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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

詩歌鑑賞:ディキンスン1147,1450,1540,1605

(作品1147番)/エミリー・ディキンスン

百年を経た後は
誰もこの場所を知らない
そこに演じられた苦悶も
平和のように静か、

わがもの顔の雑草がひろがり
見知らぬ人々はさまよい来て
先にみまかった死者の
寂しい綴り文字を判読した。

夏野の風だけが
この道を思い出す――
記憶が落とした鍵を
「自然」の本能が拾い上げて。

(作品1450番)/エミリー・ディキンスン

道は月と星とで明るかった、
樹々は輝いて静かだった、
遠い光で、わたしはみとめた、
丘の上の一人の旅人――
魔術的な急斜面を
登って行くのを、地の上ながら、
彼のきらめいている究極は知られないが、
ただ彼は静かに光輝を確認していた。

(作品1540番)/エミリー・ディキンスン

悲しみのようにひそやかに
夏は過ぎ去った、
遂に、あまりにもひそやかで
裏切りとも思えないほどに、
もう夙(と)うに始まった黄昏のように
蒸留された静けさ、
またはみずから引きこもって
午後を過ごしている「自然」、
夕暮の訪れは早くなり、
朝の輝きはいつもと違う、
ねんごろで、しかも胸の痛むような優美さ、
立ち去ろうとする客人のように、
このようにして、翼も無く
船に乗る事も無く
私たちの夏は軽やかに逃れ去った、
美しきものの中に。

(作品1605番)/エミリー・ディキンスン

失われたひとりひとりもなお私たちと共にある―
新月は見えなくても空にとどまり
雲にとざされた夜
輝く月と同じに海の潮に呼び寄せられるもの
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詩歌鑑賞:ヘルダーリン「生の行路」「眺望」

生の行路(ドイツ詩人ヘルダーリン・作/手塚富雄・訳)

もっと偉大なことを求めておまえも昇ろうとした、しかし愛は
私たちすべてを引きもどす。悩みはもっとつよい力で私たちの軌道を下にたわめる。
だが私たちの生の虹が
ふたたび大地に戻るのは意味のないことではない。
昇るにせよ、下るにせよ、物言わぬ自然が
未来の日々を思念のうちに孕んでいる聖なる夜にも、
またはひびきの絶えた冥府にも、
愛のいぶきは吹きかよっているのではないか。
このことをわたしはようやく知った、この世の師たちとはちがって、
万物をたもつおんみら 天上の神々は
わたしの知るかぎり 心して
わたしをみちびいて平坦な道をいかせはしなかったのだ。
天上の神々はいう、人間はすべてのことを試みよ、
そして強い滋養をうけて すべてのことに感謝することを学べ、
そして知れ、自分の望むところを目指して
敢為に出発するおのが自由を と。

Die Aussicht / Friedrich Hölderlin

Wenn in die Ferne geht der Menschen wohnend Leben,
Wo in die Ferne sich erglänzt die Zeit der Reben,
Ist auch dabei des Sommers leer Gefilde,
Der Wald erscheint mit seinem dunklen Bilde.

Daß die Natur ergänzt das Bild der Zeiten,
Daß die verweilt, sie schnell vorübergleiten,
Ist aus Vollkommenheit, des Himmels Höhe glänzet
Den Menschen dann, wie Bäume Blüt umkränzet.

「眺望」

人の住む生の世界が遠ざかり
葡萄の時の輝きもはるかになれば
夏の野はうつろに拡がり
森は黒々とかたちをあらわしている。

自然が季節のかたちを補完し
とどまり そして過ぎ去るのは
完全性の故なのだ、天の高みはひとに
輝く 木を花が囲み咲くように。

『ヘルダーリン詩集』川村二郎・訳/岩波文庫

人間の住み慣れた生活が遠くへ去るとき、
葡萄の季節が遠くに輝く場所、
そこには夏の何もない広野がある、
森はその暗い姿で現れる。

自然が時の姿を補い、
自然が留まり、時が素早く通り過ぎて行くのは、
完全さに由来する、天の高みはその時
人間に向って輝く、木々の回りを花が飾るように。
(高木昌史・訳?)

