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制作日誌/深森の帝國

〝認識が言語を予感するように、言語は認識を想起する〟・・・ヘルダーリン(ドイツ詩人)

ストーリー創作に関する参考メモ

創作の参考になるテキストがあったので、メモ:

■人物の演出に関して:出典不明――(何処かのテキストに書いてあった)

登場人物が「何をするか」ということによって、その人物は半ば明らかになる。
その人物が「なぜ、その行動を取るか」という理由によって、残りの半ばが明らかとなる。

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■視点移動に関して:出典不明――(何処かのテキストに書いてあった)

英米文学における『視点』上の分類を、そのまま日本文学に使用できない理由のひとつは、それぞれの言語における文化的背景の違いがある。

日本では「主観」か「客観」か、といった分類には大して意味はなく、「一元」か「多元」か、つまり、地の文が誰に還元されるのか、といったことの方が重要になるわけである。

逆に、英米文学で「一元」「多元」が重要でないのは、英語自体が平気で無生物に「視点移動」してしまう言語だからだといえる。日本語でいうところの「視点移動」は、英語にとってはさほど重要ではないわけである。

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■喜多野土竜――https://twitter.com/mogura2001/status/947372738418634752

テーマについて。

そもそも作品のテーマというのは、必要なのかという根本的な問いが一言で表現できるテーマが必要で、それを投稿者や作家に求めてくる編集者がいる。だが岡本太郎画伯は、作品は「なぜこんな作品を描いてしまったのだろう」と、本人が困惑するような作品が良いと喝破する。

黒澤明監督は、作品のテーマを一言でと求めてきた記者に、一言で言えるテーマなら映画なんか撮らずプラカードにでも書くよと返したとか。そもそも、作品はワンテーマであることが少なく、複合的なテーマを持つことが多い。また、作者自身も意図しなかったテーマを鑑賞者が見いだすことさえある。

岡本太郎画伯の意見に戻れば、多分に人間の無意識領域にある考えを引き出せということだろうか。人間の表層意識と無意識は異なっていることが多く、説明できるようなテーマというのは、表層意識にあるモノ。そうではなく、自分自身でさえ気付いていない心のもっと奥の部分を引き出す必要がある。

例えば萩尾望都先生は友人から、あなたの作品には母親が出てこないか出てきてもすぐ死ぬと指摘され、折り合いの悪かった母親を描くことを、無意識に避けてきた自分に気付いたわけで。母娘の和解を描く『イグアナの娘』や『残酷な神が支配する』など、親子関係を描く作品へと昇華された。

そもそも作品は、1コマ漫画ですら複数のテーマを込めることが可能。萩尾望都先生の『半神』は16ページの短編だが、多様なテーマを見いだせる。星野之宣先生の『冬の惑星』も30ページの中に人間の一生と家族愛や生き様を描く。多様な切り口や味わいがあるから、繰り返し鑑賞される名作たり得る。

誰かの受け売りの、俗流テーマ主義に対する疑問から『構図がわかる本』では、実相という考え方を紹介した。

描かれた素材そのものは同じでも、その配置や組み合わせで、鑑賞者が喚起される感情は異なる。その配置や組み合わせの中で一定の方向性を持つのが、構図。感情を喚起させるのが、実相。

テーマというのは、素材→構図→実相→感情 と巻き起こされる一連の縁起を生み出す作品の、制作者側を動かす情動であって、極論すれば鑑賞者には無関係。

ただ、そこがわかると、より感動が深まることもある。逆に言えば、深遠なテーマがあっても、感情を揺さぶる実相がない作品は、凡作。

ここら辺の認識は、仏教の瑜伽行唯識学派の論と重なる。

唯識学派では、人間が捉えた世界は表象=イメージに過ぎないと主張する。人間の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五感を、前五識と呼ぶ。前五識と意識を合わせて、表層意識と考えれば西洋の心理学とも似ている。この下に無意識領域が存在。

無意識には、潜在意識としての末那識があり、さらにその下に阿頼耶識があるとする。心理学のユング学派の、前意識と集合的無意識という区分にも似るが、唯識学派は4世紀に成立し、精緻な体系を持つ。玄奘三蔵が国禁を犯しても天竺に行ったのは、この唯識を学ぶため。

