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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

写真感想とブログ感想

◆◆アムゼルくんの世界(エキサイト版)が復活されていて、またビックリしました(笑)

ゆっくりしているところだったので、風流な気持ちになって鑑賞いたしました。

[暮れない夏の夜]2009.7.4
http://amselchen.exblog.jp/11426338/

  • 夏草に夕べの陽差し斜めなり影にも知らむ地球(ほし)のめぐりを
  • 白壁の色も幽(かそ)けき夕葉影しずかに笑みしいにしへ思ほゆ

特に感じ入った写真に対して…感想代わりに、短歌を詠んでみました。やっぱり、微妙に理系が入っているので、多少理屈っぽいかもです(アセアセ)。

(追記)アムゼルさまが、上の私製和歌2首をエキサイト版ページに載せてくださいました。(実は会心の作品だったので、とても嬉しかったです。)ここに御礼申し上げます

◆◆未完成な写真論

『悪魔のいない文学』中野美代子・著を読了

西洋思想を彩るパースぺクティブ思考のコアがよく分かりました。西洋絵画から感じていた内容は、こちらの思い違いでは無かったのだ…と、ちょっと自信がつきました(ルネサンス以降の近代西洋絵画には、必ず額縁が付く…という現象に、いわくいいがたい不思議さを感じていました)。

老荘思想と山水画の関連は興味深く読みました。この分野に関する知識不足が大きいので、これというような感想はまだ出来ていませんが…これはこれで、かなりラディカルな現象だな、という風に考えております。人間の思考の振れ幅の大きさが、何とも面白い…やっぱり大陸という風土が強烈に効いてくるのでしょうか

・・・読書感想文はここまで・・・

最近、「数学は魂の音楽であり、音楽は魂の数学である」という面白い言葉を見つけました。誰が言った言葉なのか分からない(作者不詳)…という事ですが、深い箴言だと思います。

これをもじって、「写真はエネルギー相の残像であり、残像はエネルギー相の記憶である」、これをもって写真論となす…というのも面白そうです。

写真は…〝その場の「相」が転写されているもの〟ではないか。

写真の本質は、残像です。すでにこの場には存在しないもの。それが映像として残っている…

その意味で…写真は絵画では無い。何か一種異様な、「別のもの」なのです…

以上、未完成な写真論を述べてみたのであります

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