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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

読書ノート『正法眼蔵』現成公案

《正法眼蔵/現成公案》・・・《現(うつつ)を成す、あまねき理(ことわり)》

諸法の佛法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり。萬法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸佛なく衆生なく、生なく滅なし。佛道もとより豐儉より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生佛あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。

《私的解釈》
大いなるものの中に、迷いと悟りがあり、生と死があり、光と闇がある。大いなるもの無ければ、迷いと悟りは無く、光と闇は無く、生成と消滅は無い。大いなるものは、この世の貧富を超越するところにあるが故に、大いなるものの中で生成消滅があり、迷いと悟りがあり、生ける神があるのだ。しかも、世界はこのようにあるとは言っても、花は惜しまれながら散り、草は嫌われながら生える、ただそれだけの事である。

自己をはこびて萬法を修證するを迷とす、萬法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは諸佛なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。諸佛のまさしく諸佛なるときは、自己は諸佛なりと覺知することをもちゐず。しかあれども證佛なり、佛を證しもてゆく。

《私的解釈》
自我に囚われたまま世界の相を知る事は迷いである。世界の相を学び自我を見極める事は悟りである。迷妄を克服するのは開けた意識である。克服せずに迷い続けるのは閉じられた意識である。さらに悟りの上に悟りを重ねる者があれば、迷いに迷い続ける者もある。世界の相に真に同化した時、自我は、世界の相と自己の相とを区別することはできない。そのようにあっても大いなるものはあるのであり、(我々は)大いなるものを悟ってゆくものなのである。

身心を擧して色を見取し、身心を擧して聲を聽取するに、したしく會取すれども、かがみに影をやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは一方はくらし。

《私的解釈》
・・・(中略)・・・。(自我というのは)一方の現象に注目する余りに、もう一方の現象が見えなくなるものだ(木を見て森を見ず、森を見て木を見ず)。

佛道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に證せらるるなり。萬法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の邊際を離却せり。法すでにおのれに正傳するとき、すみやかに本分人なり。

《私的解釈》
・・・(中略)・・・。大いなるものに同化するという事は、この小さき自我に属する主観と客観とが、共に抜き去られてゆくという事だ。大自然は沈黙(寂静)にあり、沈黙(寂静)なる大自然はじわじわと浸透してゆくものなのだ。人が初めて真理を求める時は、真理の周辺から遠く離れてしまっている。真理は既におのれの内にありと悟る時、人は真実の者となる。

人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に歸すれば、萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。

《私的解釈》
・・・(中略)・・・。舟の進行を知る時と同じように、心身乱れた状態で大自然と臨めば、自我は永遠不変なりと誤る。坐禅(心身不動の状態)で大自然と臨めば、大自然は(そのような永遠不変と見られる)自我では無いという道理は、明らかである。

たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際斷せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。かのたき木、はひとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり。このゆゑに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる佛轉なり。このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

《私的解釈》
(大意)=大自然は諸行無常である。万物流転である。生の相があり、死の相があり、永遠に変わらないものなど無い。時代は後戻りすることは無い。日々新たに変容してゆくのである。

人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを罜礙せざること、滴露の天月を罜礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿點し、天月の廣狹を辨取すべし。

《私的解釈》
(大意)=大いなる大自然は、小さき自己に反映する。この真理は完全に完璧であり、疑う箇所は無い。悟りの深い事は悟りの高い事と同等である。その悟りのタイミングの良し悪しについては、大いなる現象と小さき現象との兼ね合いをよくよく熟考し、判断するべきである。

身心に法いまだ參飽せざるには、法すでにたれりとおぼゆ。法もし身心に充足すれば、ひとかたはたらずとおぼゆるなり。たとへば、船にのりて山なき海中にいでて四方をみるに、ただまろにのみみゆ、さらにことなる相みゆることなし。しかあれど、この大海、まろなるにあらず、方なるにあらず、のこれる海徳つくすべからざるなり。宮殿のごとし、瓔珞のごとし。ただわがまなこのおよぶところ、しばらくまろにみゆるのみなり。かれがごとく、萬法またしかあり。塵中格外、おほく樣子を帶せりといへども、參學眼力のおよぶばかりを見取會取するなり。萬法の家風をきかんには、方圓とみゆるほかに、のこりの海徳山徳おほくきはまりなく、よもの世界あることをしるべし。かたはらのみかくのごとくあるにあらず、直下も一滴もしかあるとしるべし。

