタイプの宗教は、宗教法人ないしは新興カルトとして存続しているか、あるいは国家保護を受けられずに衰退するままにあるか、どちらかであると言われています。なお、地域の支持が強固な地域にある宗教組織や、観光などで人を集める神社仏閣は、その限りではないようです(ただし、経営優先で、宗教性が非常に薄くなっている場合が多いらしい)。

・・・《添付資料》・・・

三井に次ぐ豪商であった近江商人の中井源左衛門良祐が子孫に示した「金持商人一枚起請文」:

もろもろの人々沙汰し申さるゝは、金溜る人を運のある、我は運のなき抔(など)と申は、愚にして大なる誤なり。運と申事は候はず。金持にならんと思はば、酒宴遊興奢を禁じ、長寿を心掛、始末第一に、商売を励むより外に仔細は候はず。

此外に貪欲を思はば、先祖の憐みにはづれ、天理にもれ候べし。始末と吝(しわ)きの違あり。無智の輩は同事とも思ふべきか。吝光りは消えうせぬ。始末の光明満ぬれば、十万億土を照すべし。かく心得て行ひなせる身には、五万十萬の金の出来るは疑ひなし。

但し、運と申事の候て、国の長者とも呼ばるゝ事は、一代にては成がたし。二代三代もつづいて善人の生れ出る也。それを祈候には、陰徳大事をなさんより全別儀候はず。

後の子孫の奢を防んため愚老の所存を書記畢。

:::意味:::

諸々の人々が、「金持ちは運があるから。自分には運が無いから」などと言うのは、愚かにして大変な誤りである。運などという事は無い。金持ちになろうと思ったら、贅沢をやめ、健康長寿を心がけ、倹約を第一に、商売を励むより他に、道は無い。

それ以上欲をかくと、先祖からも見放され、天の理からも外れるだろう。倹約と、ただのケチとは、違う。バカな者は同じ事と思うのであろうが。ケチばかりしていると、光は消えるものだ。倹約の光が満ちれば、十万億土をも照らすものだ。このように心得ておれば、運があり、必ず大いなる富を得るのだ。

但し、運があっても、天下一の長者ともなるには、一代では難しい。二代三代と続いて心がけの良いものがいないといけない。そのためには、ひたすら陰徳を積み、良い行動を続けるより他に無い。

後の子孫が奢らないように、あらかじめ書いておく。

・・・《以上》・・・

・・・うーむ。

さすが、戦国乱世の世をリスク・ヘッジして生き抜いた近江商人、なんともスピリットあふれる骨太な文章です^^;;;

財テクとか言って、どうやったらラクに大金を稼げるだろうか、というような事ばかり考えているバブル時代のプチ投資家には、到底思いつかないような文章かも知れません(汗)

いろいろとお勉強になりました。是非、制作中の物語に生かしてみようと思います^^

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研究:台湾文学の誕生

出典:『台湾文学この百年』藤井省三・著、東方書店1998年

序「台湾文学とは何か」より抜粋(引用者注:「ビンナン語」は、原著では漢字表記。パソコンで漢字表記が不可だったため、カタカナで引用。数字は、年代や番号などに限って読みやすさ向上のためアラビア数字に変換)

・・・日清戦争後に台湾が日本の植民地となったとき、台湾の先住民はそれぞれの部族語を話し、明清2王朝の時代に大陸から移民してきた漢族は大別してビンナン語と客家語を話していた。しかもビンナン語も客家語もさらに下位の方言に枝分かれしていた。台湾ではいわば地域や血縁により各人が自分の方言を話して暮らしていたのである。

19世紀末の台湾人の識字率は10%程度と推定され、口語文はいまだ存在せず、古典中国語が読み書きされていた。

B.アンダーソンの『想像の共同体(白石隆・白石さや訳、リブロポート)』やイ・ヨンスクの『「国語」という思想(岩波書店)』を読むと、19世紀末台湾の言語状況も、「国語」制定以前の明治初期の日本、あるいは標準語制定以前の18世紀から19世紀半ばのヨーロッパ諸国とそれほど異ならぬ状況であったことが推測できよう。

ただし大きく異なるのは台湾の俗語がその後「国語」化されなかった点である。

台湾に近代国家の国語制度を持ち込んだのは、1895年から50年間にわたり宗主国であった日本である。台湾島民は全国規模の言語的同化を通じて日本人化されたが、それと同時に全島共通の「国語」は諸方言と血縁・地縁で構成されていた各種の小型共同体を越えた、台湾大(サイズ)の共同体意識を形成したのである。

それは台湾ナショナリズム(=台湾意識〝Taiwanism〟)の萌芽であったと言えよう。[引用者注・・・〝Taiwanism〟は現代台湾の女性作家・李昂(リーアン)の言葉]

1945年の日本敗戦後、台湾は大陸の国民党政権に接収され、日本語に代わって北京語が新たに「国語」として君臨した。少数民族の先住民を除けば、台湾島民の95%は大陸人と同系の漢族ではあるが、日本植民地下の50年間の歴史的体験により彼らは大陸人に対し違和感を覚えざるを得なかった。

台湾における「国語」の普及率や小学校の就学率は、大陸のそれと比べて倍以上であり、大陸が前近代的要素を色濃く残した農業社会であったのに対し、台湾はすでに工業生産が過半を占める工業化社会であった。こうした文化的社会的違和感に国民党の暴政・失政が加わり、1947年の2.28事件という全島的な反国民党蜂起が勃発している。

このように台湾における「国語」とは、いずれも外来政権が持ち込んできた言語であり、島民の圧倒的多数は2代の「国語」制度の下で話し言葉と書き言葉が異なるという言文不一致の状況に置かれてきたのである。

・・・(中略・いずれの時代も「言文不一致」であることに変わりはない)・・・

現在の台湾では台湾人の不屈の闘いによりすでに民主化は達成されている。1996年3月全島民の直接投票による新総統選出は、その総仕上げであったといえよう。

・・・(中略・戦後台湾のGNP、経済発展への言及)・・・

政治の民主化と経済の先進国入りとがほぼ達成された台湾では、近年〝台湾意識〟と称されるナショナリズムが勃興している。戦後国民党政権が強要した「国語」=北京語に対し、多くの文化人は公的な場においても台湾方言であるビンナン語の使用を要求している。

しかしビンナン語のほかに少数言語として客家語と北京語が常用されており、3種の言語間の差はいわば英独仏間の差にも等しい。ほかに30万の先住民がそれぞれの部族語を常用することも忘れてはなるまい。

このような多言語を擁しつつ国民国家たらんとするとき、はたして第3の国語はどうあるべきかという熱い議論が台湾では数年来行われている。台湾文学に触れるとき、人は否応なく近代国家における「国語」の起源を問い直さざるを得ないのである。それはまた、文学の起源、「文学とは何か」を問うことでもあるのだ。

先ほど紹介したアンダーソンの著書は、ナショナリズムと出版資本主義との関係および出版語と特定の方言との結合を指摘しており、イ・ヨンスクの著書はこれをさらに一歩進めて「国語」とナショナリズムとの関係性を解き明かしている。

・・・(中略・明治日本~植民地帝国への発展を支えた日本語ナショナリズム)・・・

(イ・ヨンスクはアンダーソンの論を受けて次のように述べる)

ひとつの言語共同体の成員は、たがいに出会ったことも、話をかわしたことがなくても、みんなが同じ「ひとつの」言語を話しているという信念をもっている。
経験でいちいち確認できない言語の共有の意識そのものは、政治共同体と同様に、まぎれもなく歴史の産物である。
そして、「ネーション」という政治共同体と「ひとつの言語」を話す言語共同体という、ふたつの想像とが重なり結びついたとき、そこには創造的受胎によって生まれた「国語(national language)」という御子がくっきりと姿を現すのである。
・・・『「国語」という思想(岩波書店)』

・・・(中略・出版資本主義と文学の結合、出版語の固定化が国語固定化に連結)・・・

台湾の現状では、出版語の「形態を支配」しているのは台北の北京語である。ビンナン語を第3の言語とする場合、ビンナン語圏のいずれの「特定の方言」が「出版語の最終形態を支配」するのであろうか。高度に発達した現代台湾の各種メディアは、はたして北京語に替えてビンナン語を選択するであろうか。かりにそうなった場合、新しい国語制度下では先住民諸語と客家語、そして北京語はいかに遇されるのであろうか。

このような台湾の「国語」問題は、台湾の独自な周縁性によってもたらされている。近代文学研究の視点から述べれば、この独自な周縁性とは台湾が日本語と北京語という近代東アジアにおける2大「国語」圏のはざまに位置してきたことに原因するといえよう。もっともこの周縁性こそがきわめて短期間に台湾に「国語」と文学の制度とを可能にさせたのである。

西欧諸国では2世紀を、日本では半世紀を、そして中国では30年ほどを費やして成熟の域に達した文学の制度は、台湾においては戦前の日本語文学、戦後の北京語文学と2度にわたり、いずれも20年ほどの短期間で成熟期を迎えているのである。そしてこの周縁性は台湾の文学者たちを日本へ、中国へそして世界へと越境させていった原動力でもあった。

2つの「国語」を持ち今もなお第3の「国語」を模索する台湾文学は、近代および文学の活力あふれる実験室なのである。国際化が叫ばれ、越境の方法が問われる日本において、台湾文学は、日本近代文学の鏡であり、また1つの可能性を指し示すものであるともいえよう。

台湾は曲折に富む近代を体験し、その体験をバネとして豊かな文学を紡ぎだしてきた。20世紀100年という時空において、台湾文学は台湾人の情念と論理を時に日本語で時に北京語で語ることにより成熟してきたといえよう。・・・


(コメント)

「台湾文学とは何か」という問いに関して、著者・藤井氏はこのように考える…という内容が記されています。以下のような内容になります:

・・・(戦前・戦後時代を通して)日本語にせよ北京語にせよ、あるテクストが台湾大(サイズ)の共同体意識、あるいは台湾ナショナリズムという価値判断との関わりを有するとき、それは台湾文学と呼び得る・・・

今の時点での「台湾文学」の創造のイメージングは、このあたりに留まるのが精一杯であるように思われました。

ここ1世紀の間に急速に成長した台湾文学が、将来の台湾にとっての文化遺産…古典文学になってゆくのだろうと想像しています。(「台湾語」は「台湾文学」と共に、これから壮大な変容の歴史を刻んでゆくのだと思われました。どんな歴史になるのかは杳として知れませんが…)

『台湾文学この百年』の中に、[台湾人/大陸人]の今後の関係について示唆的なテクストがあったので、適当に要約してみます:

【以下、要約】【台湾人と中国人との間に横たわる溝…知的成熟と民主化】

現代中国小説の作品のひとつ、『月を食う犬(原題『天狗』)』の内容からうかがえる現代中国人(=大陸人)の台湾人観:

中国大陸に進出した台湾マネーの暴虐=台湾人社長の不道徳な振る舞いとして象徴。悪い意味での「エコノミック・アニマル」、かつ不道徳&有害&拝金主義。

『月を食う犬』に描かれた「不道徳な台湾人社長」は、「国民党軍中将の息子」と設定されており、どうも外省人らしい…??

中国大陸の小説が判で押したように「台湾人=不道徳なエコノミック・アニマル」を描くのは、大陸側では、台湾の政治的成熟の歴史に対する理解が欠けているからであろう、という事が考えられる。

中国大陸側の、台湾に対する無理解と嫉妬は大きいものであり、それゆえに大陸に住む大多数の中国人は、共産党の対台湾軍事干渉に暗黙の支持を与えている…という可能性が考えられる。中国人と台湾人の間に対話が成立するためには、中国人側のいっそうの民主化と知的成熟が望まれる。