ここら辺の学説の正しさのジャッジは置くにしても。

こういう議論は、作品の認識論とも重なるので、編集者や指導する立場の人間は、学んでおいて損はない。構造主義も、こういう人間と世界の認識に迫る見識が多く見られる。だが現実には、素材や構図をテーマと勘違いした指導をする人間が多すぎる。

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ノベル制作ポイントのメモ

宮原昭夫・著『書く人はここで躓く!―作家が明かす小説の「作り方」』

興味深い指摘をメモメモ:

▼「説明」と「描写」の違い

「説明」=限定的な解釈のみに留める書き方。科学論文などでは、これが一般的。
例:「美しい花が咲いている」⇒いつ読んでも「美しい花」という限定的な解釈になる

「描写」=その時の気分で解釈が変わり、多様な読み方が出来る。小説ではこの強みを生かしたものが多い。
例:「ピンク色の小さな花が咲いている」⇒春なら桜の花っぽいなと思ったり、秋なら小菊の花っぽいなと思ったりする

ただし、ケース・バイ・ケースなので注意。誤解ぬきにハッキリさせたいシーンの場合は、「説明」を使った方が良いらしい。

▼小説でストーリーを組み立てる順番

世間話の順で思いつくままに書く人も居るが、これは、ちょっとまずいらしい。

まずい例:「昨日、お昼ごろ急に雨が降って来たでしょ、あの時美容院に行ってたんだけどお布団干したままだったから慌てちゃったわ。布団っていえば、角の☆☆屋さんで月末までディスカウントやってるわよ。あそこの奥さん、2人目なんですってね。連れ子さん高校生だもんで、大学受験どうしようとか、大変よネ。そうそう、受験と言えば、うちの子がね…」

設定を積み重ねるばかりで、「伏線が生かされていない、小説になっていない」とされているのが、こういうケース。

▼キャラクターの人間像と人間関係

・ストーリー展開に応じてキャラクターの性格を捻じ曲げようとすると、人間像が分裂し、ストーリーが破綻する羽目になる事に注意。この場合は、キャラクターが展開する方向に向かってストーリーが流れるようにすると、想定以上の結果に辿り付く場合がある。

・一人称小説で、作者の分身たる主人公は良く描けているが、相手役や敵役となる「他者」が上手く表現されていない事がある。この場合は、「モノローグ」に終始するので、ストーリー性が無くなっていく。かといって、無計画にキャラを増やすと、作者のクローン人間が増えたようになってしまいかねない。

・「他者(脇役)」の眼差しは、主人公にとっての出来事を別の側面から捉える機能を持ち、ダイアローグ効果によって、ストーリー展開を立体的・客観的にする事が出来る。

▼会話劇の取り扱い

黒澤明(映画監督)『ぼくは映画を撮る時、サイレント映画だったらどう撮るか、と考え、それを出発点にしている』

これは、「会話の表現力に頼らなければ成り立たないようなドラマは、ドラマとしては弱い」という事を示している。

映画の場合、あくまでも映像だけで全てを語り尽くすという気持ち&覚悟で作る。会話が無くても、ほぼ観客に分かる状態だが、それに会話の表現力が加わる事で、いっそうドラマがパワーアップするという効果を狙う…という事。

大道具や小道具にこだわり、その上に衣装にこだわり、更に会話の演出にもこだわる…という方針が、黒澤明(映画監督)にはあった。実際、そうする事によって、「会話劇を楽しむ」「会話劇そのものを味わう」というような余裕が生み出せている。

※実際の会話劇は、ナレーションのようには流れない。沈黙が続いたり、言い直しが生じたり、言いたい事とは逆の事を口走ったり、…という事が普通にある。地の文がシッカリしていない場合は、会話劇がナレーションの役割を担う事になるため、会話劇そのもののリアリティが薄くなりがち…というケースが多い。

▼作品タイトル

「(作品全体を象徴する)一行詩の一種かも知れない」という意見アリ。

(参考資料)Web小説家に”なった”! ~ゼロから始めて三週間で小説家になる方法~
http://talkmaker.com/works/be218b35f858c863bd286b8ef47fb2a5.html