《私的解釈》
(大意)=悟りの不十分な時、悟りは十分であると早とちりするものである。十分な悟りを得ると、まだまだ悟りの不十分な事が分かってくる(=知れば知るほど、分からない事が出てくるものである)。大自然は無限にあり、多種多様な世界がある事を知るべきである。身の回りの事象は、見たままの浅きものでは無く、直下にも一滴にも、深いものがあると知るべきである。

うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。只用大のときは使大なり。要小のときは使小なり。かくのごとくして、頭頭に邊際をつくさずといふ事なく、處處に踏翻せずといふことなしといへども、鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す。以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし。以鳥爲命あり、以魚爲命あり。以命爲鳥なるべし、以命爲魚なるべし。このほかさらに進歩あるべし。修證あり、その壽者命者あること、かくのごとし。

《私的解釈》
(大意)=人は、人の世界から離れて生きてゆく事は出来ない。ただ生命の能力として、大小の(雑多な)環境に適応してゆくのみである。さらに(我々、命ある者は、悟りにおいて)進化変容してゆくべきなのである。大いなる道があり、その大自然から授かった寿命は、その道のためにある。

しかあるを、水をきはめ、そらをきはめてのち、水そらをゆかんと擬する鳥魚あらんは、水にもそらにもみちをうべからず、ところをうべからず。このところをうれば、この行李したがひて現成公案す。このみちをうれば、この行李したがひて現成公案なり。このみち、このところ、大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず、さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらざるがゆゑにかくのごとくあるなり。

《私的解釈》
(大意)=与えられた命の中で道を尽くし、疑念のままに道をはみ出してゆく(目的の為に手段を選ばず、手段の為に目的を忘れる)者は、悟りの境地を得る事は無い。この箇所を得心すれば、ありのままの日常の中に、世界が現成するのである。大小の差を超越し、主観と客観を超越し、過去と未来を超越するところに、「今この瞬間(一期一会)」の現実が生起するのだ。

しかあるがごとく、人もし佛道を修證するに、得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり。これにところあり、みち通達せるによりて、しらるるきはのしるからざるは、このしることの、佛法の究盡と同生し、同參するゆゑにしかあるなり。得處かならず自己の知見となりて、慮知にしられんずるとならふことなかれ。證究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。

《私的解釈》
このように、人が大いなる道を証しようとすれば、一つの法、一つの道、一つの遭遇、一つの理解を歩むことになる。この境地に至る道によくよく通暁すれば、世界の未知の領域においても、同じように大いなる道がある事が察せられるのだ。ここで得たものは己の理解となり、知識としては知らなくても、自然に発揮する(自然に振舞える)ものである。世界がすみやかに現成するとは言っても、その世界は必ずしも目の前に、分かりやすくありありと現われるものでは無い。その本質に透徹する事が必要なのである。

麻浴山寶徹禪師、あふぎをつかふちなみに、きたりてとふ、風性常住無處不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。
師いはく、なんぢただ風性常住をしれりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理をしらずと。
僧いはく、いかならんかこれ無處不周底の道理。
ときに、師、あふぎをつかふのみなり。
僧、禮拜す。

《私的解釈》
禅師が扇を使っているところに、僧が来て問うた。「風の性は、常に此処にあって動かないものです。何故に殊更に扇を使うのでしょう」/師曰く「君は“風性常住”を知っているけど、“所として至らずという事の無き(無處不周)”という道理をまだ知らないね」/僧曰く「無處不周底の道理とは、どういう事でしょう?」/師はただ扇を使っていた(風が融通無碍に此処にある事を示すために、風を起こしていた)。/僧は礼拝した(=得心した)。

佛法の證驗、正傳の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりもかぜをきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆゑに、佛家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を參熟せり。