中国共産党支配下において、知的成熟の原動力となる「言論の自由」はいまだ保証されておらず、民衆もまた時には、金の前に自尊心さえも犠牲にする。中国人と台湾人との間に「対話」が成り立つのは、まだずっと遠い先のことであろう。

この辺りは個人的には、著者の藤井氏とは異なる考えを抱きました。個人的には、「中国人が中国人であり続ける限り、永遠に台湾人との間に対話は成り立たない」という風に思っています。何といいますか、『月を食う犬』の内容は知らないのですが、このあらすじを見て、大陸人を縛り付けている、何らかの古代的・宗教的なまでの執念が想像されました。

【参考】1995年代のエピソード・・・『台湾文学この百年』より:

アメリカ新移住組(=天安門事件以後の移住グループ?)を構成する比較的貧しい中国人の間では、豊かな台湾人に対する反感が強い、と中国人留学生は語る(台湾人は、人によっては、貧しい中国人移民を搾取し蔑視する傾向があるという)。

「共産党の専制的支配を嫌ってアメリカに逃げてきた私たちが、大陸との統一を拒む台湾人に反対するのは矛盾しているのですが、中国人は感情的にこじれていましてね…」と、渡米中国人は苦笑する。

政教分離・考/中国の呪術

「政教分離・考」の余談として、「中国」についても種々思いついたことがあったので、まとめてエントリです。

「政教分離」の反対は「祭政一致」ですが、祭政一致の社会の極北として、どうしても「中国」…「中華システム」を連想してしまいます。

政教分離に必要な「識別能力」を徹底的に不必要とし、完全に削除してしまった社会が、「中国社会」のような気がします。政教分離…ではなくて、政教混沌…の大国。どうも現代の「中国」文化をじっと見ていると、「自己本位」とも言うべき「訳の分からない宗教呪術」の存在が、ほの透けて感じられます。

「訳の分からない宗教」をかもし出している「言語呪術」を、「中華」という名の言語呪術、青銅時代に由来する中原の神の恐るべき呪縛、「ロードスの呪い」…と、名付けてみています。あくまでも「個人的に観察して個人的に感じた事」なので…、他の人には、他の感じ方&考え方があると思います

(『シナにつける薬(http://marco-germany.at.webry.info/)』が、一番リアルな「中国」に迫っている論考集だと思います…)

ここで「ロードスの呪い」…と名付けてみた「訳の分からない宗教(思考癖)」、その異質さをどう表現しようか…と随分迷ったのですが、言ってみれば「あくなき正当化」、周りがどうなろうが、地球が無くなろうが(地球が無くなれば火星を「中華という器」に入れればよい)、さほど困らない…という印象を受けるのです。「私物」と「私物化」の区別がつかない社会…組織なき社会。

環境汚染に対する、恐るべき無関心さ。歴史の自己同化、権威の自己同化、国土の自己同化…万物の自己同化(または私物化)。

夏目漱石の「則天去私」は、「私」の透明化を通じて天との無限連結を期するものですが、中国の「自己本位」は、「自己同化の領域(己の意のままになる領域)」の、天に至るまでの無限膨張を期するものであるようです。「中国人」にとっては、いわゆる「組織」「環境」「体制」というのは存在しない、理解できない概念なのでは無いか…という疑念が湧いてまいります。

それは、「自己同化観念による政治支配」を無意識的に可能とする…という、恐るべきカルト性を持っているかも知れません。辺境の穏やかな農耕社会に留まっているうちは、それでも良いかも知れませんが、ハイパワー・テクノロジーを縦横に操る高度文明社会となると…やっぱり、大問題です。

たとえば、書道。中国の書道は、巨大な崖に文字を刻んだり、古人の作品に自分の讃を書き込んだりする事を尊ぶようです。いわば、自然の人造物化・私物化…人の意のままに「自然」をヒョイヒョイと動かせる事に価値がある(実際に動かせなくても、派手な政治パフォーマンスでも可)…という事になりますでしょうか。