タイトル6割、あらすじ3割、目次1割。【タイトル+3行(あらすじ冒頭部)】が分かれ目。王道66%、新奇性33%がちょうどよい配合比。

なお、あらすじ冒頭部「世界観の説明から入るパターン」=アクション成分が少なくなるため、目を引きにくくなるらしい。「ドキッとするような、決定的な事件」から入るのがベター、という意見アリ。他、タイトルの重要性に関して、創作系ツイッターからの証言を追記

https://twitter.com/Six315/status/946814711844057089
積ん読が起こる原因のひとつに「買った時点で満足する」ってのがあるじゃないですか。要するに「買う」という行為がすでに娯楽なわけです。
ネット小説でも同じようなもので「タイトルとあらすじを眺める」「タイトルをクリックする」時点で娯楽として成立しうる。てか、成立させた作品は人気が出る。

https://twitter.com/Six315/status/946815554559414272‏
だから、たくさんの人に読んでほしい! というスタンスの場合、「読んでください! 読めば面白いんです!」ってのは論外なわけです。
そういうスタンスの書き手は(意識的にせよ無意識的にせよ)、「読む前から面白い」という次元で戦っている。※読む前=タイトルとあらすじ

https://twitter.com/Six315/status/946816315985084416
もちろん読んで面白い作品というのは大前提だけど、「読む前から面白い」がないと人気に火がつかない。
(かくして「読む前から面白い」の概念を持たない書き手さんのなかで、「なんでこれが人気なのか理解できない」という疑問が生まれるわけです)

*****

他にも色々なポイントが書かれていましたが、こちらは割と普遍的に言われている内容が、ほとんどでした。

参考になりそうな部分を、以下に少し並べてみます:

▼リアリティ関連

真のリアリティは「それらしさ(如何にも有りそうな細部の描写)」だけでは作れない。ただの想像だけでは思いつかないような意外さ(※作者ならではの気付きや着眼点)を含むと、案外、リアリティが出る。

「一回性(一期一会的な要素、突飛さ)」と「必然性」の組み合わせは、リアリティを感じさせる重要な部分。例えば、「いかにも有りそうな情報の中に、チラッと突飛な情報を混ぜると、人間は案外、まるごと信じ込む」というようなモノ。

キャラの思考や感性の中に、作者自身の思考や生活臭が入り込んでしまうと、かえってリアリティが壊れるので、注意。各キャラごとの特性は、完璧に演じ切らないといけない。

▼ディテール関連

細部を際立たせるために、全体シーンにおける対比・調和の効果を狙うというのは、割と使える。

「対比」の例:「岸壁の上で、小さな人影らしき物が動いた。広々とした青空を背景にして、奇妙なシルエットとなって浮き上がっている。よく見ると、どうやら、甲冑で武装した人物らしい」

「調和」の例:「蒸し暑い夏の夜、生暖かい風が吹いて来た…何処かで猫の不気味なニャーと言う鳴き声がボンヤリと響く。そこの角には、おぼろおぼろとした怪異な人影が…」

よく出来た細部は、小説全体の有り様、雰囲気を支配するパワーがある。

・秋山駿(文芸評論家)『小説の細部は、作者の(作品そのものに)与える"意味"を超える』
・川村二郎(文芸評論家)『(各々の細部の)表現全体の生気が、主題を包み隠してしまわねばならない』

例えば、セリフ描写で、「思い付きで、登場キャラに、作者の意見をストレートに言わせる」と言うスタイルがある。このようなスタイルでは、作者の筆(=主題)の存在が強く浮き過ぎてしまうケースがあるので注意。

キャラのセリフ表現などと言った細部の表現が浮いてしまうと、その部分の違和感が強くなり、小説(エンタメ)そのものとしては少し味わいにくいタイプの作品となる。

▼小説タブーとなる「三大誤魔化し」

(1)あらすじ会話
…本来はナレーションや描写で語るべき情報を、キャラのセリフでもって、ナレーション的に説明してしまうスタイル。地の文の組み立てがシッカリしてない作品に多い。