正法眼藏見成公案第一

これは天福元年中秋のころ、かきて鎭西の俗弟子楊光秀にあたふ。

建長壬子拾勒

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読書ノート『月瀬幻影』

◆大室幹雄・著『月瀬幻影(げつらいげんえい)』中央公論新社2002

〝風景のナンバリングまたは政治学(227p-232p)〟より、興味深い議論を記録…

・・・(前略)ナンバリングの発想は漢土の古代、中国文明の歴史のうえで、思想が、従って言説が、相対的にもっとも自由で、それなりに多様な可能性の萌芽がきざしていた戦国時代(前403-前222)に確立された。筆記の用具が未発達で貴重品だったこの時代に、書物のコピーはきわめて少なかったから、学問をすること、読書することはまず第一に暗誦し記憶することだった。記憶すべき対象を整理し限定して数にまとめる、これはたいていの人が経験で知っている暗記術の初歩である。つぎに中国語は単音節言語、明るく開きっぱなしの一個の音節が一個の意味を有する言語で、動詞をはじめ形容詞、名詞に人称・時制・格などによる屈折変化がないし、語そのものにそれ自体としては品詞の区別がない。それで一音節からなる一語は、他の一語(一音節)と容易に結合して、意味が限定された。逆に拡張された複数音節(通常は四音節どまりが好まれる)からなる新しい一語がつくられる。・・・(中略:瀟相八景のひとつ「平沙落雁」について、音節結合の例を挙げている)・・・
これらの要因に加えて、ひとくちに諸子百家と呼ばれる多様な学派と思想のうち法家の韓非が現われて、その明快な言説においてナンバリングの長所を最大限に活用した。・・・(中略)・・・
韓非の活発で犀利な言説は、かかる絶対的専制の理想を実現するにあたって、それを阻害する困難がいかに多く存在するかを抉剔(けってき)することに向けられた。・・・(中略)・・・シニカルな心理主義によって、絶対的専制の実現を妨げる障害をあばきだすリアリズムは、放胆かつ躍動的であり、飾りも媚びもなしに覚書のようにそっけなく書きつけられた言説はほぼ数学的な明晰にちかい。その覚書に類いする散文に多用されているのがほかならぬナンバリングのレトリックなのだった。・・・(中略)・・・
(と過去形で書いたけれど、ナンバリングによる思考と言表が政治的言語として活用されたのが韓非の時代特有の現象ではなく、現存中華人民共和国において最大限に使用された(ている)ことは、毛沢東と彼の共産党によって、二十世紀半ばに敢行された二回の革命において、たとえば、今日ともなればすでに骨董的な「三大規律」「八項注意」以下「黒五類」のたぐいにいたるまで、ひんぱんに夥しく発動されて、何がどうやら永久にわからないままの老百姓(ラオパイシン)たちを熱烈歓迎、感涙、熱狂、恐怖、怨嗟、失望、冷却に駆りたてつづけた政治的口号(スローガン)の堆積によって記憶に新しい(?)であろう)

(感想1)・・・この辺りの中国語の事情は、全然知らない事ばかりだったので、非常に参考になりました。言語が政治体制を創出する現場に立ち会った…ような思いがします。

政治と記憶術には非常に密接な関係があって、そこにナンバリングと言う手法が導入されると、それまでバラバラの無秩序な相だったものが、極めて序列化パワーの強い数字と連結することによって、人間が集ったその無限定の場に、一気に社会秩序(政治制度)の相(それがたとえ世界の非常に微小な部分だったにせよ)を現出するという図式が浮かび上がってきました。

(そして、当時の政治は祭政一致スタイルで、儀式順序の記憶は、極めて重要だった筈…)

※身近なナンバリング…「春の七草」「秋の七草」という形で記憶する方法がありました…^^;

中国語が単音節語だというのが、ナンバリングを使った言論が極めて効果的に働いてしまった要因では無いかと思いました(大室氏による細かな議論の部分があって、ちょっと分かりにくかったけど、ほぼうなづけるように思いました。当方から何か付け加える事があるとすれば、「数字の魔術」でしょうか:タロットからの曖昧な感じで恐縮ですが、数字そのものに象徴性や寓意性を見ると言うオカルト的な心理も作用したかも知れない、というようなものであります。たとえば「八は吉祥の数字」とか…)。

