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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

尖閣関連:外出ノ覚書

週末の外出で、知人と一緒に沖縄に行っておりました(沖縄エリアは初です)。後半日程は、爆弾低気圧とお付き合い。その低気圧が東へ移動したので、関東地方(祝日・成人の日)は雪になったという訳で…日程が1日遅くなっていたら、それもまた大変だったかも知れません…^^;

※沖縄訪問と同時のタイミングで、沖縄の仲井真弘多知事が急性胆嚢炎で緊急入院されたというニュースには驚きました(汗)。「いろいろと訳あり」の方のようですが、手術が成功されたようで、良かったと思います

参考記事=【知事の手術成功-胆石を摘出】(沖縄タイムス2013.1.12)
急性胆のう炎のため入院中の仲井真弘多知事は11日夜、胆石の摘出手術を受けた。県によると、手術は成功し、術後の経過も順調という。上原良幸副知事は12日午前、県庁で山本一太沖縄担当相と会談した際、知事が手術を受けたことを報告した。会談後、山本氏は記者団に「知事に会えなかったのは残念だったが、順調に回復しているということで安堵している。十分静養し、一日も早く回復してほしい」と述べた

閑話休題

往路、那覇空港から石垣空港に飛びました。写真は那覇空港(往路時撮影)と石垣空港(帰路時撮影)です。那覇空港と一緒に写っている飛行機の青いペイント絵は、ジンベエザメなのです!

石垣空港は「いかにも辺境の空港」という雰囲気の小さな空港。空港ビルも、東京にあるような最新設備を備えた巨大ビルでは無く、「田舎のレトロな列車ターミナル駅を飛行機用に拡張整備してみた」という感じの建物です

石垣空港の滑走路は1本。離陸も着陸もこの1本の滑走路を使っていました。石垣空港で発着できるのは、小型旅客機(急ブレーキ必須)まで

《参考》当方で乗った飛行機とは別ですが、石垣空港と飛行機のYoutube動画あり
(石垣空港からの離陸)⇒http://www.youtube.com/watch?v=_m0lTtWa0iI
(石垣空港への着陸)⇒http://www.youtube.com/watch?v=pXTzAHo1Ptc
(石垣空港への着陸)⇒http://www.youtube.com/watch?v=3TwDvu0C_IA

航空貨物の往来も「ちと不便」で、滑走路の短さに由来する重量制限があるために大量の燃料が積めず、本土への飛行においても、那覇空港や宮古空港を経由して給油&乗り継ぎが必要…という話。旅行する際には余り問題では無いのですが、本格的な東南アジア中継ビジネスを当て込む場合は「重量制限&時間のロス」は痛いかも知れません。特にエネルギー燃料を確保する場合、一気に大量に運べないので、不便は多くなるだろうなと思いました…^^;

石垣空港は、時々、軍の戦闘機が場所をお借りする事があるようです。昨今の尖閣諸島の物騒な時事を反映してか、往路では、石垣空港に戦闘機(らしきもの)がスタンバイしているのを見かけました

参考記事1=【中国軍戦闘機が防空識別圏に=空自F15緊急発進-沖縄・尖閣】(時事通信2013.1.10)
政府筋によると、10日、中国軍の複数の戦闘機などが沖縄県・尖閣諸島北方の日本の防空識別圏の空域に接近した。一部が防空識別圏に入ったため、航空自衛隊那覇基地のF15戦闘機が緊急発進した。領空侵犯はなかった。中国軍機は少なくとも2機種で、10日夕まで、尖閣周辺の防空識別圏付近を飛行したという。尖閣諸島の領有権を主張する中国の示威活動とみられる。防衛省は「特異な事例ではない」として、公表していない
参考記事2=【宮古島の下地島空港に戦闘機常駐-尖閣領空侵犯で防衛省検討】(共同通信2013.1.14)
中国の航空機による沖縄県・尖閣諸島周辺の領空侵犯に対処するため、防衛省が沖縄県宮古島市の下地島空港にF15戦闘機を常駐させる案を検討していることが分かった。政府関係者が14日、明らかにした。現在の防空拠点となっている航空自衛隊那覇基地より尖閣に近く、3000mの滑走路があり、防衛省は「利用価値は非常に高い」(幹部)と評価している。同空港は自衛隊の利用を前提としておらず、調整が必要となる。昨年12月に中国機が尖閣周辺の領空侵犯した際、那覇基地から緊急発進したF15戦闘機が到着した時には中国機は既に領空を出ていた。下地島空港は沖縄県が管理している

