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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

青銅華炎の章・上古1

原住民の世界…といっては何ですが、華夏大陸における先史時代の…つまり青銅文明が到来する前の時代の、原住民が作り上げてきた文化を調べてみました。

この「原住民」というのは、微妙に縄文人も含んでいます。氷河期は大陸とつながっていた訳で、石器・土器時代というのは、その記憶がしっかりと受け継がれていた時代ではあります。南方には「スンダランド」という広大なエリアがあり、そちらの方が繁栄してました。多分。

氷河が溶け始めると、気温上昇はすさまじいもので、海面上昇が急速に進行。平野部では、場所によっては、100kmぐらい海岸線が入り込んだと言われています。縄文海進という現象でも知られていますが、華夏大陸の地形は明らかに変わってしまっただろうと推測されます。例えば上海などは、当時は広大な海の底でした。

華南に広がる沿海州、高温の大湿地帯…百越の祖の繁栄が、想像できるような。大陸の奥まで海が貫入し、豊穣な大森林が広がっていた時代。それが、上古の原住民が生きていた時代ではないでしょうか。(江北地帯まで象が進出していたようです。これは甲骨文字で確かめられています^^)

ともあれ、考古学で知られている、新石器時代以来の先史文化。出るわ出るわ…で困るくらい出てきました。古代華夏大陸の、文字通り「緑の沃野」ならではの豊穣がしのばれます。全部書き出すのも大変なので、とりあえず、地域ごとにめぼしい物をリストアップ。

  • 黄河中流域=仰韶文化、龍山文化~アワ・キビ農耕
  • 山東半島域=大ブン口(ブン=シ+文)、山東龍山文化~アワ・キビ農耕
  • 長江下流域=馬家浜文化・崧澤文化・三星村文化・良渚文化~河姆渡文化の系統
  • 長江中流域=彭頭山文化・大渓文化・屈家嶺文化・石塚河文化~イネ農耕
  • 四川盆地域=宝トン文化(トン=土+敦)・三星堆文化~古代巴蜀王国
  • 遼西部地域=興隆窪文化、紅山文化~アワ農耕
  • 遼東部地域=遼西部からアワ農耕が伝播

どうも、東アジア大陸の食用穀物の原種というのは、アワ・キビ・イネの系統が主だったようです。湿潤温暖な沖積平野の部族が発見し、そこから多少気象条件の外れた環境下にある周辺部族に広がってゆく…というプロセスが、よく想像できます。石器土器文化とは言え、石器技術はかなり高度なレベルまで行っていただろうし、漆製品なども出土していますので、形に残らないだけで、木器の種類は豊富にあった筈です…

…で、想像するに、神聖な祭祀に使われたのは、土器が多かったはず。
うーむ。ここは、寄り道として。

調べてみると、何トンもの収穫穀物を貯蔵する土蔵遺跡なども発掘されていて、学会に報告されているのが見つかりました。それに、複雑な細工をされた玉器…神と人の媒介として使われた神聖器具。

ここまでしっかりしたものが成立していたとすれば…これはもう、立派な文化圏であり、部族タイプ集落であります。部族連合の大集落もあったかも。という訳で、これらの多種文化圏を発達させた諸々の集落をまとめて、仮に〈上古諸州〉と、名づけてみました。

「青銅華炎の章・上古2」に続く。

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コメント

1. ほんと

よくお調べになりました。
これらの諸文化が各地にそれぞれ発展して秦漢統一以前の諸国の礎になったものでしょう。つまりプレ・シナ時代の諸子百家、百家争鳴、百花開放というシナ人が(ねじくれて)誇りとするその時代が皮肉にもあるいは当然至極にも、統一国家、中央集権、思想統一、文字度量衡の統一という皇帝権力体制によって圧殺されてしまったのでした。
しかしその話はまだまだ先のようですね。とりあえずは夏・商両国がなぜ中原に覇をとなえることになったか、が焦点になるのでしょうね。
美月さんのお仕事に期待しています。

2. 2009.2.21コメント御礼

アムゼルさま
コメントありがとうございます。

なにぶん文字が無い時代の事で、考古学的成果と、最新の地学的知見と、環境学的知見を組み合わせて、想像力で空白を埋めてゆく感じでした。

それにしても、現代の中国考古学は、すごく情報にあふれている…という印象でした(関係者いわく、今や情報過多の世界に足を踏み入れているそうです)。やっぱり、経済的に余裕が出てくると、発掘調査の資金も潤沢になるのかも知れません。なにげに複雑なところですが、経済発展の恩恵を素直にゲットです^^

上古2の回は、お察しのとおり、
「夏王朝」という伝説が、何故、「中原」という土地で、生まれたのか?
…という、上古最大のミステリーに焦点をあてております*^^*

「華夏」の秘密を解く旅は、長くなりそうです…