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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作7

異世界ファンタジー3-1食堂前:一触即発

――ああ、どうしよう。

ロージーは、王宮の中にある役人向け食堂の前に並ぶ長い行列を見て、途方に暮れていた。

冷え込みが強まって雨がぱらついた日、王宮の役人向けの食堂は、街のレストランへの道を遠慮した役人たちで込み合っていた。行列整理中の従業員が、「並んでください、ハイ、最後尾は1時間30分待ちですよー」などと無慈悲な宣告をしている。

(今日はライアナ神祇官が午後いっぱい祖母をチェックしてくれる日だから、半休を取っておいたのに…)

仕方ない。昼食抜きで帰宅するか。ノロノロとそう決心し始めたロージーの肩を、後ろから「ねえ」と、つつく者があった。

思わずビクッとして振り返るロージー。そこには、金髪碧眼の背の高い男が居た。王族の血筋を色濃く持つ、貴族クラスの高位の竜人だ。見惚れる程の美貌に、妖しくも魅惑的な笑みを浮かべているが、少なからぬ威圧感を感じる。ロージーは、金髪の男の竜体の大きさをまざまざと直感し、本能的な畏怖を覚え、サッと距離を取る。

「あ、何もしないから、そんなに警戒しないでよ」

金髪の男は、ダダ漏れだった威圧感をそそくさと収めた。どうも注意力散漫なタイプらしい。この分だと、お忍びで金髪を隠して街中を歩いていたとしても、その身から発散される威圧感で、しっかりバレてしまうに違いない。知らず知らずのうちに、平民クラスの人たちを怯えさせ、後ずさりさせているのではないか。

「白緑色の髪のお嬢さん、これから一人で食事でしょ?俺、上の食堂に行くところ。上の食堂は空いてるからすぐに席が取れるけど、一緒にどうかな?最近は冬宮に向かう渡り廊下で良くお嬢さんを見かけるんで、気になりまくりだったんだよね。以前も会ったよね、覚えてる?」

上の食堂?貴族クラスの、高級料理の…これは、もしや、ナンパという物か。ロージーは目をパチクリさせた。

「いつもサフィニアやエルヴィーネと一緒にお昼してるから、なかなか誘えなかったけど――今日という今日は、俺にチャンスが来たと思って良いよね?お嬢さんの名前は平凡だからなぁ、ロゼッタ嬢と呼んでも良い?」

良く見てますね。…というか、いつから見ていたんですか?知り合い?ロージーの脳内には、幾つもの疑問符が舞っていた。

「今日は天気が悪いけど、劇場はやってるから。あ、他の令嬢たちや女官長には、後で話を通してあげるから。偶然、俺は午後から非番でね。私服なのはそのせいさ。午後のデート付きで、どうかな?リンシード嬢は、音楽と演劇と、どっちが好み?」

こっちが茫然としている間に、勝手に話を進めないでください。明らかに上位貴族の子息と見える――もしかしたら、既に跡を継いで当主を名乗っているかも知れない――金髪の男の誘いを、如何にして不敬罪抜きで断れば良いのか、ロージーは必死で頭をくるくると回転させていた。

程なくして、そこへ、もう一つの人影が足早に近づいて来た。

「彼女を困らせるな」

馴染みのある低い声がしたかと思うと、記憶にある香りをまとった力強い腕が、ロージーを金髪男の下から引き出した。

――あの監察官だ。ロージーは訳もなく、一気に安堵した。監察官は背中にロージーをかばい、金髪男の前に立ちはだかる。監察官はどんな表情をしているのか、金髪男の雰囲気が険しくなった。抑えられていた威圧感が再び噴出し、ロージーはカタカタと震えるのみである。気が付けば監察官の方も穏やかな雰囲気ではない。凍て付くような殺気で、周辺の温度が一気に下がったようだ。

「お堅い監察官で。ロゼッタ嬢の返事を待っていたところだったんだけど?」
「顔に返事が書いてあるのが分からない程、鈍くないはずだ」
「そういえば、――ユーフィリネ大公女はどうした?」
「――貴殿は"あの件"に関する私の誓約を忘れているようだ。改めて誓約書を送付させて頂くが?」

ロージーは、途中から意味の通じない会話になったことに驚いた。どうやら二人は単なる知り合いというだけではなく、噂のユーフィリネ大公女を巡って、真面目に誓約を書く羽目になってしまった程の、過去の因縁もあるらしい。

金髪男は真剣な目つきで、ロージーの方をしげしげと眺めて来た。

「――何だ、本気だったのか」

金髪碧眼の貴公子は、何かに納得したかのようにそう呟くと、不意に踵を返して立ち去ったのであった。

*****

上位貴族の竜人同士の一触即発の事態を回避したという事に気付き、ロージーはホッとする余り、ヘナヘナと崩れた。自分で思っているより、小さい頃に間近で目撃した上位貴族の竜人同士の決闘の記憶は、根源的恐怖としてカテゴリされていたらしい。

ロージーが腰を抜かして床に座り込む前に、監察官の腕がロージーの腰を捕まえた。

「大丈夫ですか?」
「な、何とか…」
「その様子だと、上の食堂に行くどころでは無さそうですね。私の執務室の休憩所を提供します」
「???」

――あれよあれよという間に、ロージーは高位官僚に割り当てられているスペースに連れ込まれ、監察官の執務室だという重厚な部屋に招待された。ちょうど昼食と休憩の時間という事もあるのか、他の官僚たちは出払っているらしく、何人かの下働きの人々の他には出会わなかった。