詩歌鑑賞:西脇順三郎「旅人かへらず」

旅人かへらず/西脇順三郎

旅人かへらず/1節(冒頭節)

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃

旅人かへらず/10節

十二月の末頃
落葉の林にさまよふ
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出てゐる
これは都の人の知らないもの
枯木にからむつる草に
億万年の思ひが結ぶ
数知れぬ実がなつてゐる
人の生命より古い種子が埋もれてゐる
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい実の中に
うるみひそむ
かすかにふるへてゐる
このふるへてゐる詩が
本当の詩であるか
この実こそ詩であらう
王城にひばり鳴く物語も詩でない

旅人かへらず/30節

春には
うの花が咲き
秋には
とちの実の落ちる庭
池の流れに
小さい水車(みづぐるま)のまはる庭
何人も住まず
せきれいの住む
古木の梅は遂に咲かず
苔の深く落ちくぼみ
永劫のさびれにしめる

旅人かへらず/32節

落ちくぼむ岩
やるせなき思ひ
秋の日の明るさ

旅人かへらず/36節

はしばみの眼
露に濡れる頃
真の日のいたましき

旅人かへらず/39節

もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴

旅人かへらず/66節

野辺に出てみると
淋しい風が吹いてゐた
水車の音がするばかり

旅人かへらず/67節

こほろぎも鳴きやみ
悪霊をさそふ笛の
とりつかれた調(しらべ)
野を下り流れ行く

旅人かへらず/73節

河原の砂地に幾千といふ
名の知れぬ草の茎がのびてゐる
よしきりや雲雀の巣をかくして
その心の影

旅人かへらず/104節

八月の末にはもう
すすきの穂が山々に
銀髪をくしけづる
岩間から黄金にまがる
女郎花我が国土の道しるべ
故郷に旅人は急ぐ

旅人かへらず/105節

虫の鳴く声
平原にみなぎる
星もなく夜もなき
生命のつなぎに急ぐ
この短い永劫の秋に
岩片にひとり立ちて
このつきせぬ野辺を
聴く心の悲しき

旅人かへらず/112節

とき色の幻影
山のあざみに映る
永劫の流れ行く
透影(すきかげ)の淋しき
人のうつつ
この山影に
この土のふくらみに
ゆらぐ色

旅人かへらず/158節

旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壺をこはせば
永劫のかけらとなる
旅は流れ去る
手を出してくまんとすれば
泡となり夢となる
夢に濡れるこの笠の中に
秋の日のもれる

旅人かへらず/165節

心の根の互にからまる
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る

種は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭草の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまはる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る

無限の過去の或時に始まり
無限の未来の或時に終る
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
この小さい庭に
梅の古木 さるすべり
樫 山茶花 笹
年中訪れる鶯 ほほじろなどの
小鳥の追憶の伝統か
ここは昔広尾ヶ原
すすき真白く穂を出し
水車の隣りに茶屋があり
旅人のあんころ餅ころがす
この曼陀羅の里
若き水鳥の飛立つ
花を求めて実を求めず
だが花は実を求める
実のための花に過ぎぬ

旅人かへらず/167節

山から下り
渓流をわたり
村に近づいた頃
路の曲り角に
春かしら今頃
白つつじの大木に
花の満開
折り取ってみれば
こほつた雪であつた
これはうつつの夢
詩人の夢ではない
夢の中でも
季節が気にかかる
幻影の人の淋しき

旅人かへらず/168節(最終節)

永劫の根に触れ
心の鶉(うずら)の鳴く
野ばらの乱れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくづるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
曼陀羅の織物を拝み
枯れ枝の山のくづれを越え
水茎の長く映る渡しをわたり
草の実のさがる藪を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず