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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

異世界ファンタジー試作29

異世界ファンタジー8-2遅い夕食:婚約破棄の申し出

雪のちらつく夕方の頃に近づいた。

王宮から貸し出された荷馬車で、鍵付き台車に載せた大量の箱を運び、養老アパートに一旦、保管する。その日のうちにロージーは、邸宅から派遣された荷馬車に、身辺整理の際にまとめたトランクや小包を詰め込んで行った。

荷馬車スタッフと共に、表通りの停車場と養老アパートの一室との間を何度も往復し、「もう忘れ物は無いようだ」と確認をし合う。荷馬車スタッフたちは流石に、王宮からやって来た鍵付き台車の存在を、「何が入ってるんだい?」と面白がっていた。全ての引っ越し作業を終えたロージーは、養老アパートの管理人に引き払いの最後の挨拶をした後、荷馬車に乗り組んで一路、荘園の邸宅へと向かった。

本格的に降り始めた雪は、次第にみぞれになって行った。流石に冬のピークを越え、春が次第に近づいて来ているらしい。

「こいつぁ降りますぜ、お嬢。全くひでぇ天気の日に引っ越しする羽目になったもんですな」
「私の運の悪さに付き合わせてしまったみたいですね。ホント済みません」
「天気はコントロールできませんぜ、しゃあ無いですわ。わッしら特別手当が出ますわな、お嬢は気にせんでくらせぃ」

地方訛り丸出しである。ロージーは微笑ましく思い、そっと微笑んだ。自分も上京したばかりの頃は、北部辺境の地方訛り丸出しだったはずだ。先方の邸宅に派遣されてきていたマナーの先生が、時々変な顔をしていた事を思い出す。

無意識のうちにロージーは指輪をくるくる回そうとして、その後、「バカな事をしている」と気づき、苦笑を漏らした。美しいラベンダー色の手袋をはめた手を、膝の上でそっと組み合わせる。罪悪感を包み込むように――

やがて荷馬車は、みぞれの降りしきる宵闇の中、車灯をつけて、邸宅の門を通った。唖然とするほど広い庭園を辿る舗道をビシャビシャ、カタカタ、と揺られた後、正面扉の馬車回しに停車する。先ほどから執事と召使数人が扉の前でスタンバイしており、ロージーは荷馬車から降りると、丁重な送迎にお礼を述べた。

玄関ホールに荷物を運び込んでいると、美しい令夫人が輝くような笑みを浮かべながら、ホールの階段を降りて来た。「いらっしゃい、ローズマリー!」と言いながらハグして来る。

「何だかこの間から、ずいぶん痩せてしまったのでは無いかしら、ローズマリー?今日はまだ夕食を取っていないのでは無くて?甥と姪はもう夕食を済ませて眠ってしまったし、王宮で何やかやあって弟夫婦も出張っているものだから、ローズマリーだけになってしまって、済まないのだけど」

――いえ、こちらこそ、これから大変ショッキングな申し出をする事になるのに、済みません。

微妙な話題を振ろうとする時に、親戚の方がいらっしゃらないのは好都合。そうひとりごちながら、ロージーは邸内に割り当てられた自室で夕食向けの衣装を整えると、荘園邸宅の豪華な食堂に向かった。

*****

豪華な食堂の中ではあるが、少し遅い時間の夕食と言うだけあって、静かだった。煌々と明るいランプの群れに照らされた高い窓の外には、しきりにみぞれが降っている。

既に夕食を済ませていた令夫人は、お茶を飲みつつ、ロージーの夕食に同席してくれた。暫くは、ロージーの亡き父や祖母についての説明が続いた。次いで、最近の時事の話題に移った。

「ローズマリー、王宮で物騒な襲撃事件が発生したという噂を聞いたのだけど、ローズマリーは何とも無かったの?あなたが王宮で新しい公務を割り当てられたという知らせは来ていたけど、あなた、北部辺境から戻って以来こちらに来てなかったでしょう、近況が分からなくて、ヤキモチしていたのよ」

――これは、女官長が念を押していた部分だ。ロージーは困惑しつつ、微妙な笑みを浮かべるしかなかった。

「噂は色々入って来ていましたが、私が本当に耳にしたのは、近所の食料市場に買い物に行った時なんです。何か、捕り物劇があったみたいですね。大貴族を盟主とする一派閥が半分ほど総崩れになって、大政変に発展しそうだとか――」
「そう、そうなのよ!夫がその件にタッチしていてね。今すごく忙しいのは、そのせいなの。噂を聞いてみると時期がものすごく近いし、何か理由があってトップシークレット扱いになっているのね」

(私ったら知らないうちに、とんでもない事件の一端に巻き込まれていたのね)

熟練の給仕がやって来て、スムーズにメニューを進めて行く。ロージーはデザートの果物に取り掛かった。夕食が終わり、一区切りついたところで、令夫人が微笑みながら言葉を続けた。

「ところでローズマリー、ジル〔仮名〕と何か、サシで話し合いたいそうね。珍しくあなたの方から言ってくるなんて珍しいわと思ったけど、そうね、やっぱり顔を合わせなくちゃ、話にならないわよね。もう王宮に使者を入れてるから、そのうちジル〔仮名〕の方から都合を合わせてくれると思うわ」

ロージーは力を込めてうなづき、顔を引き締めた。「令夫人、実はその件についてですが――」

*****

結論から言えば、やはり大騒ぎになった。

――このたび、私ローズマリーは、ジル〔仮名〕卿との仮婚約を破棄したいと思っております。

令夫人は、一瞬どういう言葉を聞いたのか理解できないと言う風に、口に笑みを浮かべた形のまま、固まったのである。侯爵夫人が「そうなの…」と、気が抜けたようにカップを皿の上に優雅に置いたものだから、意外にスムーズに意思が伝わったらしいと、ロージーは首を傾げながらも、ホッとしたのだが。

食堂テーブルの脇に控えていた熟練の給仕が、ガシャンとトレイを落とした。絶対にしないはずの粗相だった。

そして、令夫人の目が、ゆっくりと点になった。優雅な驚き方だ…とロージーが感心したのは、さておき。

「え、えっと、私の耳がおかしくなったのかしら。ローズマリー、…もう一度、言ってくれる?」
「ジル〔仮名〕卿との仮婚約を破棄――」
「やめてぇぇぇー!」

令夫人は両手を両頬に当て、身も世もないという風に号泣し始めたのであった。

給仕は落下したトレイを拾おうとして、そのまま硬直した。何事があったのかと、執事が食堂に駆け込んできた。しかし、彼らにしてもマニュアルに無い光景を目撃して、次の行動をどうしようかと考える余り、パニックになってしまったようだっだ。

ロージーは戸惑いながらも席を立ち、令夫人の傍にひざまづいた。

「済みません、落ち着いてくださいませ。侯爵夫人」
「こ…これが落ち着いていられるのかしら!ローズマリーお願い、息子を見捨てないで!」

それは逆なのでは?と、ロージーは訝った。令夫人は滂沱たる涙を流しながら、ロージーの手を握り締めた。

「あ、あ、あのバカ息子が悪いのよ、ホントに!あ、あなたが、余りにも小さいから、お、大人になるまで待つなんてカッコ付けちゃって、それで、それで、こんなに長い間放っておいちゃうんだから、ホントに」
「いえ、それは違うんですわ、侯爵夫人。ジル〔k名〕様は、私には勿体ないお方だと思います」
「じ、じゃあ、何故?ローズマリー?」

ロージーは令夫人の状態を見ながら、ポツポツと説明を始めた。

――縁が無い私が、いつまでも婚約者気取りでジル〔仮名〕様を束縛し続けているのは、申し訳ない事だと思うのです。私は何処にでも居る普通の平民に過ぎませんが、ジル〔仮名〕様は竜王国の将来を背負って立つ高位貴族の一人です。現に、竜王国の重鎮たるギルフィル卿の優秀な右腕だという評判を、良く耳にしております――

ロージーは令夫人を落ち着かせることに集中していて気が付かなかったのだが、食堂テーブルの端では、執事が目を潤ませ、深々と一礼していたのであった。

「それに、もう一つ――私が悪いのですが、のっぴきならぬ理由が出来まして…」
「のっぴきならぬ理由?」
「この冬、いえ、秋にさかのぼるのですが、私は《運命の人》を見出してしまったのです。今この瞬間にも、私はジル〔仮名〕様を裏切っております…ですから、責任を取らせてください」

緊張のあまり、ロージーの最後の言葉は、ささやき声にしかならなかった。令夫人は、再び滂沱たる涙を流した。


8-2@時積む日々

ジル〔仮名〕の帰宅を待ちつつ、タイプライターで貴族名簿を作成し続ける、静かな日々が続いた。昼下がりになると、邸宅当主ギルフィル卿の親戚である幼い甥と姪――ギルフィル弟夫婦の子供たちに昼寝前の絵本を読んでやり、寝かし付ける。

滞在初日の夕食の後、令夫人は流石にショックで寝込んでしまった。しかし、ジル〔仮名〕とロージーが初対面の時以来、一度も顔を合わせていないという事実に思い至り、顔を合わせてみれば違ってくるのではないかと言う望みを思いついたようで、次の日の昼からは、いつもの元気を取り戻していた。

ロージーは、自分ではそれ程とは思っていなかったのであるが、存外に豊富な話題を溜め込んでいて、令夫人や非番の時のギルフィル弟夫婦の、良い話し相手となっていた。

特に、冬宮のスプリング・エフェメラル装飾はロージー自身が手掛けた事もあって、隅々まで了解していた。令夫人は社交界の最新流行の話題に、興味深く聞き入った。

「ローズマリーが、そんなに冬宮の室内装飾に詳しいなんてビックリだわ。よっほど、ウサギのように耳を長くしていたのね。この辺でも、冬宮の新しい装飾を手掛けたのはユーフィリネ公爵令嬢だともっぱらの評判なのよ。今度の社交パーティに出席したら、ユーフィリネ大公女に聞いてみようかと思ってたの」

そこへ、ギルフィル弟夫婦がサラッと口を突っ込む。

「ユーフィリネ大公女は、最近は社交界に一切出て来てないから、会うのは難しいですよ。それに此処だけの話ですが、見本市でオイタをしたという噂がありまして。あの老ヴィクトール大公の孫娘どのだけに、羽目を外していたようです」
「まあ、ユーフィリネ大公女が公費と私費の区別がついていないのは前々からの問題だったから、今更、そんなに驚かされる話題ではないわね。老ヴィクトール大公が、彼女を甘やかすのをもう少し控えれば、それなりに変わると思うんだけど」

ロージーは困ったように微笑む事しかできなかった。いつだったか、番狂わせが発生したために、冬宮の会場設営を担当したのは、かのユーフィリネ大公女だという噂が、荘園のあちこちにも広がっていたのだ。噂の伝搬力の凄まじさに、ロージーは改めて恐れ入ったのであった。

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