(2)贋シーン
…特定のシーンが、キャラの回想や回顧、設定などを描写するための舞台として浪費されてしまっているケース。例えば、A地点からB地点へキャラが移動しているという場面描写がされているのに、その行程では、次につながるような伏線や会話劇はおろか、いっさい何も起こらない…というパートがあったりする。

(3)手抜き回想
…シーン配列が上手くいっておらず、過剰なまでに回想シーンが入ってしまい、全体の流れをぶった切ってしまうスタイル。回想シーンの途中で、更に別の回想シーンが重複してしまう…というケースも多く見られる。

《以上》


★「2017-11-20読んでいても“おもしろくない”(つまらない)と思う、異世界転移・転生物のラノベ(小説)の特徴を12あげていく」http://gimon15.hatenablog.com/entry/2017/11/20/204619

▼1.パロディネタがやたらと多い

元々、パロディやオマージュといったスタイルは、上手く使うと効果的な事が多い。

ただ、そういったポイント要素の伝達のためには、ベース的な部分で「前提知識」が共有されている必要がある。「どうしても、このネタを割り込ませたい」という場合は、オリジナルの物との間で不自然な差を感じないように、慎重に当てはめていく必要がありそう。

▼2.やたらとモブというか、ストーリーに関係がない、脇キャラの話を長々とやる

中だるみしてしまうだけでなく、クライマックスや終盤に至る糸口が失われてしまい、はなはだしくは、「主人公は誰?」という風になってしまいやすいパターン。結果として、読者を疲れさせやすいスタイル…とも言えそう。

▼3.最初から物語の世界観や設定を長々と説明しはじめる・・・というか読者に押し付ける

実際にテキストを組み立てていく時は、「説明」と「描写」を上手く切り回す…という意識でやっていくのが、ベター。簡にして要を得た内容(しかも興味関心を引く言い方)が理想的だけど、元々、序盤の組み立ては難しい。

▼4.やたらと、どうでもいいキャラをたくさん出してきたり、無駄に国や宗教や神を出してくる・・・しかも複雑な名前や名称だったりする

「パッと見での了解しやすさ」は、引き込みの力も強い。

年を取ると、外国&異世界ファンタジー物に行くよりも江戸時代物に行くという人が多い=「江戸時代物の方が、前提知識がある分、ストーリー世界に入って行きやすい」のが理由との事。

▼5. 主人公が最初からチート設定だとしても、あまりにもチート(強)すぎる

若い世代の主人公である場合、成長ストーリー物がウケるのは、鉄板。

ただし、円熟期~老成期の年代の主人公が活躍する場合は、最初から「或る程度の熟練者&実力者」として活躍させるのがベター(例:『剣客商売』秋山小兵衛など)。この場合、作者自身の未熟ぶりを露呈しかねないので、円熟バージョンのキャラを、シッカリとデザインしておく必要がある。社会的地位も含めて。

逆に、「情けない男パターン(昼行燈タイプ)」を主人公に据えるタイプもある。裏の顔が違うと、ギャップ萌えを狙える(例:昼は女のヒモ、夜は無敵の暗殺者、とか)。

▼6.主人公が率先して、主人公とパーティー組んでいる仲間のパワーレベリング(レベル上げ)をおこないだす

いわゆる「ポイント譲渡」や「スキル交換」といった要素に終始すると、「量」だけの描写という事になる=ストーリーそのものの「質」の上昇にはつながらないかも。

▼7.文章の改行、段落わけをほとんどしない

シンプル・イズ・ザ・ベスト。

▼8.物語の内容や設定が稚拙で薄っぺらに思えて、読者から「このラノベの作者は自分よりも物を知らないな(人生経験が浅い)」と思われる作品

「得るモノの多さ」は、読む前の「期待感」につながりやすく、また、読んだ後の「満足感」にもつながりやすいと言われている。何かにこだわりを持っていて、特定の分野に知識豊富という作者は、この辺りでは強いと思われる。

※伝聞だけど、マンガ界では、作者は最低でも3種類くらい、玄人はだしの知識を持っていないと、広いジャンルでやっていけないらしい。

▼9.主人公がどの女の登場人物に対しても下心のみで接して、ちゃんとした打算がない

「キャラを立てる」という領域に直結する部分。性格、行動原理、クセ、反応態度、等々。

キャラを立てるには、相応のエピソードが必須だけど、「2.やたらとモブというか、ストーリーに関係がない、脇キャラの話を長々とやる」という指摘につながりやすいので、「編集」と「演出」は、よく考えておく必要がありそう。

