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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作31

異世界ファンタジー9-1予兆:仄かに明るい昼下がり

荘園邸宅の執事は、いつものように邸宅の業務をこなし、合間に表に出て来て、「今日は、すこぶる明るい天気ですねえ」と言いながら空を仰いだ。昨日は再び強烈な寒気が襲って雪が積もったが、季節は着実に春へと移ろっている。

表の庭園の緑地部分には、舗道部分を雪かきした時の雪が重ねられている。そこの一角では、目下、侯爵邸に滞在中のロージーが、荘園邸宅の幼い甥と姪の雪遊びの相手を務めていた。竜体に変化してなお小柄なロージーは、幼い甥と姪にとっては恰好の遊び相手だったようで、子供たちはロージーを独占している間はご満悦だったのであった。

――そこへ、王宮に詰めているはずの御者が、珍しく騎馬姿で駆け込んできた(御者は平民クラスなので、竜体で飛ぶよりも騎馬での移動の方が早いのだ)。高速移動中に突き刺さる寒気を防ぐために大きなマスクをしているから、ちょっとした不審人物というか、山賊風だ。

「どうしました、御者どの」
「ジル〔仮名〕様からの速達です」
「おお、やっと文書の山の中から、私のメモを見つけてくださったんですな」

執事はいそいそとメモを開いた。そして、目が点になった。盛んに首を傾げている。

流石に異例中の異例と言って良い行動パターンなので、御者も実のところ、今回のメモの内容に大いに関心を抱いていた。

「何と書いてあるんですか、執事さま?」
「――クリストフェルが誤解した可能性が高い。彼が来た場合は即刻、追い返せ――」
「近衛兵のトップスターの貴公子が、何を誤解したんですかね?――因縁の決闘よりも、深刻な事態?」
「王宮を行き来していない私に、聞かないでくださいよ」

御者は盛んに首を傾げながら、しかし、王宮に戻って行った。有能極まりない執事は御者を見送り、改めて、要点説明のみに留まる不可思議な文面が、暗に言わんとしているところを推理した。

「本邸の正門を守る門番だけでは無く、敷地を守る四方の門番の方にも連絡して、エヴァライン公のご令息クリストフェル卿がいらした場合は、何があろうと、その場で丁重にお返しする――と言う風に指示しておきましょうかね」

*****

幼い甥と姪は流石に遊び疲れたようだ。子供部屋に戻ってメイドたちに囲まれて、キャアキャア騒ぎながら浴室で汗を流し、それぞれゆったりとした室内着を着せられた後、昼寝用のベッドに潜り込むと、すぐにぐっすりと寝入ってしまった。

ロージーは子供たちの毛布を丁寧に掛け直すと、子供部屋に置いてあったソファに、グッタリと座り込んだ。

「流石に、私も疲れたわ…」

子供たちのエネルギーは無尽蔵なんじゃないか?と思ってしまうひと時であった。

「あらあら…ホントにお疲れさま、ローズマリー。いつも子供たちの相手をしてくれて助かるわ」
「あ、令夫人。お見苦しいところをお見せしまして」

令夫人が子供部屋の扉から、クスクス笑いながら顔をのぞかせていたのである。いつから居たのだろうか。ロージーは頬を染めながらも、居住まいを正した。

「いいのよ、我が家と思って楽にして、ローズマリー。あなたも浴室で汗を流したらサッパリするわよ、メイドに言っておくから。そしたら、お茶しませんこと?昼寝の方が良いなら、私は構わないわ」
「それでは、前半分の時間をお昼寝に充てたいと思います。残りの半分の時間を、お茶という事で」
「オッケーよ。楽しみにしてるわ」

ロージーは自室に戻り、汗を流して着替えた後、毛布の下でウトウトし始めた。この自室はロージーが成人を迎えた際、令夫人が長期滞在を念頭に置いて割り当ててくれた物である。しかし、ロージーが成人した頃、祖母が体調を崩して養老アパートに移ったこともあって、今まで遂に本格的に使わせて頂く機会が無かった。

浴室や寝室に加え、書斎などとして使われることを想定した続き部屋もある。そこには既にタイプライターが運び込まれ、空いている床や収納棚には、在宅公務の内容が詰め込まれた箱が並べられていた。養老アパートの一室よりもずっと広い部屋だったが、若い女性向けの淡い内装が、その落ち着かなさを和らげていた。

ロージーは、此処に滞在させて頂くのはジル〔仮名〕様とキッチリ話し合いが済んだ時まで、と決めていた。その後は、警備条件の良い適当な宿場に移動して、公務の残りを片付ける予定である。長期滞在の予定は無かったので、クローゼットには必要最小限の実用的な衣服しかない。滞在中に、隣近所の貴族を招いて私的な交流パーティーなどがあるかも知れないが、そんな時は、申し訳ないが遠慮させて頂こうと、ウトウトしながらもロージーは思案するのであった。

*****

ロージーが昼寝から覚めると、遅い昼下がりとなっていた。春に向かって徐々に日が延びて来たので、灰色の雲が少し薄まった事もあって、外は仄かに明るい。久しぶりに、夕焼け色が見れるかも知れない。ロージーは微笑んだ。

日替わりで着ていた衣服のレパートリーは、既に尽きていた。ジル〔仮名〕様は忙しすぎるわね、と苦笑するしか無い。令夫人によれば、「あのバカ息子、寄宿学校時代がまだ続いているような気がするわ」という事であった。ロージーは少し考え、濃茶色の、これも実用的なワンピースを選んだ。更に思いついて、白いショールを取り出す。

あの監察官が街角で買って来てくれた、スプリング・エフェメラル柄のショールである。

居間を訪れると、既に令夫人がお茶をしていて、メイド数人と共に何かしら打ち合わせをしているところであった。メイドの一人が扉の傍に立っていたロージーに気付き、「ローズマリー様です」と令夫人に告げると、令夫人はパッと顔を輝かせた。「さあ来てちょうだい」とロージーに手招きする。

いつものお茶とは少し違う光景にロージーが不思議そうにしていると、令夫人が早速、説明を始めた。

「実はね、ちょっと前、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕からお手紙が来たのよ。王宮の女官長を通じてローズマリーが此処に滞在している事を知ったみたいで、そのうち、ご家族ともども、お茶訪問してよろしいですか、って」

ロージーは目を見開いた。令夫人の「彼女たちと親しいの?」という質問を受け、コクンとうなづく。

「王宮の最近の公務で、チームを組ませて頂いたご令嬢たちです。大変お世話になりまして」
「まあ何て素敵なご縁なの!令嬢サフィニアは、息子の友達のガイ〔仮名〕卿という方の婚約者なのよ。時々、息子がこっちに居る時に、ガイ〔仮名〕卿と遊びに来ていたお嬢さんだから、私も良く知ってるのよ」

ロージーは戸惑った笑みを浮かべた。貴族の人脈は、思いがけないところで繋がっているわ…と感心する他ない。

「まさかの時のために、茶会ドレスを用意していて良かったわ!ローズマリー、今からちょっと着替えてみてちょうだい!」

令夫人がウキウキとした様子で、思いがけない事を喋り出したものだから、ロージーはギョッとした。あれよあれよと言う間に、万事心得ているメイドたちがちょっとした仕切りを作り、既にドレスが掛かっているらしいトルソーと思しき、覆い布が掛かっている物体を運び込む。

洗濯に出されていたドレスやワンピースで既に採寸を取っていたとの事で、その手際の良さには唖然とさせられたのであった。

令夫人は、新作のドレスをまとい白緑色の髪を下ろしたロージーを、会心の笑みで眺めた。

「まあ、私の見立てに狂いは無かったわね。せっかくだから、今から練習を兼ねて、靴も換えなさい」

メイドたちも口々に賞賛を述べ、「それでは尋常にお茶をどうぞ」という事で、令夫人とロージーを残して、速やかに居間を退出して行った。濃茶色の地味なワンピースは既にメイドたちの手によって持ち去られてしまった。自室のクローゼットに収まるに違いない。一方、スプリング・エフェメラル柄の白いショールは華やかな柄という事もあり、「このドレスと合わせても違和感が無いわ」という事で手元に残された。

ロージーが着替えさせられた茶会ドレスは、上部がオフホワイトで、下方に向かって徐々に色が濃くなるように紫色のグラデーションがついていた。昼会用ドレスなので、胸元が大きく開くタイプの夜会用ドレス(ロージーは着用した事は無い)に比べると、遥かにシンプルで慎ましいデザインとなっている。

北部辺境のような田舎では、年に一度二度しかないような祭礼に着用する、晴れ着と言って良いレベルだ。

「済みません、落ち着きません」
「フフフ、制服と思えば良いわよ、ローズマリー。季節折々の茶会では普通だし、普段着だって、このくらいだから」

令夫人は、顔を赤らめて困惑の表情を浮かべるロージーを、明らかに楽しんでいた。

知識やマナー訓練という形としては、心得ている。だが、実際に自分で体験するとなると、また別だ。実際、王宮でも、令嬢サフィニアと令嬢アゼリア〔仮名〕は、このようなレベルの服を王宮内の普段着にしている。ロージーは、このような華やかなドレスで中庭を闊歩していたユーフィリネ大公女の事を思い出した。そして、ユーフィリネ大公女と連れ立っていた、あの人の姿も。

令夫人が、突然何かを思い出したように、目をパチパチさせた。

「そう言えば、ローズマリー。ちょっと思い出したことがあるの」
「何でしょう?」
「実はね、あなたが北部辺境に出発した後のことよ。数日後に、ジル〔仮名〕が珍しく帰宅したから――とは言え、腹立たしい事に、宰相から夜間当直という名前の謎の仕事を請け負っていたから、夕食を済ませたらすぐに王宮にとんぼ返り、なんて状況だったんだけど――ローズマリーのお父上の納骨があるんだから、婚約者として、ちょっとくらい立ち会ってやりなさいと説教してやったのよ」
「納骨」
「ええ、バカ息子も流石に反省したようで、すぐに飛んで行ったわ。でも、やっぱり、すれ違ってしまったのね」

令夫人はシンミリとした顔をして、お茶を飲み干した。その横顔を、薄暮の光が照らしている。

(――あの頃、ジル〔仮名〕様が共同墓地の近くにいらしてたの?)

ロージーがその事について考え始めていると、執事が居間に入って来た。いつもながら無駄のないスムーズな動きで、令夫人とロージーの前に素早くやって来たものだから、ロージーは、いつものようにポカンとした。

執事はロージーを見て、「よくお似合いで、お嬢さま」とソツの無い賛辞を述べた後、にこやかな顔で爆弾発言を投下した。

「侯爵夫人、ジル〔仮名〕様が馬車にて、ご帰宅になられました。もうじき玄関に到着する頃合いかと」

令夫人は、「まッ、あなたの速達が今頃、目に入ったのね」などと逆に呆れている。

――遂に、ジル〔仮名〕が来たのだ。

頭をガンと殴られたような気がする。気の遠くなるようなショックを感じて、ロージーは絶句した。

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