さすが上位貴族の監察官、一人で使う執務室を持っているらしい。扉に居た門番が監察官に連れられて来たロージーを見てビックリしていたが、監察官の信用が高いのであろう、何も言って来なかった。門番は、部屋の主たる監察官に「昼食一人分」と注文され、慌てて廊下の角へと走り込んで行った。

ロージーは初めて見る高位官僚の執務室に目を丸くし、思わずキョロキョロしてしまった。壁に作り付けられている書棚には、端から端まで書籍が埋まっている。

ある種の民間業者の仕事部屋のカオスぶりを見たことのあるロージーは、机の上に乱雑に積まれて雪崩落ちそうになっている重要書類の群れを想像していた。しかし、監察官の執務室にある大きな机の上はきちんと整理されており、機密書類と思われるような類は何処かに隠されているのであろう、影も形も見えなかった。

(有能すぎるわ…)

監察官言うところの休憩所は、衝立で仕切られたスペースにある、応接セットと思しきテーブルとソファであった。ロージーが勧められてソファに落ち着くと、門番とは別の、専属事務員と思しき若い男がオムライス定食を運んで来た。

――すっかり呆然としていたロージーの頭が、再び回転し始めた。

(…ハッ!急いで食事を済ませて、祖母のところに駆け付けなければ…!)

ロージーは丁重にお礼を述べると、不躾にならない程度にできるだけ上品に、なおかつ最速のスピードで、食事を進めた。しかし、流石に慌ただしさがありありと出ていたようで、給仕を務める専属事務員も給仕タイミングをつかめず、疑問顔でロージーを眺めた。向かい側のソファに座っていた監察官も、最初は唖然として、次いで面白そうな笑みを浮かべてロージーに注目する。

オムライス定食に付いていたコンソメスープを最後に飲み干したところで、ロージーはようやく、自分が注目を集めていた事に気付いた。ロージーは気付いたことで戸惑い、口をポカンと開け、その顔が羞恥でパッと赤くなった。

監察官は何がツボにはまったのか、口元を抑えて笑いをこらえていた。笑いをこらえてはいたが、肩が確かに小刻みに揺れており、「くっくっく」という楽しそうな笑い声まで漏れている。これには専属事務員も、驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。自分の上司でもある監察官は、この執務室に来て以来、何年もの間、一度も笑わなかった人だったから。

「ロージー、何か急用を抱えているようですね?」
「はあ…実は、あの、急いで家族の様子を見に行きたくて――別に今すぐにどうにか…という訳じゃ無いんですが、担当で家族の世話に来て下さる先生との相談のための時間が、夕方までしか無いものですから…」
「成る程――この間のあの馬車を、また貸しましょう。一緒に来てください、ロージー」

監察官はそう言ってロージーを促すと、まだ呆気に取られている専属事務員に後片付けを任せ、手慣れた様子でロージーをエスコートして行ったのであった。あの無紋の馬車を担当する御者も、この間の御者と同一人物で、勝手知ったるストリートの停車駅まで、ロージーを運んで行った。

ロージーは知らない。この後、専属事務員と御者と執務室の門番――すなわち、使用人たち――の間で、使用人ならではの情報網を通じてロージーの素性についての情報が改めて交わされ、そして、内々のうちに暗黙の了解が交わされたという事を。

ロージーは知らない。ユーフィリネ大公女が、たまたま馬車回しの近くに居て、あの日と同じように再び、監察官とロージーのツーショットの光景を目にし、改めて「ある確信」を抱き、新たに「ある決心」を抱いたという事を。


3-1@“宿命図”の観測

王宮から馬車で20分ほど離れた小さなストリートに面する、養老アパート。晩秋の雨はパラパラ降りからシトシト降りになっていたが、雨脚は細いもので、翌日は爽快に晴れるのではないかという予感を、ほとんどの人が抱いていた。

ライアナ神祇官は祖母の体調を念入りにチェックし、「このところの冷え込みで多少バランスが崩れているけど、そんなに深刻なものではない」とロージーに説明した。時々目を覚ましてにこやかにお喋りをしていた祖母は、ほとんどの時間を眠るように過ごすようになり、《霊送りの日》がいっそう近づいて来た事を実感させた。

今回、ライアナ神祇官は、指導中の弟子でもある若い男性アシスタントを伴って来ていた。まだ正式な神祇官ではないので、ファレル副神祇官と名乗っている。

ライアナ神祇官は一通りの仕事を終え、居間に落ち着くと、おもむろにロージーに声を掛けた。

「ファレル副神祇官にロージー様の《宿命図》を観測させたいのですが、よろしいですか、ロージー様?」
「実地訓練という事ですね?」
「ええ、秘密保持については、このライアナ神祇官が責任をもって、しっかり対応しますから」

ロージーは快諾し、ファレル副神祇官の占術を受けた。

軽い催眠状態になり、手のひらに《宿命図》の元となる特殊な手相パターンを浮き立たせる。その特殊な手相を写し取り、それを図式化してまとめるのである。ベテランになれば作成も解析も数時間で終わる仕事であるが、普通の人は、出来上がった《宿命図》から健康運、恋愛運、金運を辛うじて読み出せるのみである。この世界は奥が深いのだ。

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