ちなみに、現在の石垣空港は、滑走路の先に遺跡があり滑走路の延長工事が困難なので、今年の3月には空港を移転するそうです。移転先はずっと東の海岸にあり、2013年3月7日に開港の予定だそうです(旅客ホテルも移転するのかな?と想像…)

参考資料=新石垣空港課-新石垣空港について(現空港・移転先の位置マップあり)

沖縄エリアを地図で見ると、日本列島(本土)⇒(沖縄諸島)沖縄本島・慶良間列島⇒(先島諸島)宮古列島・八重山列島という感じで、石垣島は八重山列島のひとつ

石垣島の港は、八重山列島を連結する中央センター(ハブ港?)として位置付けられています。離島ターミナル港には3本の旅客船用桟橋があり。クルッと回って離れたところに石垣港があり、大型船が寄港していたり、大きなコンテナが山ほど積まれていたり。海上保安庁の船も居ました。この日も何やらあったみたいで、尖閣諸島の方向に向かって、海上保安庁の船が荒天の中を出港していました…

地元の話によれば、尖閣問題が始まってから、海上保安庁関連の燃料代が従来の50倍に跳ね上がったそうです。更に、辺境警備の様々な関係者が石垣島のレンタカーを利用するので、島内のレンタカー業界が活況を呈しているとか。燃料補給を含めて、離島物流の維持は困難が多そうですが、何とか乗り切って欲しいものです…^^;

この写真は、1月11日の新聞の第一面を撮影してみたものです(時間が無かったので、これだけです)。「辺野古埋め立て&安倍首相の訪米の動向」が、第一面にありました。あとは、オスプレイ抗議の問題とか…

参考記事=【オスプレイ配備「芽のうちにつぶす」三連協】(沖縄タイムス2013.1.11)
10日に沖縄防衛局を訪れ、CV22オスプレイ配備計画の撤回を要求した嘉手納飛行場に関する三市町連絡協議会(三連協)を構成する首長らは「配備可能性を芽のうちにつぶしたい」(當山宏嘉手納町長)などと強い決意を示した。国が通知を否定しているにもかかわらず抗議行動に出たのは、普天間飛行場へMV22を強行配備した政府への強い不信があるからだ。この日も武田博史局長は「政府に通知はない。計画は承知していない」とひたすら繰り返し、米側からの「通知はしていない」との回答まで付け加え、報道内容の否定に終始した。これに対し、「火のないところに煙が立つのか。配備を芽のうちにつぶす」と反発したのは當山町長。昨年6月、同内容の報道時には事実関係を見極めるため静観姿勢だったが、一転して連日の抗議となった。政府が直前まで普天間へのオスプレイ配備をひた隠し、昨年10月に強行配備したことを挙げ「現実に動き始めてからでは遅い。これまでの経緯からすると、同様の可能性も否定できない。芽のうちにつぶす」と、住民大会の開催や基地撤去運動へ発展する可能性にも触れた。野国昌春北谷町長は「米側が配備を決定すれば、すべて受け入れるのか。その前に日米で話し合いができるのか」と、今後の対応にくぎを刺す。「仮に配備されたら-」という問いには回答を避ける武田局長に「われわれは配備の是非も含めて話をしてほしいのだが」と不満を隠さず、住民大会の動きにも同調する。今月末には、普天間への配備撤回を求め、県民大会実行委員会による東京での要請行動がある。東門美津子沖縄市長は「配備を芽のうちにつぶすため、そこでもしっかり言及したい」と述べ、徹底的に先手を打つつもりだ

…さて、八重山列島には小さな無人島が多く、尖閣諸島は、その「八重山列島の中の無人島のひとつ」と捉えられています(中国がどう思っているかは詳しく知らないけれど、八重山エリアに暮らす人々の意識の中では、そんな感じらしい。ちなみに与那国島まで行くと、台湾の方が近所)。地図で見ると、尖閣諸島に一番近い防衛拠点が石垣島(他の八重山の島々は、石垣島に比べると、尖閣諸島の位置からちょっと遠い)

