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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

海洋国家と海洋軍事・前

テキストは『三千年の海戦史』。著者は元・自衛隊の方だそうです

ちょっと厚みのあるハードカバーにためらいつつ、早速、読んでみました。

前編と後編に分けまして、ノートです。前編は、特に興味を持っている古代中世の歴史記述が絡む部分。後編は、斜め読みして拾ったメモです。

テキスト=『三千年の海戦史』松村劭(まつむら・つとむ)著、中央公論新社2006

◆文明都市のタイプ

海洋都市(貿易都市)=流れが緩やかで安定する大河川の下流部に出来る。陸上交通路の集束点があればそこに陸の生産物と海の生産物を交換する市が立つ。これが発展したのが海洋都市である。

大陸都市=大陸内交易で自給自足が成り立つ大陸国家の中で出来る。陸上交通路の集束点を満たす大河川の沿岸に市が立ち、やがて大都市が出来る。これが大陸都市である・・・例:洛陽、大都(北京)

港湾都市=防波条件の良い地形を持ち、陸地から海洋に向かって水深が急に落ち込み、大型船も接岸できる。陸地の生産量は安定しており、物資補給に不自由しない。最初に漁村が栄え、後に港湾都市に成長する。

◆古代の海洋軍事の概観
(ガレー船・格闘戦士の時代。なお、ガレー船は中世まで活躍する)

古代海洋文明は、東地中海に集中。即ち、エーゲ海文明とフェニキア文明。
当時、海洋で使われていた船は3種に分けられる:

  1. 漁船・・・冷凍技術が開発される前の漁業は、基本的に近海の沿岸漁業であった。
    海洋戦略に関しては無視できる(現在は微妙?)
  2. 輸送船・・・船幅が船長の約1/2の「ガイロイ」という丸船が使われた。
    幅があるのは姿勢を安定し輸送力を最大限にするため。メイン動力は帆走、サブ動力はオール。
  3. 軍艦・・・戦闘用。船幅が船長の1/5以下の「モネール」という長船が使われた。
    運動力が高いが、風浪に弱く、航続距離は短い。メイン動力はオール、サブ動力は帆走。

輸送船が作る交易圏に比べて、軍事力による制海権はずっと小さい傾向にあった。いずれの大型船も、乗組員は300名~350名を超える事は無かったと推測される。地中海沿岸の住民にとって、海戦は陸戦の付属として、日常茶飯事であった。

  • フェニキア時代の軍艦:バイリーム(二段櫂船)。紀元前700年頃のフェニキアによる開発。
  • ギリシャ時代の軍艦:トライリーム(三段櫂船)。アテネ海軍の船。バイリームの改良形。

::ガレー船(トライリーム/三段櫂船)::

櫂の漕ぎ手60名~170名を上下3段に配置して高い速力を得た(アテナイのそれの船員は漕手170人、補欠漕手・水夫・戦闘員30人の200人、攻撃時の最高速力およそ10ノット)。

帆を備え、風力でも移動できるが、地中海では風はあてに出来なかった。この種の軍船は船底最前部に青銅で補強した衝角(約3メートル)という突起物を備え、敵船に衝突して船腹に穴を穿って浸水させ、行動不能とすることを目的とした。敵方のオールを折って行動力を奪う事も戦法のひとつであった。

機敏な動きを可能にするため、戦闘用の船には必要最小限の物資(主に武器)しか積まず、長期の移動中は、水や食料を搭載する多数の補給船団を引き連れて行動した。遠方で作戦を行なうときは、陸にある基地を乗り継いで物資補給する必要があったため、基地を守護する陸軍動員力、および基地周辺海域の制海権も必須であった。

◆中世の海洋軍事の概観
(帆船に大砲・騎馬戦士の時代)

中世ビザンティン帝国の陸軍・海軍はとても強大で、中東(イスラーム)側は、ボスポラス・ダーダネルス海峡の制海権をもてなかった事、はからずもビザンティン帝国がイスラーム膨張に対する防壁となって、西欧は中世の平和を満喫した事、が言及される。

※さらに付記すれば、大陸(カフカス平原)側は、ハザール王国がイスラーム膨張に対する防壁となったらしい。

また、地中海沿岸を荒らしたヴァイキングには、当初、制海権という概念が無かった。故にヴァイキングは、わずかな海軍力にも関わらず制海権に注意を払っていたビザンティン海軍に勝てなかった。ただし、シチリアを征服して、ノルマン系の両シチリア王国を建国して公認をもらう。

::ヴァイキングの船::

  • 戦闘用ロング・シップ=「カッパー」と呼ばれる。一般に船長35メートル以下、船幅8メートル以下、両舷に各々10挺~16挺のオールを備えて、これをメイン動力とする。四角の帆を立てて、追い風のときのみ帆走。初期の乗組員は60~100名の兵士であったが、9世紀末期には大型化し、200名の兵士を乗せるようになる。
  • 輸送用ラウンド・シップ=1本マスト縦帆で、前後が同形状の船。後に横帆を複合することで大型化に成功する。(分かりやすいイメージとしては『ワンピース』のルフィの船だけど、厳密には前後同型では無いので注意)

(余談)ビザンティンが弱体化したとき、十字軍が出たという事です。イスラーム勢力を押し返すという政治的判断があったという事ですが、この辺りの目論見は、諸事情入り乱れていた…というのが実際に近いのではないか…と思っています^^;

東方(唐王朝時代)では、アラブ人とペルシャ人がインド洋の制海権を握り、インドネシア人が東南アジアの制海権を握り、その勢力はシナ大陸南岸部まで及びました。そして、インド洋と東シナ海を結ぶ貿易がスタートします。(主にアラブの三角帆船。インドネシアは多分、アウトリガー・カヌー。ジャンク船は少し後?)

::中世の地中海で活躍した様々な帆船について(ネットより)::

戦闘型2本(3本)マスト縦横複合帆ガレオン
中世時代にもっとも活躍した船で、図版にも良く出てくる。イメージとしては『ピーター・パン』のフック船長の船。船尾にキャビンと呼ばれる船室を持ち、前方のサブマストには派手な飾り絵の付いた縦帆、メインマストには大きな横帆、船首が長く突き出している。大航海時代にも活躍。

ジーベック・ガレー船
帆と艪を併せ持った船。古くはエジプト文明に既にあったとされる古式の船。通常は長くしっかりとした1本のメインマスト、大きな三角の縦帆が1枚、船の両舷に艪が沢山付いた形。入り組んだ地形の海岸線で小回りが効き、アドリア海の海賊に重宝される。

・・・[海洋国家と海洋軍事・後]に続きます・・・

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