このようにナンバリングの思考と言説は、権力もしくは権力への期待による支配と管理と抑制の政治的論理である。世界の無限性、環-世界(ウム-ヴェルト)の多彩な魅惑、社会の猥雑な多様性はこの論理にとって本質的な敵である。この論理にあっては、未知なもの、不可知なものはすべて嫌悪され排除されなければならない。それらは人を無限の可能性の原野へ誘い出すけれど、その原野へ迷いこんだばあいの人間の浮動と社会の流動を、この論理は嫌悪して否定する。無機的なまでに冷厳な秩序と安定へ人間と社会のありようを固着させることがこの論理の第一原理だからである。・・・(中略)・・・その限界はこのうえもなくせまい。しかしそれが極まれば、一種シニカルな明快と軽捷を思考と言説の双方に(さらには行動まで)わたって発揮しないではいない。それは単純なものに固有の属性である。そしてそれが前記のような中国語の特徴に従って放恣に濫用されるとき、未知なものの排除のあとに残された極く少数なものの真らしさの信憑性を高めないではいないから、反復して口号されるナンバリングの言説は、人びとの思考と感受を対照的世界の全事象、のみならず世界全体が彼らの理解のうちに明らかになったという確固不動の心理-精神的な安定をこしらえあげることに成功する。

(感想2)・・・ナンバリングのキモとは、実に「数字を制するものは世界を制する」という呪術的な考え方なのだなあとシミジミです(この辺りは、二進数の数字を使って世界の相を判別すると言うスタイルを取った『易』の普及で、増幅・強化されてしまった部分があるかも知れない…)。

自分ないし他人が生み出した言語=思考に呪縛されるというのは、何とも言えないですが…(ニガワライ)

それでも、人間心理というもの、完全に言語化(意味分節/幻想)できないような完全なリアルの混沌の相には、耐えられないのかも知れません(何処かの詩人が、「嘔吐」と表現していたような…)。人間は秩序の中に生きる生き物であります。一番身近な秩序が、どのような未開の社会にもある「親/子/孫」という秩序…

問題は、目の前の身近な風景を見る時、景勝を見る時、世界を見る時、宇宙を見る時――その認識において、人間の頭脳は、如何に多様な秩序の相(認識の相、あるいは幻想)を編み出しうるのか?という未知の可能性の方だと思いました。

中国的な言語結合の思考(ないし漢詩的文脈)やナンバリング思考による秩序の認識は、風景批評を可能にするような完成された世界観を構成するひとつの回答ですが、それだけが唯一絶対の正しい答えという訳ではなく、おそらく、我々がまだ知らない秩序パターンのあり方――認識のあり方――が、宇宙には無限にあるのだろうと想像しています。

東洋の認識スタイルでもなく、西洋の認識スタイルでもないもの…それを日本古来の伝統文化が生み出せるのかどうか…となると、「ちょっと心もとないかなあ」と言う部分もありますが…(でもそれなりに、期待してみたりする…)

…と、キマジメに考えてみたのであります…(余り大した内容じゃ無いですが・汗);^^ゞ

最後になりましたが、毎度コメントありがとうございますm(_ _)m<読書のヒントになりました

コメント・メモより⇒
〝『月瀬幻影』ですが、わたしが以前アマゾンの書評に書いた以下の部分が核心だろうと今でも考えています。<シノワズリ(シナ趣味)の江戸人たちの風景の見方、つまり自然をそのままに見るのではなく、社会的秩序に従って見ること。ここでは彼らの頭を満たす漢文の世界観、審美観によって風景を見出すこと、それはほとんど幻想であること。本書のポイントが、もうすでに書名に見事に表徴されている。>、と♪〟

《おまけ》・・・311pの〝ムラ-ゲマインデ概説〟に添付されていた図版は面白かったです^^

古代(5-6世紀ごろ)の地方豪族の居館の図、中世の土豪領主の居館の図、近世17世紀ごろの豪農屋敷の図、歴史も建築技術も、ゆうに千年の差がありますが、構造的・機能的な部分がまるで変わって無いので、笑ってしまいました。