八重山列島の中で人口の多い代表的な島が、石垣島・竹富島・西表島・与那国島。飛行場(空港)がある島は、八重山エリアの中でも石垣島と与那国島のみ(!)です。他の島には飛行場が無く、高速船で往来。ほぼ1時間以内で島々の港に到着可能ではありますが…石垣島から与那国島へは船で4時間。尖閣諸島も似たような距離なので、石垣島からの船で4時間かも。荒天時の航海をシッカリ体験しまして、辺境は大変だという事がシミジミと実感されてきました^^;

エネルギー関連で言えば、電力会社による本格的な発電所設備を持っているのは、尖閣諸島を含む八重山の島々の中では、石垣島のみだそうです。海上保安庁や自衛隊が、エネルギー供給が確実な石垣島を拠点にして、尖閣諸島を含む辺境警備を続ける訳です

離島の島々への電力供給は海底ケーブル。石垣島⇒竹富島⇒小浜島⇒西表島というルートだそうで…与那国島へは海底ケーブルが敷設されておらず、島内の火力・風力発電所で電力供給です(他は、個人や事業者の自家発電のみ。お金があっても、安定した物流や燃料確保が無いと難しいですね)

次に通信事情ですが、やはり光ファイバーケーブルでも同じ問題があり、与那国島へは石垣島からのネット通信のための光ファイバーケーブルが行っておらず、ファイバー整備計画が出されているそうです(平成23年3月現在)

与那国島は、物理的に言って台湾の方が石垣島より余程近いので、台湾と連携して物流や通信をやって、島の将来を(自立的に)確保したいという希望もあるそうで(「国交」的には、ムツカシイみたいですが)。デジタル・デバイドなど各種の問題が不便な様子ではあるものの、無線通信は非常に発達しているそうです

話題転換。写真は八重山エリアを航海中の撮影です。爆弾低気圧が襲来していて、グラングランと揺さぶられました。海に慣れていないので、これもビックリしました(汗)。台風シーズンになればこのレベルどころでは無いとは思いますが、2m持ち上げられて3m落とされて、船底に水の塊がガッツンガッツンぶつかる…と言う感じなので、「肝試し付きジェットコースター」並みではありました

八重山の海…、荒天でもなおエメラルドグリーンに輝く海がずっと広がっているのが、とても印象的でした。海のど真ん中に、海上保安庁が管理している航路標識の柱(赤色や緑色の灯標)が「いきなり」立っていたり。さすが珊瑚礁の島々であります。遠浅の海、何処かの岩礁に船が引っかかると困る訳で…

いろいろ省略して、このような感じで八重山列島を訪問して参りました

写真は、帰路にて、石垣空港と飛行機を撮影したもの。爆弾低気圧に捕まっていたので、強風で離陸が遅れるとか、割と難儀しましたが(小型旅客機なので天候に影響されやすいのかも…)、無事に帰って来れて良かったのであります

この写真で最後です。低気圧の中では光が足りず写真撮影はしませんでしたが、雲が形作る奇妙な光景が展開して目を丸くしました。灰色の綿で出来たキノコみたいなものが何本も立っていて、まるで何処か見知らぬ惑星の幻想オブジェっぽい洞窟の中みたいでした。そして9000メートルもの高い空では、一面の雲海と陽光とが相まって、神秘的な光景が広がっておりました^^

《おしまい》


アメリカのシェール・ガス革命について、時間が無かったので簡単な事だけしか調べられませんでしたが、どうも大量の真水を必要とする箇所があるそうで。中国にもロシアにも世界トップを争う豊富なシェールガス田があるそうですが、真水が欠乏しているので、手が付けられないとか…(でも、中国なら環境汚染をものともせずに開発するかも知れない?)