・・・「女キャラ」+「打算」=「女版メフィストフェレス」の件

ゲーテ作『ファウスト』の、メフィストフェレスを女性キャラにしたパターンの翻案作品が多く見られる。「女版メフィストフェレス」は、いわゆる「幻の女=ファム・ファタル」系キャラに属する。

ファム・ファタル系のキャラ描写は、「ファム・ファタル=運命の女,宿命の女」というだけあって、高難度レベルに属している。ヘタすると、書き手自身の底の浅さなどがモロに出てしまうので、取扱い注意。

ファム・ファタル系キャラは、男主人公キャラにとっては、「身の破滅」という崖っぷち的リスクと引き換えに、心理的・精神的に大きな成長をもたらすパワーを持つ、「千変万化」そのものの存在。その性質上、上手くいけば、ストーリーに圧倒的な躍動性と深みを期待する事が可能。

ファム・ファタル系キャラが関わる描写は難しいが、チャレンジしてみるだけの価値はある(ただし、『小説家になろう』でウケるかどうかは、また別だと思われる)。

▼10.物語の途中から作者が自分の世界に入ってしまい、読者がおいてけぼりになる作品

特に「編集/演出」を意識してテキストを並べていく…以外の対策は、余り無いかも

▼11.ヒロインを完全に最初から一人にしぼってしまう

固定メンバーでパーティーを組んでいる…と言う設定を取っているパターンでは、「スリリングな人間関係の描写」は、書き手としては意外に盲点になりやすい部分かも。

推理ジャンルや恋愛ジャンル、或いは、もっと広い意味で「謎解きの進行と人間関係の変化とが、互いに密接に絡み合って展開する」という内容のストーリーを設定しているかどうか?

▼12.主人公が自分だけが持っている特別なスキルや能力を、すぐに人に見せびらかして教えてしまう

小学生~ローティーンをメイン読者として想定するのであれば、その年代にはウケる描写かも?

多少のコミック構想の記録

小池一夫氏のキャラクターシートにトライしていた事があったので、その記録です

ザッと言うならば、古代異星人の遺産、通称「メテオナビ」を巡る争奪戦ファンタジー、といった風のSFアクション物語のイメージ。SF風インディ・ジョーンズ冒険物、というところです

このお話のタイトルは、まだ決まっていません。そのうち、このキャラクターシートから本格的にお話を起こす事があれば、何かタイトルを決めると思います(結構、いいかげん…)

登場キャラクターの名前は決めてなかったのですが、一応、以下の通り:

★主人公=「ノエル・ジョーンズ」(19歳、安値の学生寮住まいの女子学生、異星遺物の発掘プロジェクトに、雑用として駆り出される)

★相棒その1=人工知能ロボット「ラブリー」(量産型の家事全般&乗物操縦ロボット。単純に型番が「ラブリーハート型」なので略して「ラブリー」と言う。他にも、星型、円型、三角型などの商品も有り、「トウィンクル」「リング」「トライアングル」など)

★相棒その2=「マイケル」(異星遺物探索プロジェクトの開始と共に送り込まれた、ちょっと怪しい仮面持ちの男子学生)

★師匠「ジョーンズ博士」(初老の変人冒険者。ノエルの保護者を務めていた叔父。デンジャラス小惑星帯で異星遺物を発掘している時、何かがあって消息を絶つ。メテオナビ発見についての通信が最後の痕跡となった)

★最大の敵にしてライバル=「エンペラドール・エース」(未来の皇帝になるつもりの人。娑婆における正体をばらす訳には行かないので、闇の通称がこういう風になっている)

★トラブルメーカーにしてプチ悪人=「ロズウェル博士」(麻薬におぼれるドラッグ教授。ジョーンズ博士とは異星遺物の発掘プロジェクトにおける同僚で、ジョーンズ博士の最後の通信を受け取った人物でもある。ジョーンズ博士の行方不明の事情にも関わっているかどうかは、目下、不明)