自分の田舎にある、元・網元(水郷エリア)のお屋敷や、元・名主(水田エリア、今は収入が大きい芝生の栽培がメイン)のお屋敷も、建築こそ20世紀バージョンに近代化されてますが(=厩が屋根つきの駐車場になったりとか)、まさにそんな感じ…

「宗家」とかもあって、昔々は、分家の方では宗家から来たお嫁さんに頭が上がらなかったとか、そういうエピソードを聞いたことがあります。田植えの時期は、身元不明の「フーテンの寅さん」みたいな不思議な人も厩とかに泊めてあげて、屋根や食事を提供する代わりに、田植えを手伝ってもらっていたとか…、ただ、いつ頃の話かは分かりませんでした。江戸時代という感じはありましたが、江戸時代と戦前時代と滑らかに連結している状態なので、余り区別が付かないのです。

自分が子供だった頃も、「元・網元」とか「元・名主」とかいう家は、割と地域に影響力を及ぼしている部分があったみたいで、「網元ってとっても偉いんだからね、気をつけてね」なんて注意されたことがありました…^^;

そういう田舎事情を思い出してみると、鳩山前首相が「皇族の血筋をひいている高貴な家の出」というのは、北海道の方でも、何故か当選確率が高いとかいう風に、政治的な影響力などが極めて大きくなっている理由のひとつと考えられるのかも知れません…

でも最近は、第一次産業中心の共同体構造が崩れてきた影響か、田舎の雰囲気も変化しているようです(さすがに、時期的なものとしては、3.11東日本大震災の被害を受けた影響もあるかも知れないです。部分的にせよ集落人口がいっぺんに削られると言うのは、けっこう深刻なものがあります…)。

twitter覚書:白川静

twitter-白川静botより

歴史は道の支配者の出現とともにはじまる。それは近世の歴史が大航海の時代とともにはじまるのと、よく似た事情を示している。そして今では、あの蒼々たる天空に、不気味な軌道を描く多くの浮遊物によってわれわれの地球はとりかこまれており、その軌道の制御者に全人類の生殺与奪の権が握られている。

【邑】が武装すると【或(くに)】となる。聚落を示す口を戈で戍(まも)る意であり、また地を「域(かぎ)る」ことをいう。のちさらに外郭を加えて【國】となった。

【道】を歩することは、神と接し、神と合体することであった。【道】は歩むべきところであり、通過するところではない。

【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。人はその保護霊によって守られる一定の生活圏をもつ。その生活圏を外に開くことは、ときには死の危機を招くことをも意味する。道は識られざる霊的な世界、自然をも含むその世界への、人間の挑戦によって開かれるのである。

識られざる神霊の支配する世界に入るためには、最も強力な呪的力能によって、身を守ることが必要であった。そのためには、虜囚の首を携えて行くのである。【道】とは、その俘馘の呪能によって導かれ、うち開かれるところの血路である。すなわち【道】は、その初義において先導を意味する字であった。

【道】が外への接触を求める人間の志向によって開かれるものとすれば、それは他から与えられるものではない。その閉ざされた世界から脱出するために、みずからうち開くべきものである。【道】をすでに在るものと考えるのは、のちの時代の人の感覚にすぎない。

【道】はもと神の通路であった。その【道】が王の支配に帰したとき、神の世界は終わった。王がそのような支配を成就しえた根拠は、神に代わるべき【徳】をもつとされたからである。しかし【徳】は人によって実現されるものである。神の【道】と人の【徳】とは、本来はその次元を異にするものであった。

古い社会はどの地域でも、神の道が失われるとともに、その秩序は仮借するところなく破壊されてゆく。純粋な共同体の固有の生活は、あらたな道の支配者の出現によって崩壊するのである。

道化の古い起源は、おそらく悪霊的なものであったであろう。すなわちデモーニッシュなものに起原して、次第にそのブラックの面を消去したところに道化が生まれる。

【うらなふ】「うら」は草木の小枝や穂など、末梢の部分をいう。また「うれ」ともいう。松村武雄説に、植物のはな・ほ・うらに神意があらわされるとするわが国の古俗があり[神功紀]「幡荻穂に出し吾や」と神が自ら名のるように、うらすすきにも神意が示されたのだという。