問題はアメリカで、オガララとかいう巨大な地下水の天然の水がめがあるそうですが、シェールガス採掘に見合うだけの真水が存在するのだろうかと言う疑問が湧いてきました(以前に調べた時はひどい水不足で、厳しい取水制限を行なっているとかいう話があったので)

どうも、近未来は、「真水を取り合う」という戦争が起きるのでは無かろうかと思われてまいりました。最近の中国が、必死で新潟の土地を買おうとしたり、日本の水源地を買収したりしているのは、そういう将来を見据えての行動なのでしょうか。そういう下地を考慮してみると、中国の尖閣諸島を巡る行動は、非常に怪しいものに思えてまいりました…

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アムゼルくんのプラタナス

http://amselchen.exblog.jp/19226211/
アムゼルくんの世界「AF Nikkor 50/1.8Dの淡い光」より

この写真は、ツイッターを通じて、写真専門サイトに公開されていたのを見たのが最初でした。

何か大きな木だな…と思いつつ、上から下に向かってつらつらと鑑賞していました。光の具合が、非常に好みな雰囲気であったのです。

そのまま、写真を見て「プラタナスの木蔭で…」という状況フレーズを連想しつつ、下に向かって鑑賞していると、突然不思議な感覚がやって来ました。写真の下部スペース1/3くらいの領域で、いきなりスパッと雰囲気が変わったように、無形の闇に呑まれたような感覚が来ていたのです。

幽顕のあわい…

その感覚は一瞬だったのですが、自分自身がビックリしました。普通は、「プラタナスの木蔭で…」の後に、「自分が何を感じた」とか「町の様子が」とか、意味のある状況フレーズ(=写真鑑賞のためのフレーズ)をくっつけるのですが、その時は何も思い浮かばなかったのです。

「プラタナスの木蔭で…」――そして、無形&無底&未生の混沌。

改めて写真を見直してみて、「普通に意味のある光景」が写っていたのを確認しましたが、それでも、一瞬到来していた「無形&無底の領域」の感覚の方が強烈で、ずっとその残響を引きずっていました。

突然「プッ」という感じで到来した、その「或る領域」は、一体何だったのだろう…?

幾ら考えてみても、「それ」を言語化することが出来ませんでした。「プラタナスの木蔭で…闇&混沌…」という風に言語化してみても、何だかピッタリしない…まるで、「プラタナスの木蔭で…」のフレーズが、その「言語化できない領域」を引きずり出して、目にも明らかに吊り下げて見せた、ような感じなのです。

心を凝らしてみる限りでは、「言語化しなければならないという役割そのものも、全く理解していない」という風な、妙な無貌のモヤモヤが、「のてっ」と“在る”…

「その領域(?)」を「思考の指」のようなもので、チョンチョンと突付いてみて…

「これは、言語化できない“何か(モヤモヤ)”である」と感じました。

『アムゼルくんの世界』ブログに写真作品がアップされ、感想コメントを送らせて頂いた後も、続けて考えていました。そして、突然パッと閃きました。「木の根っこの部分に何かを感じる」という似たような状況を、何処かで聞いたことがある…

〝いましがた私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に深く突き刺さっていた。それが根であるということが、私にはもう思い出せなかった。言葉は消えうせ、言葉とともに事物の意味もその使用法、また事物の上に人間が記した弱い符号もみな消え去った。いくらか背を丸め、頭を低くたれ、たった一人で私は、その黒い節くれだった、生地そのままの塊と向かい合って動かなかった。その塊は私に恐怖を与えた。それから、私はあの啓示を得たのである。それが一瞬私の息の根を止めた。この三、四日以前には、<存在する>ということが何を意味するかを、絶対に予感してはいなかった〟

サルトルの『嘔吐』の一部分です。

どうも、「木の根っこの部分で、いきなり無形&無底の何かを感受する」という意味で、サルトル描く主人公と同じモノを感受したのでは無かろうか…

「モノ」。考えれば考えるほど、写真に映った木の根っこで自分が感受した異様な「モヤモヤの領域」は、まさしく「具象化(言語化)される前の」「物」であるような気がしてきました。

そして、ここでまた閃いたのは、『日本語の哲学へ』の一部分です:


@参照=読書ノート:『日本語の哲学へ』
http://mimoronoteikoku.blog.shinobi.jp/Entry/556/(当ブログ編集)

具体的な事物を「もの」と言うとき、それは決して具体的な事物を具体的にとらえた言い方ではない、と結論する。例えば、「木」と言うとき、それは厳密には、その木の具体相(紅葉している、風が吹くたび葉が散るといった様子)を全て切り捨てて抽象化して言っている。それが「木」という語の意味である。

