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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

メモ:白骨の御文章など

★白骨の御文章(御文章五帖目十六通)蓮如

それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
凡そはかなきものはこの世の始中終、幻の如くなる一期なり。
されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。
今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我やさき、人やさき、今日とも知らず、明日とも知らず、
おくれさきだつ人は、本の雫、末の露よりも繁しといへり。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
既に無常の風来たりぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、
一の息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、
六親眷属集まりて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、
ただ白骨のみ残れり。あわれというもなかなかおろかなり。
されば、人間のはかなき事は老少不定のさかひなれば、
誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏を深くたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。

★時宗(踊念仏)

六道輪廻の間には ともなう人もなかりけり
独り生まれて独り死す 生死の道こそ悲しけれ

★松岡国男「野辺のゆきゝ」

夕ぐれに眠りのさめし時
うたて此世はをぐらきを 何しにわれはさめつらむ
いざ今いち度かへらばや うつくしかりき夢の世に
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