忍者ブログ

制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

華夏の時空を読む

《青銅文明の出現》

いわゆる中華文明、殷で有名な青銅文明の年代を調べてみると、前1600年~前1100年頃、という事です(二里頭文化の青銅器は前2000年までさかのぼる)。これは西アジア・オリエント地域に栄えた青銅の諸文明に比べると、いささか歴史が浅いのです。オリエントに栄えた青銅の諸文明の年代は、前3000年頃なのです。

…何故に、この時期に中原の青銅文明が登場?という疑問が、湧いて来ました。

あれだけ入墨装飾に凝った人々が、青銅の造形に凝らない筈は無く、青銅技術を昔から知っていたのなら、青銅文化も西アジアより早くから進んだ筈だ…という意見(ちなみに三星堆文化の方は、曖昧な直感ですが、はるかに原住民の血に近いものを感じました)

という訳で、立ててみた仮説。

中原の青銅文明、それは西アジア由来で、ある時期に、到来したものである。到来ルートは不明である。インド洋を航海しての南方ルートの方が早かったかも知れない。その場合は、「中原」は、「北部辺境」として考えなければならない。華夏における青銅文化の先進地帯の位置については不明という事で、いずれにせよ、「文明&民族&物品」一式で到来し、それに刺激されて、中原の文明が開花した…という可能性が濃い。

一方で、殷を構成した混成民族は、間違い無く華夏の原住民と同様に、文身習俗も、華夏の大地の神話も、受け継いでいた…華夏の原住民の血が色濃く混入した部族。

この食い違いは、華夏の大地の銅山開発にかかった数百年…が、生み出したものかも知れません。その間に、異なる系統の青銅文化を担っていた民族がパラパラと到来した、或いは、長江流域の原住民の間で様々な青銅文化が生まれて、黄河流域へ北上していった、という事も考えられます。

実際、長江流域のほうが、優秀な銅山が多いようです。調べてみると、古代の巨大銅山というのは、4エリア程度が稼動していたようです。甘肅省地区。中條山(よく分からなかったけど、河北省らしいです)地区。長江中下流域地区。川?(?=シ+眞)地区。

川?の部分の、?に相当する漢字は読めませんでした/目測だと、どうも貴州省か四川省か、その辺りらしいです。

※チベットのほうも、20世紀の資源調査か何かで、新たな銅山、金鉱床、そういったものが発見されて、チベット青蔵鉄道…資源運搬用の鉄道だという噂があるのですが、何とも複雑な気持ちになります。上古の長江でやった事を、チベットで繰り返しているのだろうか?という感じです。

中原エリアの青銅文明は、そもそもの初めから、資源奪取ウォーズの気配の濃い、獰猛な文明だったのかも知れません…そういう事を暗示する古代の伝説群も見つかっています。

PR