まして、それが「もの」ともなれば、「木」ということも切り捨て、「人間が感知し認識しうる」すべての具体相を消し去って、はじめて可能となるとらえ方である。「物」は「具体語」であるどころか、すでにこれ自体、究極の「抽象語」と呼ばなければなるまい。…物を「物」としてなり立たせているのは、この〈具体相を消し去る〉はたらきなのである。

「物」という語の意味は漢字の意味から類推も可能である。「物」は「牛」と「勿」に分解できる。「牛」は最も身近な家畜であった。「勿」は「こまごまとした雑布でこしらえた旗。色も形も統一がなく、見えにくい」さまと説明される。

◇藤堂明保『漢字語源辞典』:
朱駿声が、牛の雑色→いろいろな形・さまざまな色→形質や事類、という派生の経過を説いているのは、ほぼ正しいと思う。特定の色や形を持たず、漠然とした形色を呈している所から、物は「もの」という大概念を意味するようになったのであろう。

…何で、自分は「モヤモヤの何か」をずっと感受していて、サルトルの主人公のように「嘔吐」しなかったのだろうという事も、また妙な話ではありますが…^^;

多分、日本語の思考で写真を鑑賞し、ついでその「モヤモヤ」を感受して、日本語で意味分節していたからでは無いか、と結論。日本語には既に「モノ」「コト」という抽象的な言葉があり、言葉と化す前の未生の状態で、既に意味分節している訳です。その根源的・無意識的な意味分節があったので、「嘔吐」というような激烈な気分までは行かなかったのでは無かろうか?と思ったのでありました。

日本語の「存在」に相当する「モノ」という言葉は、「もののあはれ」というように、「万物の根底に広がる巨大な虚無」の認識を想起する言葉でもありますが、インド=ヨーロッパ語族に由来する西洋諸語では、「存在」は「在/有」の認識を想起する言葉を使っているようです(※ギリシャ語の「ウーシア(存在)」≒「所有物・財産」または「実体」「本質」)。

…想像するだに、サルトル描くところの主人公が感じた「存在」は、よっぽど不気味な代物であったらしい…と、同情…

1枚の写真で、ここまで不思議な体験をするとは思わなかったです。感謝なのです…

オウム真理教etc雑考

2011.11.21本日、オウム真理教が関与した数々の事件の結審が行なわれたそうです。

個人的に、特に印象に残っているのが「東京地下鉄サリン事件」です。その事件では、タイミングの差で友人の一人が死にかけたと言う事情があり、いろいろと複雑な気持ちになりました。

※当時、警察組織のトップが狙撃されましたが、真犯人がまだ不明である…と言うのも、結構ショッキングなものがあります(国松長官狙撃事件)。短い期間にいっぺんに多くの事件が起きたという点で、とっても特別だと思います…

伝統・新興に関わらず、宗教組織は本質的に、殺人集団としての顔をも持つのだ…と確信。

オウム真理教はチベット密教に影響されているそうで、チベット密教を少し調べてみました。

チベット密教はダライ・ラマを生んだ宗教ですが、この宗教は、かつて性的ヨーガを使った修行方法によって霊力を高め、呪殺の能力を磨くことで、殺人兵器として活躍した血みどろの歴史を持っていたそうです(あくまでも、まだダライ・ラマが登場していない、最初の時代の話ですが…)。

チベット密教は、「後期密教」に属します。空海の時代より少し後の時代になります。後期密教は、8世紀から11世紀のインドにおいて成立した、ニュータイプの仏教でした。この後期密教は、仏教史においても、その最終段階に現れた仏教であると理解されています。

8世紀頃、インドで、『グヒヤサマージャ(秘密集会)・タントラ』が登場しました。その最大の特徴は、解脱のための至高の修行方法として、性的ヨーガを導入した点にあります。しかし、それまでの伝統的な仏教戒律は、その類いの行為を厳しく禁じており、真理にいたるための新しい修行方法と伝統的な戒律との間に生じた矛盾を、インド人仏教者は解決できませんでした。

そしてその後インドはイスラム征服を受け、仏教の伝統が途絶えました。そのため、この重大な矛盾を解決するのは、チベット人に任される形となりました。そしてチベット密教成立への道が始まるのです。

