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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

航海・準備篇

断章(タイトル未定)の考察準備のため、ある比較作業をしていたのですが、その結果を「試しに」リストアップしてみました。物語を読んでつらつらと観察、つらつらと考察…となっています。

ちなみに、言語の本や文法の教科書などをさらって調べたもので、ファンタジー創作モノではありません。ただ…、文法の本は斜め読み状態でしたので、誤解があればご指摘くださいませ(=これが目的だったりする)

「イーリアス」や「千一夜」、「水滸伝」、「古事記」などのメジャーな物語だけですが、それらを読んでみての比較となっています。ちょっと分かりづらい項目かなと思ったところを解説。

◆「時と場」
物語の舞台設定において、どれだけ時と場に関する状況説明が入るかを見たものです。

印欧語系は、舞台状況を逐一説明してます(ホントに逐一で、しかも、ながいのです)。最初に何も無い超越的背景があって、そこにきっちり舞台条件等の設定(at とか in)をしてストーリー云々を、「克明に因果・時系列を彫り出す」かの如く説明してゆくスタイルであり、時と場において前提される舞台を想定してないんだろうな、という事で、時からも場からも無関係な言語としました。

古漢語系は、舞台が初めから広がっている感じです。初期空白のような超越性が余り無い方。象形文字という便利さもあるのでしょうが、「天」思想の舞台も、現実の天空観との混同が見られます。舞台説明をすっ飛ばして、いきなり含蓄や心情や科白の世界を発露するというスタイルで、その発露の中で、舞台説明(または雰囲気の構造)が次第に展開してゆく感じでしょうか。

日本語は、ちょっと面白いです。舞台説明の有無というのは各々に応じて半々です。枕詞が重要なキーワードになります。枕詞をきっかけに舞台が連想・展開されるといいますか…世界をある程度「枠取り」しておいて、いざ説明に入ると印欧語なみに逐一の事があるのですが、センス主体の場合は感覚ビジョンをパッと提示するだけで、漢語系なみにササッと語りこんでいます。(「トンネルを抜けると雪国であった」とか。了解が無い場合は、かなり戸惑う表現かも)

◆「自他の区別」
科白部分で、問う人と問われる人が常駐するものかどうかを見たものです。主に世界観の構築に関連すると思いましたので、あえて考察してみました。

印欧語は「誰が何処で何をしゃべった」と、きっかり時間変化も格変化も起こして科白を入れます。特にラテン語の格変化は、すさまじいものがあります…こんなのが古典哲学の主役だったとは!(男性変化、女性変化もあるのだぞ、説明がすごいだろ、という感じですね)しつこいようですが主役個人が明らかに完全常駐型です。

古漢語はすごく無です。「誰が」という部分を抜くと、一瞬、誰の科白か分からなくなるくらい。動詞の格変化などが無い、という事もありそうですが…「子、曰く」が必須というところを見ると、自他の区別において「誰」とか「家」という有限世界を離れる事は絶対に無いみたいです。自他を指示する語をガッチリと糊付けすればOKです、というスタイルで、その分、科白をしゃべる人は科白の内容に気をつけるのだ…という感じでしょうか。

日本語は文脈判断にお任せになっている形なので、自他の区別は「無」としました。文末表現の男言葉、女言葉によって、ある程度区別をつけたり、あるいは尊敬語・謙譲語の区別によって自他を切り分けているスタイルです。むしろ、述語のほうから自他の区別を暗示・包摂するスタイルだと言える…と思います。

◆「個人観念」
この項目は、<歌語り>部分の唱和に注目して考察したものです。歌の部分が何と言っても物語のクライマックスですし、個人的観念がもっとも強く出るところだと思います^^

印欧語はレパートリーを決めて交互に歌っていったり、和音を決めてハーモニーを構築したりしており、唱和において個人がはっきりしてます。なので、バラバラな個人が前提されていると致しました。

古漢語は独唱型です。主役(宗家)の独唱に連動して集団が動く、場面が動く。圧倒的に、宗家(というよりは血統)=主役固定。で、面白い事に、連動する反応は同じ血統に限られます。血盟を誓ったもの同士とか・・・(外部は連動しない、というか想定外にあります。都市の成立過程とも関係あるかも)

日本語は、主役も集団もはっきりしない斉唱です。あるいは一人が歌の上句を歌って、別の一人が下句を継ぐ。問答歌、連歌、反歌(=長歌に対する反歌の場合は同一人物のスライドがある)など。同時ハーモニーというよりは交代唱で、時間をずらして、場面をずらしての方が多いです。主客未分というのか、主客が絶えずうつろうところ、流動的なものがあります。

  • 考察1=「立ち現れた世界に対する判断基準」
  • 考察2=「手にした世界に対する反応」
  • 考察3=「異世界に対する触手の状態」

いずれも物語のシナリオの進行状態や登場人物の示す傾向から考察したものです^^

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