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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

2023.02.05ホームページ更新

2023.02.05付でホームページを更新しました。

サイト(トップページ)URL【http://mimoronoteikoku.tudura.com/

セクション「物語ノ本流」http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html
>第三部マレヒト(目次の内容がのびているため、少し下へスクロール必要)

第三部・第二章「鬼ノ城」(コミック形式48頁)を追加しました。

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■鬼ノ城(きのじょう)について

「日本100名城」のひとつ。大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされる古代山城。史書に記載が無く、築城年は不明であるが、発掘調査では7世紀後半に築かれたとされている。

後世の文献である「鬼ノ城縁起」に、一般に「温羅伝承」と呼ばれる説話が記載されており、ここに「鬼ノ城」の名前が出て来る。

「鬼ノ城縁起」

異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。

彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え、一帯を支配した一大勢力の首領となった。身丈は1丈4尺(約4.2メートル)。頭髪は燃えるように赤く、眼は虎狼のごとき鋭さ。しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた。

崇神天皇は四道将軍の一人、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと・後の吉備津彦命・きびつひこのみこと)を吉備に派遣した(※『古事記』に記載あり)。

五十狭芹彦命(後の吉備津彦命)は、温羅との激闘の末、温羅の首を刎ねた。その首は地中深く埋められたが、13年間、唸りつづけた。温羅の妻・阿曽媛(あぞめ)に神事を執り行わせることで、ようやく唸りが静まった。

(インターネット読み物)吉備路/温羅伝説
https://www.city.soja.okayama.jp/kanko_project/kanko/oninideau/oninideau_kibiji_02.html


■白川静botより…【みち(道・途・路)】
【み】は神聖のものにつけて用いる語。【ち】は【ちまた】【いづち】など道や方向をいう語。道は霊の行き通うところでもあり、またそこをうしはく「みちの神」があると考えられていた。

■最近、考えさせられた箴言:
Anyone can steer the ship when the sea is calm./Publilius Syrus
(海が穏やかなときは誰でも船を操縦できる/プブリリウス・シルス)

■歴史と神話に関する議論

N.ベルジャーエフ『歴史の意味』白水社(原著1925)

歴史は客観的経験的な所与ではない。
歴史は神話である。
神話は架空事ではなく実在である。
といっても、客観的経験的な実在とは別の秩序に属する実在である。
神話は、民族の記憶の中に保存された、過去に起こった出来事の報告であり、外的客観的な世界の限界を越えて、ひとつの理想的世界、主観=客観的な世界を開示する。
神話は、シェリングの見解にしたがえば、人類の根源史である。
神話は太古の世界だけのものではない。
さまざまな歴史の時期が神話創造の要素に富んでいる。
たとえばフランス革命の歴史がそうで、フランス革命の神話が創られ、それは歴史家たちによって実に長い間維持され、破壊されることがなかった。

■ギリシャ語の「運命」

Μοῖραι/モイライ/割り当て…複数形、運命の三女神(クロートー・ラケシス・アトロポス)
Τύχη/テュケー/幸運・偶然…単数形、ローマ神話のフォルトゥナに対応
Εἱμαρμένη/ヘイマルメネー/宿運・因…希臘哲学者ゼノン「ヘイマルメネーに従って一切は生ずる」

■運命とは偶然の内面化されたものである
遇うて空しく過ぐる勿れ―九鬼周造『偶然性の問題』

■仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、能く速やかに功徳の大宝海を満足せしむ
―天竺・天親菩薩『浄土論』

■フーコーの「統治性」gouvernementalité
mentalitéという言葉が含まれており、読んでいくとgouvernementalitéという言葉で「統治性(統治技術)」と「統治心性(統治理性)」という意味を含蓄させていることがわかる。

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2022.08.13ホームページ更新

2022.08.13付でホームページを更新しました。

サイト(トップページ)URL【http://mimoronoteikoku.tudura.com/

セクション「物語ノ本流」http://mimoronoteikoku.tudura.com/astrolabe/content.html
>第三部マレヒト(目次の内容がのびたため、少し下へスクロール必要)

「マレヒト」扉絵と、第三部・第一章「瀬戸内」(コミック形式50頁)を追加しました。


章タイトルとなっている「マレヒト」は、おおむね「彼方より"おとづれる"者」という意味合いで使っています。ほぼ折口信夫氏の説に沿っています。

おとづれ…「音」という文字の成り立ちについて、白川静氏が興味深い議論をしています。

白川静『常用字解』より

会意。言と一とを組み合わせた形。言は、神に誓い祈る祝詞を入れた器である口の上に、もし偽り欺くことがあれば入れ墨の刑罰を受けるという意味で、入れ墨用の針(辛)を立てている形で、神に誓って祈ることばをいう。この祈りに神が反応するときは、夜中の静かなときに口の中にかすかな音を立てる。その音のひびきは、口の中に横線の一をかいて示され、音の字となる。それで音は「おと」の意味となる。音とは神の「音ない(訪れ)」であり、音によって示される神意、神のお告げである