(日本だったら、風景の無闇な人造物化や、他人の世界へのあまりにも野放図な干渉は、程々のところで控えると思うのですが…「日本列島改造計画」がかつてあった手前、あまり自信ないです…)

儒教に対する理解も、禅に対する理解も、仏教に対する理解も、もしかしたら何百年もの古(いにしえ)から、ずっと異なっていたのかも知れない…(一部の人たちの間だけの話…と思いたいですが)、そういう恐ろしい疑念も、ジワジワと湧いてまいります…

疑念はさておき…自己本位な生き方が癖になっている人々…というのは…いささか、というよりも…かなり厄介な存在です。

パートナー心理の知識に基づいての応用推察になりますが、自己本位な生き方が癖になっている人々というのは、無意識的に「自分のステータスを上げてくれそうだ」という条件が整っている環境を見つけていこう…とするので、尋常で無いくらいの影響力をもつ他人、または他国に寄生しようとする傾向があります…

だから、少し言葉はおかしいけれども、中国大陸の各地各地の「中国的民族」の人々にとっては、現在の「中華人民共和国」も他国のひとつにしか過ぎないのであり、かつ、自分の生活に甚大な影響力を及ぼす他国だから、そこに寄生している…という感覚なのかも知れない…

そして、「中華人民共和国」よりもっと強い他国があれば、あっさりと「じゃ、そこに寄生しよう」的に、服を着替えるのと同じような感覚で、国を取り替えるのかも知れない…

中国共産党はそういう傾向を良く知っているから、「我々が世界で一番強くて、偉大な国だよ」という政治パフォーマンスを繰り返しているのかも知れない…(チベットの悲劇も、そういう政治パフォーマンスの延長でしか無いとしたら…それは、『クトゥルー神話』の邪神崇拝の光景よりも、遥かに遥かにおぞましい光景だと思います)

その思考癖の上に、さらに「損得勘定」に速攻で反応する性質の人の場合、更に厄介です。自己本位という基礎がガッチリとあるだけに、「私は特別な人間だ」というプライドだけは異様に高く、その後に本当に反省する事が無いからです…そぶりだけは見せるけれども…実際には心の底から反省し、人として成長する事は、決して、無い。

他人から学び、自己啓発を通じて、苦労してまで人間的に成長したい…とは思わない。だけど、相手の成長・財力・心身に依存し、寄生し、執着して、相手を最大限利用して、自分のステータスを最高のものにするためには、どんな努力も厭わない。それが不可能になれば、寄生先の相手を切り捨てる事に、抵抗は無い。その一方で、自分ほど高貴で、気高く、情け深く、思いやりのある心の持ち主は居ないという、大きな自信と自負がある…

心理学から推察する限りでは、得てして、「自らのステータスを上げる」という目的が第一に来る場合、歴史については、意外なほどの保守的な傾向を見せます。だから…そういった人々が「新たな業績」を生み出せた(と思っている)場合、それは、他人(他民族)の衝撃、または成長の勢い、権勢、革新ぶりに寄生した末での業績である事の方が、殆どでは無いでしょうか…

以上のような、「訳の分からない思考癖・強烈な執着性」をもたらす「何か」…それは思考の可能性の呪縛・封印に他ならない「何か」であり、その想像上の永遠の牢獄を、仮に「ロードスの呪い」と名付けてみています…

想像ですが、歴史すら、自分のステータスを上げる「道具」でしかない、という習慣があるかも知れません。「ロードスの呪い」に染まった「民族」は、それ以後は、政治的ごり押しや心理的駆け引きには大活躍する事はあっても、人類史に残るような、偉大な業績を為す可能性は…おそらく無いのではないか…と、思います。

あとは…わずかな希望としては、人間と人間の相対性。最終的には、やっぱり「神」としか表現できない何か…大きな運命の導きが、「ロードスの呪い」を破り、変容と成長を促すのではないかと思います。

問題は…そういう運命の変容のビッグウェーブに乗れる感覚を、「中国人」が持っているかどうか…だと思います。(ここは、自分でも…観察していて、割と悩むところです)