【風】は鳥形の神と考えられており、四方の方神のもとにそれぞれその風神がおり、固有の神名があった。それは神の使者として、その風土を支配し、風気を定め、風俗を左右した。目に見えぬこの神は、風雲を起こし、草葉におとずれて神のささやきを伝えるものとされていたのである。

【气】はすべて精気の発するものであるから、その精気を養うものとして穀物・食物を【氣】という。国語の【け】は「夕占(ゆふけ)」のように、もと内なるものが外にあらわれることであり、また【食(け)】のように精気の根源を意味する。【気】と極めて語義の近いものである。

【わざはひ(禍・難・災・祥)】 神意として深く隠されているものが、そのしるしとしてあらわれるものを【わざ】といい、【わざはひ】という。【はひ】は【幸(さき)はひ】【賑はひ】と同じく、その作用として機能することをいう。

【樂】手に持ってうち振る鈴の形。楽に音楽の意と悦楽の意があり、古い時代にシャーマンがこれを振って病を治療した。その快適の状を和楽の意に用いて、金文にも[王孫遺者鐘]「用て嘉賓父兄を楽しません」のようにいう。もとは神を楽しませ、神が楽しむことをいう字であった。

【巫】は鬼神を対象として舞楽を主とし【祝】は祖霊を対象として祈告を主とする。【巫】は自然神を祀り、みずからも神巫として神格化されるが【祝】は祖霊につかえて部族の宗教的権威を代表し、聖職者となるという方向性をもつ。

【巫】と【舞】【儛】とは同音。舞の初形は【無】で、請雨の舞を示す字であった。のち両足の舛の形をそえて、舞・儛となる。わが国の「かむなぎ」も、もと舞容を以て神を和げるものであったことは、「天の磐屋」における神楽舞の故事によって知ることができる。

【尸】祭祀のときの尸主を【尸】という。いわゆる「かたしろ」で、死者に代わって神位に坐するもの。[礼記、郊特性]に「尸は神像なり」とみえ、祖の霊位には【孫】がこれに代わった。[儀礼、郊特牲礼、注]に「尸は祭らるるものの孫なり。祖の尸は則ち主人の宗子なり」という。

祝詞を示す言が廟門におかれていて、暗い闇のときに神意がはたらいて自鳴する。それが【音なひ】であり、神の【訪れ】であった。その神意をはかり解することを【憶測】という。過去の経験を通して、そこから未来を解釈しようとする。ゆえに【憶】には【記憶】と、また【憶測】の意とがある。

言語はわれわれにとって所与的なものである。われわれは生れると同時に、われわれを待ち受けている既存の言語体系の中に包まれてしまう。われわれはその与えられた言語体系の中で生長し、これを通して思惟し、また自らの思想を形成してゆくのである。

音には、一種の音感というものがある。その音感が次第に固定して語型をもち、言葉になって分化してゆく。本来的にある一つの系列音というものがあって、そこからことばが系列的に分化してゆく。漢字の場合、文字がたくさんに分化してゆくのは、一般的な音表記というものがないためです。

文字の体系はすでにその創出の時代に存しており、新しい字が加えられるとしても、それはその既存の体系のなかで、文字構造の原理に従って作られたもので、その体系を超えることはできないのである。

たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。

神話の体系は、異質的なものとの接触によって豊かなものとなり、その展開が促される。それには摂受による統一もあり、拒否による闘争もあるが、要するに単一の体験のみでは、十分な体系化は困難なようである。そのため孤立的な生活圏は、神話にとってしばしば不毛に終る。

神話の創造にロゴスとパトスの内的統一が必要であるように、伝統の形成にもそれが必要である。中国においては、そのロゴス的な面は、王朝の交替をこえた天下的世界感の中での古聖王の説話、すなわち[書]のような聖典として、またそのパトス的なものは、巫祝者の伝統として、のちの楚辞文学を生む。

ユーカラやオモロが近代にまで生きつづけたような意味で、わが国の神話はその神話的生命を生きつづけたであろうか。神話はその原生の地盤において、なお民俗的なものとして存するとしても、ひとたび神話として体系的に組織されたものは、その体系性ゆえにかえって生命を失ったのではないか。

歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。