横棒の「一」をもって、来訪する神、または神の意を伝え来る存在、を表示するのが興味深いところです。この「一」を「ひとつ」とみて「ひとつもの」と解釈することも可能か…と思われます。

「ひとつもの神事」というのが日本にあります。特に奇祭とされることが多く、由来の良く分からない神事でもあります。

ヒトツモノは社寺の祭礼・法会などで行われる神事・行事の一つ。稚児などの扮装した人あるいは人形がヒトツモノと呼ばれ、神幸行列などに加わるものと、何らかの儀式を行うものがある。一般的には一つ物、一ツ物などと表記されており、文献史料では一物、一者とも表記されていた。芸や所作があるわけではないため、いわゆる芸能的な要素は少ない。日本民俗学において依坐やその名残であるという説が定着しているが、元々は風流であるとの説もある。

仮説ではありますが…「一ツ物」は目に見えない神様の姿を具現化したものと解釈できます。ヒトツモノ神事における「ヒトツモノ(一)」=「マレヒト(来訪神)」と考えられる。

「マレヒト」…折口信夫氏>彼方からの来訪神、それに類する者
神の来訪>おとづれ>音
白川静氏>「音」は「言」の「口」部分に「一」が入る形…「一」を「ヒトツモノ」と解釈可

「一ツ物」=「依代」が無意識に発する言葉を神の意志として受け取る…というやり方で「おとづれ」を認識するというのが、はるかな古代には、あったのではないかと思われます。その「おとづれ」は、闇夜の神事でもあったと想像できるのです。現在でも、幾つかの重要な神事は、夜間に進行することが知られています。

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白川静氏による、音に関する言及・おまけ

>音には、一種の音感というものがある。その音感が次第に固定して語型をもち、言葉になって分化してゆく。本来的にある一つの系列音というものがあって、そこからことばが系列的に分化してゆく。漢字の場合、文字がたくさんに分化してゆくのは、一般的な音表記というものがないためです。

2022.08.07ホームページ更新

思うところあって、ホームページ版『深森の帝國』の内容を大幅に整理し、それに応じて、各ページ構成も大きく切り替えました。

サイトURL【http://mimoronoteikoku.tudura.com/

☆思索&雑考エッセイや、読書ノート資料のページを大幅に断捨離

☆元々は制作中の創作マンガを一括して掲載するために作成していたので、これを中心として、まとめ直し(特にライフワークとなっている、長編オリジナル和風ファンタジー漫画)。ページが増えて来て、これだけでも相応のボリュームとなり、独立した創作サイトの内容としては不自然では無さそう

☆折々のイラストのコーナーを独立化

☆「小説家になろう」サイト掲載作品のバックアップを兼ねて、過去に公開済みの小説作品コーナーを増設

他にもチマチマと変えている箇所がありますが、大きな変化としては、以上となります。

初期サイト公開の頃とは異なり、ネット環境も高速化・大容量化しました。マンガ・イラスト系の創作サイトでありますし、イラスト点数は増やしたいところ…(時間上の制約は大きいので、どれくらい出来るかは未知数。適宜、折を見てページ増設の予定)

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聞き取り【桑畑/桑林】【養蚕】

1950年~1960年の頃
空襲の標的から外れていた田舎、関東圏の山林農業エリア
WW2戦後だけど牧歌的雰囲気

自家養蚕のため、田畑の一角に桑林…樹勢が強くて、常時モッサモサ
屋根裏が大きくて広い養蚕室になっていた
蚕が葉をバリバリ食べる音、部屋じゅうに…
春夏秋が養蚕シーズン、シーズン中、年に5回~6回くらい繭を収穫
繭の近くで、孵化したての毛蚕が食事スタートしてる状態
子供は朝食前または登校前に桑畑へ出て、桑の葉を採集して養蚕室へ運ぶ
枝の整理の必要が出た時はノコギリで枝を落として、枝ごと蚕に与える※枝だけ残るので効率が良い
繭の収穫期(年5回~6回)定期的に繭を集める人が来て、目方で測り、買い取り、どこかへ…※富岡製糸の方かも
冬季、桑の木を順番に回り剪定、樹高を低く保つ
切り枝は、囲炉裏かまど風呂の燃料の足しに※電気ガス水道は無い
風が強い日は風呂を沸かさない使えない…火事の方が恐怖

余禄:聞き取りの補足
蚕の身体が大きくなり、桑の葉を食べなくなるタイミング(繭を作る段階になった時)
「あがり(動名詞)」「あがる(動詞)」と言った