チベットはインドの進んだ文明や宗教を継続的に導入しており、チベット仏教界とも呼べるような宗教界が、チベットに成立していました(日本仏教界が成立していったのと同じです)。チベットにおいては、それまでの仏典のチベット的独自解釈によって、チベット風に加工された呪術的・シャーマニズム的な仏教が広がっていました。

その中で、チベット仏教史が誇る宗教家、天才ドルチェタクが登場します。彼は明晰な頭脳を持ち、正確な仏典翻訳を行なったばかりか、地方各地で荒廃していた仏教寺院を復興するなど、学問的にも宗教的にも目覚ましい活躍をしたことで知られているそうです。

しかしその一方で、彼は、霊力を使っての呪殺に長けた呪術師でもありました。その霊力は、性的ヨーガによって鍛えられたものでした。大勢のライバルが、彼によって次々に呪い殺された(=ポア・度脱=往生させられた=)と言う記録があるそうです。彼は、後期密教の闇の部分においても大きな存在だったということです。

その後もチベット密教は進化を続け、ドルチェタクの時代から200年後のチベット仏教界は、プトゥンという新たな天才を得ました。彼は、チベット史上、最高の頭脳の持ち主であったと伝えられているそうです。彼は『チベット大蔵経』をまとめ、修行における性的ヨーガの問題に、彼なりの答えを出しました。

プトゥンは「戒律なきところに解脱なし」と喝破、修行に性的ヨーガを持ち込むことを厳禁し、度脱(ポア)を行なうことも禁じました。当時のチベット密教に欠かせなかった呪術的要素を排除するということが、彼の回答だったということになります。

プトゥンの次の世代、更なる宗教的天才ツォンカパが登場します。彼はプトゥンの姿勢を継承し、性的ヨーガ及び度脱(ポア)、その他の呪術全般の行為を禁じました。ただし、病気治療の分野では特例として呪術が許可され、延命呪術などが施されたと言われています。

以上の内容が、チベット密教が300年かけて出した、「矛盾への答え」でした。

とどのつまり殺害も救済も、宗教が持つ「祈り」の要素の裏表なのである…と申せましょうか。

オウム真理教は、宗教が本来的に持つ魔性をまざまざと示したと言う点で、それなりに、この世に存在しただけの意味はあったのでは無かろうかと思っています。ただ、その道に長けた宗教家たちからすれば、魔性に振り回されているばかりの、全くもって修行の足らない「未熟者」の範疇に入る筈です。

未熟な宗教家は、どんなに明晰な頭脳を持っていたとしても、それだからこそ、自らの判断が生み出した《精神の牢獄》に閉じ込められてしまうのです。深い意味での「善と悪」ないし「光と闇」の判断が出来ず、それに振り回されてしまうからこそ、魔道・外道に落ちてしまう未熟な存在なのです(並み居る宗教学者たち・宗教評論家たちは、この点の判断については、実に弱腰であったと思うのであります…)。

更に、我々は、ムツカシイ問題を持っています。つまり、「暴力には暴力をもって対抗するしかないのか」と言う問題であります。

キリスト教やイスラム教を生んだセム系一神教は、「暴力には暴力を」という回答を出しました。仏教は、釈迦やダライ・ラマの如く「非暴力主義」という回答を出していますが、果たしてそれが、万人に受け入れられるものなのかという事については、はなはだ疑問が残るものであります(=とりわけ親しい人たちに、理不尽な暴力が振るわれた場合)。

宗教における闇の部分の巨人であった、天才宗教家ドルチェタクの存在は、「部分的にせよ正当防衛のための暴力の行使は認められる」という宗教的方便があることを示しています(=どうも、日本には、このドルチェタクの姿勢に近い要素があるようです。それが正しいことかどうかは、全く分かりませんが・汗)。

今のところ、個人的には、宗教は宗教それ自体で完成された存在では決して無く、実際の社会においては、半分かそれ以下の意味しか持たないという見解を持っております。そもそも、宗教家は、第一次生産者ではありません。

残りの「半分かそれ以上の意味」は、目下のところ、俗世の共同体に属する我々が行使する強力な権力、つまり「法治」によって補完するしか無いのだ…というのが結論であります。

…と、キマジメに考えてみたのであります(=でも、余り自信は無いです)